第九章 破壊 Ⅳ
ペンが走るにつれ、戦況報告が入ってくる。
ガッリアスネスは心ここにあらずと、成り行きを見守るしかなかった。
(イヴァンシム殿ら赤い兵団は、これを見越して出てゆかれたのか)
言葉もない。
ふと、北方に目をやった。イヴァンシムら赤い兵団はどこまで行けたのだろう。
イヴァンシムら赤い兵団は、王都を脱するや国境を抜けるまで止まらず、駆けた、ひたすら駆けた。
身の軽さをたもつため、必要最低限の装備しかさせず、蹴球技での球を追うごとく駆けよ、とイヴァンシムは命じ、兵らもそれによくこたえた。
「急げ、今は速度こそが命そのもの」
身を潜めて裏道をゆかず、速く駆けられることを優先し、整備された道をひた走る。幸いに、ソケドキアの貴族や豪族らはシァンドロスのアノレファポリス征伐に参戦し、各所の兵は手薄で、何奴、と詮索させられてもたやすく逃げることが出来た。
しかそれは何を意味するのか。今ごろは南方エラシア地方のアノレファポリスは、むごいことになっているであろう、と思うと、胸が痛んだ。
国境にさしかかり、国境警備隊が様子のおかしい赤い兵団をあやしみ、止まれ! と命ずるも。
「どいてどいて、怪我するわよ!」
セヴナは警備隊を見止めるや蹄の音も高らかに先頭に出て、駆ける紅馬の上にて弓矢を構え、すかさす矢を放った。
赤い鎧姿も勇ましく、紅い騎馬にまたがり身体をひねって弓矢を構える凛とした赤毛の少女の姿は、味方には勇気を、敵には畏怖を感じさせるに十分だった。
「わっ!」
矢は警備隊のすぐ足元に突き刺さり、驚いた警備兵は咄嗟に後ろにとびのいた。それから立て続けに、矢は二本、三本、と警備兵の足元に突き刺さり、警備の仕事を妨げる。
その隙に、赤い兵団は一段と速度を上げて、国境を突破した。
「赤い兵団に、赤い流星セヴナありってね!」
セヴナは弓を掲げて意気込み叫ぶ。
しかし副官ダラガナに「調子に乗るな」とたしなめられ、少し照れくさそうに、
「ごめんなさい」
と舌を出しつつ詫びて、今度はしんがりについて追っ手にそなえた。
しかし追っ手は来ず、赤い兵団は勢いに乗ってアヅーツを駆け抜け、北へ、北へと、ひたすら突っ走った。
その勢いはヴーゴスネアの赤備えと畏敬の念をもって讃えられた赤い騎士たちの勇姿そのもので。イヴァンシムは彼らをよく引っ張り、また兵やセヴナもイヴァンシムによく仕えた。
しかし、彼ら赤い兵団を生かす主は、いなかった。今赤い兵団が一番求めているものは、その主だった。
この走破は、自分たちを生かしてくれる主を求めての逃避行だった。
南方エラシア地方のアノレファポリスは、徹底的に破壊され。
一万の市民が殺され、三万にも及ぶ市民は奴隷として売りとばされた。
狂気と憎悪と怨念とが紅蓮の炎と燃え盛り入り交じり、渦を巻く黒煙は天に昇る。
炎と黒煙渦巻くのを見て、シァンドロスは叫んだ。
「今この時において、アノレファポリスは、滅んだ。喜ぶべきことである!」
破壊や略奪を楽しんでいた兵たちは、シァンドロスの叫びを聞き、喚声を上げた。
もはや形を成す建物などなく、生ける者もない。
このアノレファポリスの地は、ソケドキアの領土となった。それとともに、
「今日よりこの地には、なにもない。無、だ。無、しかない」
人も住まわせず、地名すらつけず、後は風雨に任せる。それがシァンドロスのやり方だった。
女一人のために国が傾くという、死にもひとしい屈辱を受け、その報いとしての滅びがあった。
しかし、フィロウリョウとアントラが欲を出さねばなかったことでもある。
今さらそのようなことを言っても、詮無いことではあるが……。
ヤッシカッズは淡々と記録をつづる。その目は、覚めていた。
ガッリアスネスは、この破壊を見て、言葉のないままだった。ペーハスティルオーンもイギィプトマイオスもシァンドロスの命によく応じ、破壊に加わった。
が、ガッリアスネスはそこまで忠誠を尽くそうという気持ちがなかった。
このアノレファポリスの破壊を見、なにかが変わりつつあった。
ソケドキア軍、神雕軍が王都ヴァルギリアに帰還。王后アンエリーナのはからいにより、盛大な出迎えを受け、シァンドロスは得意の絶頂にあった。
民衆は万歳を叫び、兵や騎士一人ひとりが英雄として讃えられた。
この戦いで、苦心の末敵将の首級を挙げた者は、いないのだが。
その夜王都は、夜を昼にでもするかのように派手にかがり火を焚いて、アノレファポリスから奪った食料や金銀財宝をばらまき、都あげての飲めやうたえやの宴をもよおした。
季節は冬に移り変わり、寒さが肌を刺す。しかし酒と、戦争に勝ったという高揚感が寒さを吹き飛ばし路地には声にならぬ声をあげて半狂乱に叫ぶ者や、人目もはばからずまぐわう男女の姿が多数見受けられ、道徳も恥もあったものではなかった。
それほどまでに人々は酔い痴れていた。
そして、シァンドロスが次の獲物を狙い狩ることを強く望んでいた。
王宮においても同じで、アンエリーナはいたくご満悦で、自身を上座にすえて、王侯貴族による宴を盛大にもよおしていた。シァンドロスはその隣。
皆上機嫌で飲み、食い、うたい、あるものは女官の尻をぺちぺちとたたきながら抱き上げて甘い言葉を交わす。
王后アンエリーナはご満悦で、終始笑みを絶やさない。
(我が時代が来た)
心は、春が来たようだった。
「のう、シァンドロス」
「はい、母上」
アンエリーナはアノレファポリスより奪い去ったアノレファポリス王妃の黄金の首飾りをならしながら、我が子に振り返った。
「そなたも王太子としてなすべきことなし、いよいよ、王になるのじゃな」
王。
そう、シァンドロスの王位継承を望む声は多かった。また、フィロウリョウもアントラもおらず、シァンドロスが王になるしかなかった。
国は傾きかけたが、気がつけば事は順調にはこばれ、全てが望むままである。
「わらわは、王の母」
と言う、アンエリーナの目。
シァンドロスは我が母の目を、笑顔で見つめていた。麗しき親子の愛、とでもいおうか。
その母の目は、光り輝いていた。その瞳の奥底には、情念の炎がたぎっていた。
ぞく、とシァンドロスの背筋に悪寒が走った。
「……」
一瞬、時が止まったようだった。
「いかがいたしたのじゃ」
「……、いえ、少し、用を足してまいります」
そう言うと椅子から立ち上がり、そそくさと大広間をでてゆく。
護衛がつき従おうとしたが、かまわぬ、と言い廊下を一人で歩く。厠へゆかず、一人王宮内をうろうろする。
いくつもの燭台が並べられて、暗さはなかった。しかし、シァンドロスは暗いものを感じていた。
「ねえ、シャンドロス」
と後ろから声をかけるのはバルバロネだった。
会った時のような、勇ましい傭兵の姿ではなく、女性として、ドレスを身にまとっていた。
コヴァクスらと別れてシァンドロスに着いて行ったバルバロネは、シァンドロスの侍女となっていた。
もう傭兵ではなく、女になっていた。
大広間の宴ではシァンドロスと少し距離をとって、他の侍女らとともに飲み食いしていたのだが、出てゆくのを見て後をつけたのだ。
「なんだ、いたのか」
というシァンドロスの顔は浮かない。
侍女の身でシァンドロスをそのまま名前で呼び捨てすればただではすまないので、人前では王太子と呼んでいるが、二人きりのときは、そのまま名前で呼んでいる。もともと王宮作法などなく生きてきた女だ、その方が気楽で呼びやすかった。
「すまないが、一人にしてくれ」
「ひとり? どうしたんだい、なにがあったってのよ」
バルバロネは浮かぬシァンドロスの顔を見て、手を握る。
「気が晴れないならさ、あたしを……」
抱いて、と言おうとしたが、手は離れた。
「今はそんな気分じゃない。すまないが一人にしてくれ」
バルバロネは置き去りにされて、黙って背中を見送るしかなかった。
大広間では、アンエリーナがシァンドロスの後をつけるように出て行ったバルバロネの背中を見据え。
「シァンドロスは愛しい子じゃが、少々つまみ食いが過ぎるようじゃ」
と吐き捨てたのを知るはずもない。
女が欲しいならいくらでもものにすればよい、とはいえ、東方の蛮族の女など、「食あたり」を起こしたらどうするつもりだろう。
「あれを、どうにかせねばの」
といい、肉を指でつまみ、口に放り込み歯でよく噛んだ。
廊下を歩き、そのまま外に出てようか、と思ったとき。今度はヤッシカッズと出会った。
「これは王太子、どうなされました」
「……」
シァンドロスはヤッシカッズに何か言いたそうな顔をしていた。
物思いに耽り、ふう、とため息一つつき、
「ラヌバルとハモーネのことは、そなたに教わったのであったな」
と言う。
「左様。三百年前、ラヌバルは一軍人から身を起こしラヌバル朝ヴーゴスネアを建て、その妻ハモーネは酒場の踊り子の出ながら夫をよく支え、その内助の功は、今でも賢婦の鑑と言われております」
「そうであったな。父と母は、ラヌバルとハモーネをよき手本として、戦ってきた……」
それだけ言うと、無言でヤッシカッズに背中を見せて大広間に戻ろうとした。
政務の途中だったヤッシカッズは、僚友の政務官の待つ政務室へと向かった。
(わしも、そのラヌバルとハモーネに仕えたと思っていたが……)
どうにも、大きな嵐が来そうである。いや、もうすでに来ていて、まだまだおさまりそうにないのだろうか。
それからシァンドロスは長い間戻ることはなかった。
バルバロネはすでに大広間にもどって、他の侍女と何事もなかったかのように歓談していた。
「遅いのう」
いつまで経っても戻ってこないシァンドロスが気になり、アンエリーナは人を遣って探させようとした。
そのときであった。
大広間に数十人からの暴徒が雪崩れ込み、大広間はあっという間に修羅場へと変貌し悲鳴が響く。
武人も多数いるとはいえ、酒に酔いしれている最中、暴徒は刃を閃かせほしいままに殺戮を繰り広げていた。
「な、何奴じゃ!」
と叫ぶや、兇刃はアンエリーナに襲い掛かり、鈍い悲鳴があがる、その身体は血に染まった。
バルバロネは相手から剣を奪い取り無我夢中で抵抗し、大広間から駆け出しシァンドロスを捜し求めた。
「復讐を、復讐を! アノレファポリスの無念を晴らせ!」
暴徒は、あろうことか、アノレファポリスの残党だった。王都に紛れ込み、今の乱痴気騒ぎに紛れて乱を引き起こしたのだ。
いや暴徒はアノレファポリスの残党だけではなかった。
クレオ派の残党も中に含まれており、アノレファポリスの残党とともに、王宮を血に染めた。
王都ヴァルギリアは宴の浮かれた気分を一挙に破壊されて、たちまちのうちに阿鼻叫喚の地獄が舞い降りたようだった。
「警備兵はなにをしている!」
修羅場と化した王宮で、シァンドロスは自ら剣をにぎり母のいる大広間に向かった。
よく組織された神雕軍はこの場で力を見せた。
ペーハスティルオーンにイギィプトマイオス、ガッリアスネスは私服のまま剣を手に部下を率い、アノレファポリスやクレオ派の残党を蹴散らす。
不意を突けたとはいえ、絶対数に劣る残党どもは次々に討ち果たされてゆく。
「シァンドロス!」
ドレスを返り血に染めたバルバロネと出会い、シァンドロスは大広間がただならぬことになっていることを察して、急いだ。その後をバルバロネがついてゆく。
警備兵や神雕軍も合流し、大広間に来てみれば。
鼻を突くような酒と血の臭いが充満し、食器や椅子、長卓に、しかばねが散乱する悲惨な有様だった。
ことに、すでにこと切れているアンエリーナに、暴徒がかわるがわる刃を見舞っているのは、歴戦の戦士でも眼を背けたくなる悲惨なものだった。
「母上!」
叫び声を聞き、暴徒はシァンドロスを見止めると、悪魔のような形相で一斉に襲いかかってきた。
「おのれ!」
シァドロス怖れることなく、剣を振るい暴徒に立ち向かった。それは勇気というよりも、狂気であった。その顔は、暴徒に劣らず禍々しいものだった。
「危ない!」
バルバロネやペーハスティルオーンたちも咄嗟に暴徒に飛び掛った。
暴徒は必死の思いでシァンドロスをしとめようとしたが、死をもいとわぬシァンドロスの狂気に気圧されてか、歯が立たず、そのまま首を刎ねられる有様だった。
続いて残りの残党も、しとめられてゆき。
「無念」
という断末魔の叫びを残し、すべて討ち果たされると。
阿鼻叫喚から一気に冷たい手に背筋を触れられるような静寂があたりをつつんだ。
残党どもが討ち果たされていくらか落ち着きを取り戻してきたとき、王都ヴァルギリアに雪が舞い降りた。
しかし夜空には星星がまたたいていた。
残党どもの遺骸はひとまず太陽の広場に打ち捨てられ、殺された王宮の武官文官に、女官侍女らのなきがらは、大広間を片付けてそこにあつめ、手を合わせて丁寧に横たえた。
王后アンエリーナのなきがらはまことに無残なことになっており、目も見開かれて、今にも飛び起きそうだった。シァンドロス自ら血で汚れながら自ら母を横たえて手を合わせた。
よもやこのような最期を迎えるとは。
あちこちで嗚咽が漏れる。王宮の外では、残党どものなきがらに石をぶつけて、ののしる民衆の声もする。
その一方で、シァンドロスの心の奥底で、これでよかったのだ、とささやくものがあった。
アンエリーナの瞳の奥底に宿るものを見つけてしまい、どこかで、こうなることを望んでいた。
それは、破壊だった。
今までのものが全て破壊されることだった。それから、自分が新しいものを創造しゆくことだった。