第九章 破壊 Ⅲ
「アノレファポリスの姫がたいそう美しいと聞いたアントラは、是非我が花嫁に欲しいと王に懇願し。王もそれを聞き入れたのじゃが、それで、あのざまじゃ」
いうなれば色ぼけで、アントラは人生を終わらせ、ソケドキアはそのとばっちりを受けた、と言える。
色で身を滅ぼす王や王子は多いが、アントラもその中の一人だったということだ。そんな王子を世継ぎにしようと本気で考えて、さらに暗殺団を遣わしてまでシァンドロスを亡き者にしようとしたフィロウリョウの考えは、どうであろう。
残念ながら、フィロウリョウは戦場にあっては優れた戦士であったろうが、王としての器は小さいといわざるを得ない。
シァンドロスの身体の震えは止まらない。
薄々感じ、見たくないと思っていたものを見て、震えるばかり。
「いいや、もうわらわも、なにがどうなっておるのか、ようわからぬ。あるのは、乱、そればかりじゃ。愛おしい我が子よ、母の思いを受け止めてくれるか」
アンエリーナは泣いた。
シァンドロスは一歩前に進み、母の手を握る。
「まずは報復を。アノレファポリスに、恐ろしき報復を」
アントラがどうなろうと知ったことではないが、父王までアノレファポリスの姫の手にかかり、ソケドキアは混乱した。
アンエリーナが手を打たねば、どうなっていたことだろう。
この暗殺事件はもう周辺諸国に広まり、ソケドキアの汚点として後々まで残るだろう。
これがリジェカにも広まり、コヴァクスらドラゴン騎士団も知ることになるのは容易に想像でき、それはシァンドロスには耐えられぬ屈辱だった。
政変で国を追われた者を助けてやっても、その者に故国の政変を知られ同情をされるなど、どうして許せよう。
「母よ、朗報をお待ちあれ」
シァンドロスは、母に優しく言い。羊皮紙を握りつぶした。
王太子と母の、積もる話を漏らすような面会をよそに、赤い兵団団長イヴァンシムと副団長ダラガナは、王宮の一角にある一室で、ガッリアスネスとその師ヤッシカッズと顔を合わせていた。
ガッリアスネスは王宮に着くや師ヤッシカッズにうながされ、イヴァンシムとダラガナと会い、シァンドロスとの旅のことを語った。
イヴァンシムは恰幅のよい体型、六十に近く髪も白く、やや角ばった面持ちで、目を閉じ気味に顔をしかめいる。しかし威圧感はないが、軽さもない。ぱっと見、雲のような人でありながら同時に重さも感じさせた。
それに仕えるダラガナは長身で顔も体型も整い、騎士然としている。
それらと相対するヤッシカッズは小柄で丸みのある体型に、ふっくらした頬が印象的な好々爺だった。長年ヴーゴスネアの文官として働き、今はソケドキアに仕えながら、後世に残すべき歴史を書きとどめることに熱心だった。
ガッリアスネスは幼少のころから知っており、勇気と文才を兼ね備えているのを見抜き、よく育てたものだった。
この四人の間に朗らかな雰囲気はない。
イヴァンシムはヤッシカッズとガッリアスネスを見据えて、
「では、我らは今すぐに、国を出てゆきます」
と言うではないか。
驚いて、なぜです、ガッリアスネスが問えば。
「残念ながら、我らは、ソケドキアに忠誠を抱けません」
と言い放った。ガッリアスネスは開いた口がふさがらない。しかしヤッシカッズは平然とし、もっともなことだ、と頷く。
「ガッリアスネス、あなたにどうしてもと説得されて、ソケドキアに赴いたが、どうにも……」
イヴァンシム率いる赤い兵団はシァンドロスと出会い、ソケドキアにゆくことをすすめられた。最初は断っていたのだが、ガッリアスネスが、せめて我が師と会い話をしてからでも、と言うのを聞き、そこまで言うならと、ソケドキアに赴いた。
そこで王后アンエリーナとも会った。
「これは、いかん」
という直感が閃いた。ヤッシカッズも、
「弟子が迷惑をおかけした」
という始末。
そんなことを聞かされて、ガッリアスネス立つ瀬がない。
それでもガッリアスネスが帰ってくるまで待ったのは、せめて一言非礼を詫びようと思ったからだという。もっとも、帰ってくるのが遅れれば、やむなく出てゆくつもりであった。
「ならばせめて理由をお聞かせ願えませんか」
イヴァンシム、多くを語らない人柄。むっつりと黙っている。ダラガナも多くを語らず。四人顔を合わせてから、さほど言葉を交わせていない。静かにガッリアスネスの言葉を聞いて、リジェカにゆくと言ったのみ。
「それは言えません。だが、いずれわかります」
ぽつりと言った。
「それはどういうことです……」
「いずれわかります」
「道中ご無事で」
唖然とするガッリアスネスを横目に、ヤッシカッズは一歩前に進み、イヴァンシムの手を取り別れの挨拶を告げた。
これでおしまい。
あとは言葉もなく四人歩き、部屋を出て、別れた。
外に出れば太陽は下界を照らし、影が地にうつる。王宮の中庭を通る通路は太陽の恵みの光を受けて暖かいが、心の中はなぜか寒かった。
ガッリアスネスはうつむき、ヤッシカッズは一歩歩くごとにふっくらした頬が揺れる。
「戦がはじまる」
「は……」
「アノレファポリスとの戦がな」
「はあ……」
「いやな仕事をせねばなるまい」
「……」
師匠が何を言いたいのか、ガッリアスネスにはわからないが、薄々と心に浮かぶものがあった。それは薄氷のような、触れづらいものだった。
イヴァンシムは赤い兵団の兵たちが待つ、王宮郊外の広場に来た。
その数は二百ほど。そのうち騎兵は二十ほど。その広場は戦争での出陣のとき軍隊の集う広場で、四方に国旗はためき、太陽の広場と呼ばれていた。
が、普段は庶民のいこいの場で幼子たちの無邪気な笑い声も響く。
そこに、ものものしい武装集団が、しかも武装は赤色一色なものだから、人々は驚き遠巻きに眺めている。
広場にいる名目は、野外訓練。王宮にも通達しているので、疑いの目を向けるソケドキア騎士は、まずいない。とはいえ、訓練は偽りである。が、そのことは赤い兵団の中でも通達済みであった。
数はわずかだが、一人ひとりが精悍な顔をし、歴戦の勇士として男臭さを存分に漂わせていた。
赤い兵団は、敵に勝つ戦いよりも、味方を、民衆を救う戦いに全てを賭けた兵団である。
イヴァンシムは彼らを見るとむっつり顔をほころばせた。
シァンドロスの誘いとガッリアスネスの説得でソケドキアに赴いたのだが、思うところあって長くはとどまることなく、反転するように北を目指すことになった。
赤い兵団の騎士たちはくもった顔をしていたのが、ふたりの姿を見ると、ほっとしたような顔をする。
その中に紅一点ともいえる十七の少女、セヴナもいた。赤い鎧姿と腰帯に佩く剣も勇ましく、長い赤毛を頭の後ろでまとめ、ぱっちりとした目と溌剌とした明るさが印象的な少女だった。
父と慕うイヴァンシムの姿を見て、瞳が輝く。それは他の兵らも同じだった。
兵たちは同じ釜の飯を食う兄弟でダラガナが長兄、イヴァンシムは父親のような、というべきだろうか。
そんな一体感が、赤い兵団にはあった。
「さあ、ゆこう」
「はい!」
周囲の人々は、あれが赤い兵団か、と物珍しそうな顔をして赤い兵団を見つめていた。
人々の視線を受けて訓練に赴く赤い兵団は、訓練というにはどこか、明るい顔をしていたが誰もそのことに気づく様子もない。
「盟友の待つところへ」
イヴァンシム率いる赤い兵団は王都を出て訓練をせず、リジェカへと駒を進めた。
母との面会を済ませたシァンドロスは、ただちにソケドキア軍に招集をかけた。
王宮はあわただしくなった。
それとともに、熱も帯びてくる。
王太子帰還の報せはソケドキア中を駆け巡り、収集をかけられずとも自ら馳せ参じる騎士たちが続々と集い。太陽の広場は鼻息の荒い兵士たちでごったがえした。
入りきれぬ者たちは首都ヴァルギリア郊外で待機している。
その中に、赤い兵団がいない。訓練から帰ってこないまま、ということを聞いてシァンドロスは舌打ちし、
「奴らを買いかぶりすぎた」
と吐き捨てた。
どういう理由か知らぬが、無断で国を出るなど許せぬことである。あとで報いねばなるまい。
ともあれ、今はアノレファポリスである。
広場には万を越える兵がひしめき、シァンドロスを待ち焦がれている。
どっと、喚声が上がった。
新しき愛馬ゴッズに跨る王太子が姿を現すや、竜巻でも昇るかというくらいの熱気が渦巻き。
首都ヴァルギリア隅々にまで、熱気は駆け巡った。
「待たせた!」
シァンドロスが第一声をはなてば、喚声も熱気とともに渦巻いた。
「長い間故国を空けたこと、王太子として謹んで詫びよう」
第二声をはなてば、なにをいわれます、我らは王太子を信じておりました、などなど、シァンドロスを待ち焦がれていたという声がところどころ響いた。
「予が諸君を必要とするところ、承知であろう。卑怯にもアノレファポリスは色と刃をもちい、我がソケドキアを滅ぼそうとした。その罪、許しがたい」
シァンドロスの声がはなたれるたび、声にならぬ声がこだまし、渦巻き、天まで届きそうだった。
「この罪、我らの剣のもとに償わせる以外にない。アノレファポリス、滅ぶべし!」
「滅ぶべし!」
「滅ぶべし!」
「滅ぶべし!」
滅ぶべし、という大合唱がこだまし、軍のみならず民衆、女子供までが、アノレファポリス滅ぶべしと唱え。
広場は、王都は異様な熱気に包まれた。
「我が精鋭たちよ! この戦いは、新しき時代への幕開けである。それにともない、今広場にいる我が精鋭たちに、新しき称号、神雕軍という名を送ろう!」
どっ、と喚声があがる、無数の拳が天まで届けと突き上げられる。
神雕軍という名はいずれ己のための軍勢をもちたいと願っていたシァンドロス自らが考え出した名であるのは言うまでもない。
旅のときこそ私兵同然であったが、それをソケドキア正規軍の名称にすることで、騎士や兵らは、シァンドロスと同じ輪の中に入れたという喜びを感じるのであった。
それは、アノレファポリスへの復讐心をいやがうえでも燃え上がらせた。
「さあ、我が精鋭たちよ! 隊列をととのえ、前進し、アノレファポリスを地獄の業火につつんでやろう!」
愛馬ゴッズにまたがり猛々しく咆えるシァンドロス。
その目は魔法にでもかかったように、異様なまでに光り輝いて。その瞳の中には、すでに地獄の業火が燃え盛っていた。
馬蹄、軍靴の響きが王都をゆらし、民衆は口々に「地獄の報いを!」と叫びながらソケドキア軍、神雕軍を見送った。
その先頭には、太陽をあしらったソケドキア国旗と、神雕をあらわす大鷲があしらわれた大旗が堂々と掲げられていた。
ソケドキア軍来る!
アノレファポリスは恐慌をきたしていた。
家財をまとめ逃げ出す都市の民が、路地にごったがえし、怒号や子供の泣き声が響きわたっていた。
軍は守りを固めつつ、アノレファポリスの王、デーヴァイはかつて敵対していたスパルタンポリスを初め諸ポリスに使者を出し援軍を要請したものの、これことごとく断られたり追い払われるか、殺されるかした。
スパルタンポリスに遣わされた使者などむごいもので、王レオニゲルに、
「ここはスパルタンポリス。これが我が流儀だ」
と言われ、剣を突きつけられて脅された挙句に、処刑に使う大穴に蹴り落されてしまったために音沙汰なく、アノレファポリスの人々を不安に駆らせた。
デーヴァイは国家安泰をはかりソケドキアに完全隷従することを覚悟し、娘のトーミーコヒノを未来の王であるアントラに嫁がせたが、まさかあんなことになろうとは。
民はことごとく逃げ出したようだ。兵も守りを固めさせているが、シァンドロスやソケドキア軍の強さを知っているために、腰が引けてどこまで戦えるのか。
「降伏を、使者を」
デーヴァイはうろたえながら、シァンドロスにも使者を出した。
だが、スパルタンポリスに遣わした使者同様、いっこうにかえってこない。
希望はなく、絶望が嵐のように迫っている。それに対し、なすすべもなかった。
逃げ場などない。
諸ポリスからも見捨てられ、逃げ込むことも拒否され、どうしようもなかった。
「もはやこれまで」
デーヴァイは思いあまり、剣をもって、自害した。どうせシァンドロスに無残に殺されるくらいなら、と。
残された一族や近習たちは、我を失い競って逃げ出そうとした。
だが、彼ら彼女らの目に飛び込むもの。
アノレファポリスを取り囲む、ソケドキア軍、シァンドロス率いる神雕軍の大軍であった。
各所に旗が掲げられて風を受けてはためき、旗とともに掲げられる槍には、途中で捕らえたであろうアノレファポリスの市民とおぼしき者たちの首が穂先に刺さり、その中には、使者の首もあり、光らぬ半開きの目は空しく故国の都市国家を見つめていた。
地獄より降臨した獄卒たちが、生ける者たちを次々と地獄に送り込んでゆく。
刃が閃くたびにおびただしい血が流れ、真っ赤に燃え盛る炎はアノレファポリスの都市をつつみ、地の底より響いて漏れ出すように人々の悲哀と絶望のこもった悲鳴と、獄卒たちの悦楽の笑い声が交互にこだまする。
「我が精鋭たちよ、この地上から、アノレファポリスを消し去るのだ!」
シァンドロスは容赦がなかった。その言葉通り、建物はすべて破壊し、人間は女子供であろうとも許さず屠りつくそうとし、アノレファポリスの存在そのものをなきものにしようとしていた。
戦いらしい戦いはなかった。
ただ、一方的な虐殺だけがあった。
ガッリアスネスは師のヤッシカッズとともに後方で虐殺の様子を見、呆然としていた。
行軍途中、迂闊にも落馬し肘を痛めた。そのため、シァンドロスは後方で休ませることにしたのだ。
が、それはヤッシカッズがさせたことだった。
「落馬せよ。受け身をとらず。さもなくば破門にする」
と言うものだから、ガッリアスネスは困惑しつつ師の仰せのとおりにしたわけだが。なるほど、その意味が解った。
ヤッシカッズは愛弟子を虐殺に参加させぬようにしたのだ。ガッリアスネスとて歴戦の勇者であり、無用な慈悲などもちあわせておらぬのだが、さすがに今回はどうしようもない気持ちにさせられるものだった。
天に昇る黒煙は風に揺られながらもどす黒くうずまく。それはアノレファポリスの怨念が黒煙となって昇っているように見えた。
「……」
ヤッシカッズは何も言わず、幕舎に戻り、ペンを取り淡々と従軍記録をつづっていた。
卑怯にもソケドキアを陥れようとしたアノレファポリスは、哀れ王太子シァンドロスの怒りにふれて、自ら望んだ罰を受け、それことごとく灰燼に帰す。……
ヤッシカッズの握るペンは羊皮紙の上を滑らかに走り、ソケドキアがアノレファポリスを滅ぼす様を書き出している。
先日言ったいやな仕事とは、このことだった。
その怒り、天空の神々の都、天都を落とすかのごとし。
という風に、ヤッシカッズはシァンドロスの怒りようをつづった。




