第十章 樹立 Ⅵ
眼前に民衆の群れが見えた。皆、目をいからし、手を挙げて王政打破を叫んでいた。
ソシエタスらフィウメ独立軍が駆け回って冷静を呼びかけているが、なかなか効果が挙がらない。
しかし、門が開き、王子が姿を現すと、一瞬時が止まったように空気がかたまった。
「ひかえよ! モルテンセン王である!」
コヴァクスは周囲にそう叫びながら門を出て、王宮に押し寄せる群集の中に割って入った。それにマイアを乗せたニコレットにドラゴン騎士団、赤い兵団が続き、王子と姫を守るために周囲を固めた。
群集は目をいからせていたが、さすがに武装したドラゴン騎士団や赤い兵団を見ると後ずさりするものだった。
ことに、救国の英雄とされるイヴァンシムとダラガナの赤い兵団を見て、群集は何かしらの期待を抱いたようだった。徐々に目から殺気がそがれていっていた。
「かつてのヴーゴスネア人同士で墓堀人となり墓穴をほり合う時代を終わらせたいであろう! ならば、王の話を聞け! 静粛に、静粛に!」
イヴァンシムは叫び群衆に訴えた。
コヴァクスは、モルテンセン王と言った。ということは、王子を説得して王位に就かせたというのか。どさくさ紛れではあるが、この火急のときである。形式などにかまってはいられない。
モルテンセンは群集を見下ろし息を呑んだ。こんなにたくさんの人々に囲まれたのは言うまでもなく生まれて初めてである。いまにも押し寄せられて潰されそうで、そう考えると胸や腹が痛かった。
が、深呼吸して、意を決して、叫んだ。
「予の不甲斐無さのために、多くの民に苦労をかけた。このモルテンセン、民に詫びるに詫びようもない」
どよめきが起こった。王子が王となり、しかも、民に詫びる、と言った。群集にとっては完全な想定外の出来事だった。
「ポレアスが己の欲のままに国も法もほしいままにし、民を苦しませたと聞く。だが、そのような馬鹿げた時代は、終わりだ!」
殺気立った空気が、なにか、はじけたようだった。踏みつけにされていた何かが、戒めを解かれて、起き上がったようだった。
「予は王として約束しよう。もうそなたたちを苦しめぬと。法も、三つに減らそう。ひとつ、人を殺したる者死罪。ふたつ、人を傷つけたる者、百叩きの刑。みっつ、ものを盗みたる者、十叩きの刑。これだけだ!」
騎士に抱かれてのこととはいえ、馬上のモルテンセンの目は鋭い。彼もまた必死だった。踏みつけにされた民衆の心を鎮めるには、彼らを戒めていた法を緩めるしかない、と思ったのだった。
ポレアスにコントレはそれぞれ王を名乗り、モルテンセンには、大人になったら王位を退き譲る、などと言っていたが。その王になってしてきたことが何であるか、民衆一人ひとりの顔を、目を見ればよくわかった。
(まだ十一であるというのに、なんと聡明な)
コヴァクスもニコレットも、大人たちは皆驚きを禁じえなかった。
しかし、まだ子供だからこそ、その法が本当に必要かどうか素直に疑問を持ちえたのであろうか。大人は納得しきれなくても、法は法である、とつい言い聞かせ従ってしまうものだ。
モルテンセンを見つめる民衆は、さあどうしてやろうか、と殺気立っていたのだが。さきほどのモルテンセンの、法を三章にまとめる話を聞いてかざわめきが波のようにゆれて、殺気もしぼみだしたか声に荒さがなくなりつつあった。
「これよりは、王のための国や民ではない、民のための国であり王であることを、誓おう」
モルテンセンはモルテンセンで気になることがあった。民衆の中には自分と同世代の子供たちもいて、父や母に手を引かれあるいは抱かれている。
それを見ていて、うらやましさとかなしさを感じた。それはマイアが強いようだ。ニコレットに抱かれながら、母親に抱かれる同世代の女の子をじっと見つめていた。それから、ニコレットの顔を見上げた。
ニコレットは色違いの瞳を光らせ緊張した面持ちをしていた。さすがにセヴナも今は緊張し顔が引き締まっていた。
思わずニコレットの手を強く握りしめれば、優しく握り返される小さな手。
父も母も、もうない。気がつけばいなくなって、メガリシの王宮の一室に閉じ込められていた。
親の記憶も薄い。手を握られたことも、ほとんどない。ニコレットに手を握られて、そのぬくもりを感じるうちに、我知らず涙が溢れ出す。
それから、マイアの様子を見ていた他の子供たちも、つられるようにして泣き出す。大人たちは殺気立っている。それは、子供たちには怖い。ただ怖い。
いかに大義名分をかかげようと、怖いものは怖い。理由もわからない。
胸に詰まっていた感情が、マイアの涙をきっかけにして溢れ出し、声をあげて泣き出し子供たちは次々と泣き出した。
大人たちの叫びにかわり、子供たちの泣き声が耳にぶつけられる。
(大人も、子供も、怒るか泣くかばかり。どうしてこんなことになってしまったのだろう)
ニコレットはマイアの手を握りながら、周囲を見渡し、言葉もない。
モルテンセンは黙って、成り行きを見守っていた。やがて、涙が溢れ、抑えきれずにぼろぼろとこぼれだす。それはまだモルテンセンが十一歳の少年であるという証でもあった。
「万歳、モルテンセン王万歳!」
群集の中から、突如万歳の声が響いた。モルテンセンとマイアの流した涙に心を打たれ、その言葉が真実であると信じられるようになった人々は、
「万歳、万歳!」
「リジェカ公国万歳!」
と、もろ手を挙げて声をあげた。
またたく間にメガリシの都には万歳が轟き、それは空を揺らし、天まで届くかと思われるほどだった。
もう、ポレアス王の時代は終わり、新しきモルテンセン王の時代が始まるのだ。それは開放を心地よく予感させるものだった。
「リジェカ公国万歳!」
「万歳、万歳、万々歳!」
「自由だ、オレたちは自由なんだ!」
喜び勇み、我が子を抱き上げる父親や、変化を喜び抱擁しあう母と子の姿も、ところどころで見受けられた。
モルテンセンは押し黙って万歳の大合唱轟くに身を任せ。マイアはニコレットと手を握りしめ合いながら、兄と同じように万歳の轟きに身を任せていた。
ドラゴン騎士団のコヴァクスとニコレット、治安の維持につとめていたソシエタスとフィウメ独立軍に、赤い兵団のイヴァンシム、ダラガナ、セヴナたちは万歳の轟きに身を任せながら、夢の中にいるようだった。
それから徐々に、それまでの戦いや流浪が夢のようになり、万歳の轟くメガリシの都が現実のものと、入れ替わってゆく。
(ようやく階段を一段上がれたのだ)
皆、長い戦いと流浪の末に、ようやく礎を築けたのだと、感慨深かった。
礎、それは新生リジェカ公国の樹立だった。
だがこれが終点ではない。
今この時こそが、新生リジェカ公国の樹立が、新しき戦いのはじまりでもあった。
万歳の轟きをまことのものとするための、戦いのはじまりだった。




