第十章 樹立 Ⅱ
これを聞いたリジェカ軍、敵の意気盛んなことに驚く。
「なんの、やせ我慢よ。わずか二千たらずで何が出来る。それ、攻め滅ぼしてしまえ!」
肥満した体型に宝石飾りも豪奢な鎧を身にまとう、いかにも庶民の思い描く王様のいでたちをするポレアスの厳命を受け、将兵らは檄を飛ばす。
テハーナ山は谷を挟んで背後に山脈をひかえ、その山脈が壁となりオンガルリとリジェカの国境となっている。コヴァクスやニコレット、ソシエタスはふと、山の向こうの故国に思いをはせる。
(もし鳥のように飛べれば、帰れるのに)
しかし、いつまでも感傷にひたるわけにはいかない、今目の前に現実の戦いが迫り、自分たちを信頼する同志がいる。
「慌てるな、まず敵の動きをよっく見ろ!」
一万五千の軍勢は五千ずつにわかれ、北の谷、南と南東の三つの道から攻め寄せてくる。
山の頂は木が生い茂っていたのを切り開き更地にして砦を築き、それから下るに連れて木の密度を増しつつ、空堀や木の壁、罠を仕掛けている。
傾斜は厳しくなく、頂に至る道もこしらえて馬でも駆け上がれる。南と南東の道のリジェカ軍は騎馬隊が勇ましく突進し、北のリジェカ軍は皆歩兵で谷を這い上がろうとしていた。
「北の谷、寄せ手を迎撃!」
北の谷の様子を見ていたニコレットが号令を下す。
応、という掛け声が響くとともに、矢の雨や、大石や大木が地響きをたてて寄せて向かって落下してくる。
「わあっ!」
という悲鳴がする、矢や大石、大木は容赦なく谷を這い上がろうとしていたリジェカ兵を襲い、追い落とす。
北の谷のリジェカ軍は、これはたまらんと急いで谷から逃げる。大石大木は一旦やんだが、矢の雨は容赦なく降りそそぐ。
「よし、いい感じだ」
コヴァクス力強く頷く。
それに応えるように、南と南東の道から、うわ、という悲鳴が次から次へと響く。山の各所には猪を捕らえるための罠や落とし穴を仕掛けており、道を駆け上がっていた騎馬や山林部の歩兵が多数かかってしまったようだ。
猪の罠につよく足を噛まれてたおれこむ馬や落とし穴に胸まですっぽり落とされ這い上がるのに一苦労する歩兵たち多数。
ふもとからも、援護射撃と矢が放たれようとするが、人のいる箇所までまだ遠いため放つに放てない。かといって前方は罠にかかり前進の勢いをそがれてしまった。
「まて、まて、止まれ!」
「やめてくれ、まだ生きている!」
「踏まないでくれ!」
という哀願の悲鳴がひびき、同じように断末魔の悲鳴もする。
悪いことに前でたおれた馬や騎士や落とし穴にかかった歩兵が障害物となって、幾多の足や馬脚の動きを妨げ、かつ罠にかかったものにつまづいて転倒し、それらを踏みつけにし、刃を交えぬうちから死傷者が出る始末。
「なんという不甲斐無い者どもよ!」
後方で、ポレアスは豪奢な飾りつきの椅子に腰掛け、足をじたばたさせながら自軍の報告を聞きおかんむりだ。
「よいか、何があろうとも決して逃げるな。敵に後ろを見せる者は、斬れ!」
「は、しかし」
「命令が聞けぬのか。勝てば褒美は思いのままじゃぞ」
あまりに短絡的な命令に配下の騎士たちは戸惑いつつも、伝令を使い王命を自軍に伝え広め。
北の谷では、
「ここから攻め寄せるのは難しい」
と言ったものが、隊長によって斬られるということがおこった。
「進め、進め!」
罠にかかった味方を踏みつけにしながらリジェカ軍は山を上ろうとする。
後方ではポレアスお気に入りの騎士が剣を振り回しながら自軍を叱咤していた。その騎馬の足元には、逃げようとした歩兵の斬殺体が横たわっていた。
山へ登れば罠は少なくなるが、味方も勢いも減っていった。
「ええ、騎士の戦をなんとこころえる。野蛮人どもめ!」
リジェカの騎士が怒髪天を突く勢いで激怒する。騎士なら騎士らしく堂々と真正面から勝負せよ、というわけであるが、それならば数を相手に合わせた上でするものだ。
いかにオンガルリ人がお人よしと言われていても、わずかの手勢しかない状況で大軍に攻められて真正面から勝負するほど、お人よしではない。
「この戦が終わったあかつきには、ドラゴン騎士団どもの卑怯を満天下に広めてやる」
数はこちらが多い、力で押せば勝てる。と思っている騎士たちは不甲斐無い転倒者や脱落者を踏み台にして山へ登り、ついに空堀や木の壁の向こうに控えるフィウメ独立軍を目にした。
「はなてッ!」
怒号響き、矢の雨がリジェカ軍に降りそそぐ、さらに北の谷同様大石や、今度は短めに切られた丸太がごろごろ音を立てて転がってくる。
さらにあるものは足元の石つぶてを掴んではリジェカ兵に向かって投げつけていた。
「なんと!」
さあ剣を交えようと意気込んでいたのが、矢や大石に丸太に迫られ、ぶつけられて、
「ぎゃあ」
と悲鳴を上げて一緒に転がってゆく。
櫓からコヴァクスはその様子をじっくりと眺めていた。
「射手! 敵の射手を見ればそれを先に討て!」
「承知!」
リジェカ軍にも多数弓矢の射手あるのを見たコヴァクスの号令を受け、フィウメ独立軍の射手はうまく敵の射手を狙い撃ちにする。
中には矢を射る者もいたが、下に向けて射るのと上に向けて射るのとでは射程距離が違った。上からの矢が届かぬところから射ても相手にはもちろん届かず、登れば登るでその間に狙い撃ちにされてしまう。
北の谷もさっきと同じように、這い上がろうとするところへ、矢の雨に大石や大木が降りそそぎ寄せ手を寄せ付けない。
「いかん、退け、ここは一旦退け!」
北の谷の隊長は王命があるとは言え、これ以上無理に攻めてもいたずらに犠牲を増やすばかりであると、やむなく退却の指示を出した。
「お兄さま、北の谷の寄せ手が退いてゆきます!」
寄せ手が北の谷から逃げようとする。それを櫓から見下ろし、思わず、
「よしッ!」
と叫んで櫓を降りた。ニコレットにそれに続いた。
「ドラゴン騎士団、出番だぞ」
自ら新しい愛馬グリフォンの手綱を引き、コヴァクスは勢いよく跨る。山の頂には、全部ではないが主だった騎馬十頭を連れてきている。コヴァクスのグリフォンにニコレットの白龍号、ソシエタスの龍星号はもちろん、あとの七頭は訓練でも抜きん出た乗馬技術をもった騎士の馬だった。
砦の門の前には、ドラゴン騎士団百名が勢ぞろいだ。
「敵の様子はどうだ」
「敵は我が方の迎撃を受けて浮き足立ち、進むも退くもならぬ様子です」
櫓の見張り番はコヴァクスにそう応えた。いい感じだ。うまくいっている。
「南と南東、どちらがひどい」
「南東からの寄せ手が特に、あ、ま、まってください!」
櫓の見張り番はたいそう驚いた様子を見せて、額に手をかざしてふもとを眺めていた。
「これは!」
あろうことか、北の谷から逃げてきた寄せ手が、味方に逃げ道をさえぎられて、槍や剣を突きつけられている。仲間割れだろうか。
いそぎそのことを伝えると、
「小龍公、小龍公女、今です、ゆきましょう!」
ソシエタス興奮して叫ぶ。
体内をなにか一筋の光が駆け抜けるような直感がコヴァクスとニコレットに閃き、
「開門!」
と叫べば門は開かれ、コヴァクスを先頭にドラゴン騎士団は一斉に山を駆け下る。
「フィウメ独立軍も続け!」
それまで敵を寄せつけまいとひたすら矢を放ち大石を、丸太を転がしていたフィウメ独立軍の兵士たちも、剣や槍を手に山を駆け下った。
ただでさえ浮き足立っていたリジェカ軍は砦からドラゴン騎士団が迫るのを見て、急いで道をあけてしまう者が続出していた。
後方では前方の苦戦を耳にして戦意を落すものが多かった。それが、ドラゴン騎士団が出た、と聞くや、逃げろや逃げろと生存本能の命ずるままに逃げ出した。
「逃げるな! 斬るぞ、逃げるな!」
と騎士たち数名が叫ぶ、しかし効き目はなかった。
後ろから崩れてゆけば、あとは簡単なものだった、それこそ雪崩をうって、山を駆け上がっていたリジェカ軍は反転し我先に山を駆け下ろうとする。
それとは別に、北の谷から攻め寄せていたリジェカ軍は味方に逃げ道をさえぎられて、逃げるなゆけ、と刃で脅されていたところ、
「兵を消耗品としか考えておらぬ無慈悲な騎士や王に、従うのはもううんざりだ」
と完全に切れて、同士討ちをはじめてしまった。
その混乱はまたたく間に広がり、ポレアスのいる後方の本営にも動揺が見えた。
「裏切り者だと、そんな不埒者は成敗してしまえ」
と大声を張り上げたが、騒ぎは収まらない。
彼らは、自分たちが声を出し言葉を発すれば、すべてがそのとおりになると、自然に思っているようだった。
「王よ、これはまずうございます、戦どころではありませぬ」
といった勇気ある進言をする者は、いなかった。
一万五千を三手に分けて、そのひとつが反乱を起こしたのだ。それがぶつかればただではすまない。ただでさえ、数の優位を生かせずに苦戦しているというのに。
配下らはおろおろするばかり。王はますます怒り、
「討て、討て」
と繰り返すばかり。
その間にも、北の谷を攻めていた元リジェカ軍と逃げ道を塞いでいたリジェカ軍の激突は激しさを増していった。
耳を突く悲痛な叫びがこだまする。
ドラゴン騎士団とフィウメ独立軍に押されたリジェカ軍は、競うように山を駆け下り、山から吐かれるように逃げ蜘蛛の子を散らすように散ってゆく。その混乱した兵士たちは本営にまで達し、もはや軍隊の呈をなさぬ有様にまでなっていた。
「リジェカ王はいずこ、我はドラゴン騎士団小龍公コヴァクス!」
「小龍公女ニコレットここにあり、リジェカ王ポレアス、勇気あらば我と雌雄を決せん」
文字通りリジェカ軍を追い落とし勢いに乗ったコヴァクスとニコレット率いるドラゴン騎士団およびフィウメ独立軍は、リジェカ軍が仲間割れを起こしているのを知り一瞬驚いたが、他にとらわれるをよしとせず、まっしぐらにポレアスをもとめた。
混乱が高じ鎮めようがないことは、ようやくポレアスでも気付き逃げようとする。
「これ、わしを逃がせ!」
下僕に命じ輿を担がせ、その上に乗ろうとする。贅沢な生活を送り肥満が高じたポレアスは、馬に乗ることができなくなっていた。
配下らも、我も我も、と一足先に逃げようとする。ポレアスはその様を見て激怒し、
「お前たち、王を守れ、守らぬか」
とわめいたが、聞く耳もないと背中と馬の尻ばかり見せられる。
「おおお、おのれ恩知らずどもめ」
うらめしくつぶやくもどうしようもない。
わなわなと歯軋りするその目の前を、矢が駆け抜けた。ひいい、と悲鳴を上げて腰を抜かせば、ふと赤い色をしたものが目に飛び込んでいた。
「赤い兵団だ!」
という声がした。
見れば確かに、装備は赤一色、見覚えのある顔、イヴァンシムにダラガナ率いる武将集団。
まさしく赤い兵団であった。
「おお、あれはイヴァンシムにダラガナではないか、そうか、予を助けに来てくれたのか」
ポレアスはそう思い、輿を赤い兵団へと行かせようとしたが。先頭の赤毛の少女は、愛馬の紅馬を駆り、こちらに向けて弓矢を構えていた。