第十章 樹立 Ⅰ
ソケドキアの騒動、およびアノレファポリスの破壊。
その報せは四方を駆け巡り、リジェカはフィウメのコヴァクスたちも知るところとなった。
「なんだと!」
報せを聞いたコヴァクスは思わず大声で叫んでしまった。
コヴァクスらドラゴン騎士団とてのんびりしているわけではない、リジェカ公国はフィウメの革命を知り奪還をはかり軍を組織して征伐を企てているという。
それに備え、軍の組織編制や訓練を怠らず、いずれ来るであろうリジェカ軍との戦いに備えているところだった。
無論、信頼のおける者を斥候として四方に派遣し情勢をさぐっていた。その斥候が慌てて持ち込んだのが、シァンドロスの暴挙だった。
王太子シァンドロスは烈火のごとく怒り軍をアノレファポリスに差し向け、破壊をほしいままにす。
アウトモタードロムの要塞で報告を聞いたコヴァクスとニコレット、ソシエタスは口をつぐんで、言葉もなかった。
「あいつ、なんということを」
いかに復讐とはいえ、無用の殺戮などできるものだろうか。
恩ある男とはいえ、こればかりは許せることではなかった。
「彼は、戦争の中で生きた男ということですわね」
そのニコレットの言葉が全てのような気がする。
となれば、いずれは、タールコ同様に強敵となるということか。
これは案じておかねばならぬことだ。
それともう一つ、気になること。故国オンガルリの情勢だ。
情報をもたらすのは斥候だけではない、旅商人や信心深い巡礼の神弟子がフィウメに立ち寄ったときに積極的に要塞やメゲッリのいる庁舎に招き、話を聞くことにしている。
そこで、しばらくオンガルリにいたという旅商人の話を聞くことが出来たのだが、それはコヴァクスやニコレットに強い衝撃を与えるに十分なものだった。
あろうことか、オンガルリはタールコに降伏の使者を送りその領内に組み込まれ、代官も送り込まれているという。
これは、ある意味想定の範囲内ではあったので衝撃は大きくとも、受け止めきることは出来た。
しかし、
「王はわずかな手勢を率いタールコにゆかれ、それから行方知れずでございます。それから、イカンシは討たれて、カンニバルカというお方がかつてのドラヴリフト様の領地を得て、王族の方々を支えておいでです」
と言う旅商人の言葉には、戸惑いを覚えた。
話が見えないというか、王が行方知れずでイカンシが討たれて、カンニバルカという男がかつての自分の故郷を治めて王族を支えているとは、どういうことであろう。
話からすると、王は行方知れずでも、その家族は無事なようだ。しかし、カンニバルカとは何者だ。
旅商人も、それ以上は詳しくはわからないというのでは、聞きだしようもなかった。
「逃げなくても、よかったということ……」
ニコレットは、ぽつりとつぶやいた。
苦難の逃避行の末に、いまフィウメの街とアウトモタードロムの要塞を手にし、これから力を蓄えようとしているのだが。
イカンシがすぐに死んだとなると、逃げなくてもよかったということなのか。
話を聞いたコヴァクスにニコレットは無論、冷静なソシエタスでさえ、全身の震えをおさえられなかった。
それからオンガルリには積極的に斥候を送り込み、その情勢を探り、また旅人の話を乞うた。
それらから聞かされる話も似たり寄ったりで、どうもカンニバルカという男が、オンガルリの中心人物になっているようだった。タールコからの代官もいるにはいるが、ほとんど飾りのようなものだという。
「カンニバルカとは何者か……」
得体の知れぬ男だ。
イカンシがすぐに死んだなら脅威はない、逃げなくてもよいと言ってもよさそうなものだが、それをせずコヴァクスらはほったらかしだ。
一体何を考えてのことであろう。
どうにも、雲を掴むようなことで、考えても埒が明かなかった。
「ここはやむを得ません。今いるところで力を蓄えましょう」
と言うソシエタスの意見に従うしかなかった。
もう季節も冬になっている。雪もちらつくようになった。となれば、国境の山には雪が積もっていることだろう。それではオンガルリに行くことはままならぬ。となれば、情報を聞きだす旅人も少なくなるし、斥候も送れぬし、帰って来れぬかもしれぬ。
オンガルリに向かう斥候には、無理をせず必要とあらば春の雪解けまでオンガルリにとどまれ、と言ってある。
おそらく、本格的にオンガルリの情勢を探りなんらかの手を打てるようになるのは、来年の雪解け以降になるであろう。
フィウメ軍来る!
という報告が飛び込む。
民衆による革命によって、フィウメを失ったリジェカ王ポレアスは、街のみならず面目まで失った気分だった。
それも、オンガルリから流れてきたドラゴン騎士団の小龍公と小龍公女、そしてソケドキア王太子シァンドロスが民衆を焚きつけたというではないか。
ヴーゴスネアの王位継承の戦いもあるのだが、今はそれどころではない。うかうかしていれば足元をすくわれてしまうのではないか。
王位継承の戦いは同じスウボラ派の盟友であるコントレに任せて、一時は奪われた領土回復に専念せざるを得なかった。
「おのれ余所者どもが、何の恨みあって我がこころざしを阻むのか」
呪詛のようポレアスはつぶやく。
確かにコヴァクスもニコレットも、シァンドロスもポレアスには恨みはない。しかし、民衆がポレアスに恨みを抱き、その力を必要としたのだ。
残念ながらそのことに気付く者はおらず、ポレアス率いる一万五千の軍勢はフィウメへと駒を進めていた。
迎え撃つフィウメの街と言えば、基本的にコヴァクスはメゲッリとの話し合いで兵は志願制を採っていた。それまでの徴兵で幾多の若者が苦しみ、またあらぬ道に走ったりして、よいことがなかったためだ。
そのため数の不利は免れ得なかったのだが、呼びかけに応じて馳せ参じた者は、二千にのぼった。
「二千も!」
とコヴァクスは思わず言ってしまうほど、これは予想以上の兵数確保であった。それほどまでに、ポレアスに恨みを抱いているということでもあり、ドラゴン騎士団を信頼している、ということでもあった。
軍の中心となるドラゴン騎士団は百。他はフィウメ独立軍と呼ばれるようになった。総勢で、二千百。
報告を受けてからの動きは素早いものだった。
真正面から立ち向かっても勝ち目はない、そのため、フィウメの街の少し東側にあるテハーナ山に陣を敷き、木を切り倒しまたたく間ににわか造りながら砦をこしらえてしまった。
砦には、龍牙旗がはためく。
さらに砦周辺は木の壁や土をほって作った堀もこしらえられ、他にも狩りで猪を捕らえるための罠も用いられて、張りめぐらされた。
数の不利を補うためには、様々な工夫をせねばならない。
数も少ない、援軍も呼べない。
今こそが、ドラゴン騎士団、小龍公コヴァクス、小龍公女ニコレットの真価が問われるときだった。
不安もあった、しかし、ついに来るか、とコヴァクスら率いる新生ドラゴン騎士団やフィウメ独立軍は怖れることなく、意気軒昂に、手に唾してリジェカ軍を待ち構えていた。
アウトモタードロムの要塞にはクネクトヴァとカトゥカと、メイドたちだけが残った。
「要塞って、広いんだね……」
カトゥカは、ぽつりとつぶやいた。
いつもは騎士たちでごったがえしている要塞だが、その騎士たちがいなくなると、広いものだった。
皆一階の大広間にいるのだが、メイドたちは落ち着かずそわそわして、きょろきょろしている。
まるでその広い大広間が縮まって自分たちを握りつぶしてしまいそうだ、と言わんがばかりに。
「きっと、勝ちます、よね……」
メイドの一人が不安そうに言った。ポレアスはフィウメ奪還のために一万五千もの軍勢で攻めて来ているというではないか、それに対し、こちらは二千とちょっと。普通に考えれば勝つなど、ちょっと、考えられない。
だがクネクトヴァとカトゥカは、
「勝つよ!」
と声をそろえていった。
「大龍公ドラヴリフト様の子供だもん、小龍公コヴァクス様と小龍公女ニコレット様は、すごく強いんだよ」
力説するカトゥカ。だがメイドの不安は消えない。
「オンガルリの大龍公のことは知ってますが……。数が」
「戦いは数ではありません。兵の士気に作戦、様々な要素が組み合わさって勝敗を決します」
ルドカーンからの受け売りを思い出し、不安ないことを説くクネクトヴァだったが、難しいことを言うのですこししどろもどろで、メイドたちの不安を消すことは出来なかった。
かといって、自分たちまで不安に駆られてはいけない。不安は伝播し広がるものだ。
正直自分たちも不安だが、前線の兵士たちのことを思えば……。
「神に祈りましょう」
結局そこに行き着くのが、神弟子らしい言い草だったが、たしかにそれしかなさそうだった。色々考えて不安をあおるより、静かに神に祈ろう。
メイドたちも頷き、皆手を合わせて、神への祈りを捧げた。
砦を築いたテハーナ山は冬の寒さを跳ね除けるほどの熱気につつまれていた。
来い、早く来い、と。
それほどまでに将兵の意気は盛んだった。
砦は山の頂きにあり、四方を木の壁、空堀に囲まれ篭城戦の備えも十分。
しかし、篭城戦は基本的に援軍を当てにしてするものだ。援軍なき篭城戦で勝てるのだろうか。
という少し意地悪な質問を、ソシエタスはコヴァクスとニコレットにした。
ニコレットは色違いの瞳を輝かせて微笑み、
「あなた、何年お父さまのもとで働いたの?」
と言い返す。
「や、これは一本とられましたな」
「わかっているくせに」
横からコヴァクスが突っ込みを入れる。
すでに段取りは整えている。
砦、といっても建物自体は本当に簡素な木造家屋といってもよかった。その中には、紅の龍牙旗が立てられていた。
山にはドラゴン騎士団やフィウメ独立軍の兵士たちが各所に配置されていた。
もうそろそろ来てもいい頃合だ。
と思ったとき、
「来たぞ!」
と物見櫓からの声。
コヴァクスとニコレット急いで櫓に登れば、確かにリジェカ公国軍が迫りまたたく間に山を取り囲んでしまった。
テハーナ山にフィウメの軍勢がこもっていると聞いたポレアスは全軍を山に向かわせ、一斉攻撃による殲滅戦を厳命した。
一万五千の軍勢は喚声を上げて山を上ってくる。
「ようし、いいぞ」
コヴァクスは握りしめた拳を突き上げ、
「各員、戦闘開始!」
と叫べば、応、という掛け声がこだまとなって帰ってくる。