第九章 破壊 Ⅱ
シァンドロスの顔が強張る。
「そなたの勇気を理解せずに、クレオにたぶらかされるままに、愚かにも王はアントラごときを世継ぎにさだめたのです」
「……」
シァンドロスは羊皮紙をもったままかたまっている。
脳裏に六年前、十五のある夜のことが思い起こされていた。
シァンドロスは十五の年に初陣を果たし、勇戦し手柄を立てた。
初陣の敵は南方エラシア地方のポリス群の一つ、スパルタンポリス。
アノレファポリスはスパルタンポリスと戦争を繰り広げており、苦戦し、新興国ながら強い軍事力を誇るソケドキアに助けを求めた。
フィロウリョウはそれを受け、丁度年頃となったシァンドロスに軍を持たせて援軍に行かせたのだった。
初陣の十五の少年将軍が勇猛で知られるスパルタンポリスの軍隊とまともに戦えるのか、と疑問視する者もいたが、シァンドロスはペーハスティルオーンにイギィプトマイオスの協力を得て、みずから先頭に立って奮戦し。
さらに勇敢にもスパルタンポリスの、猛将で知られる将軍、スリハンドレトに一騎打ちを挑み、見事討ち取って首級を挙げた。
戦争の仕方も上手く、ただ正面から激突するだけでなく、作戦を練り自軍が有利になるよう戦いを進め。スパルタンポリスとの戦いはまさに百戦百勝の勢い。
スリハンドレトが若いシァンドロスに敗れたのも、作戦負けをして心に焦りがあって戦いに集中できなかったからだろうと言われている。
勝利するために遺憾なく発揮された才能は、鬼才と言ってもよいだろう。
十五の少年ながら将軍としての勇気と才能とを見せ、南方エラシア地方においてその勇名を一気に広め、畏れられた。
同盟を結んだアノレファポリスからも厚い信頼を得て、ソケドキアとアノレファポリスはそのまま同盟を結び、それがソケドキアの南方進出の足がかりとなり。
ソケドキアの後継者はさだまったかに見えた。
思えば、その初陣で勝利したことが、今につながったのだろうか。
故国に凱旋し、父は喜ぶかと思ったが。そうは問屋が卸さなかった。
戦勝の宴が王宮で華々しく催されたのだが、フィロウリョウはその宴の席で、
「そなたは己の未熟もわきまえず、スリハンドレトに一騎打ちを挑んだと聞いた。たまたま運よく討てたからよかったものの、もし敗れたらどうするつもりだった。そなたは自覚が足らぬ」
と、小言を言う始末。
そこですめばよかったのだが、それからアントラを出し、
「アントラは、そのような浅はかなことはせぬであろう」
とまで言うではないか。さすがにシァンドロスも勝利の酔いに水をかけられて無理矢理覚まされたような不快感をおぼえざるをえなかった。
「勝つことは、よくないことなのでしょうか」
「なに?」
宴の席で、父と子が、にらみ合った。臣下たちは固唾を飲んで見守り、緊張が走った。
フィロウリョウは、シァンドロスが勝ち、帰ってきたことがなぜか気に入らないようだ、と素朴に疑問を抱く臣下もいたが、アントラの名が出たところで、これは深い問題だとさとった。
そのアントラも宴の席にいる。その目は十三の少年にしては、妙に冷たくシァンドロスを見据えていた。
フィロウリョウは、その冷たい目を愛おしく見つめると、シァンドロスを睨みすえる。
「その目、アンエリーナにそっくりじゃな、愛情のない、冷たい目」
シァンドロスの眉がつりあがる。
もとは旧ヴーゴスネアの一軍人だったフィロウリョウは、戦乱に乗じて独立し国を興した。妻アンエリーナは、一軍人だったころに知り合った酒場の踊り子だった。それに対し側室クレオは、戦乱の混乱に紛れて強奪した旧ヴーゴスネアの貴族の娘だった。
アンエリーナは美しいが強気で奔放な性格で、ときにもてあますこともあった。それに対しクレオも美しさは引けを取らず、教養もありおしとやか、さらに血筋がそうさせるのか、どこか、至上の雰囲気を持ち合わせていた。
となれば、自然と、クレオが可愛くなる。その子も可愛くなる。
最初心を開かなかったクレオだが、母と子ともに大事にされることで、フィロウリョウを慕うようになった。えこひいきもはじまるようになった。
そのえこひいきを、アンエリーナとシァンドロスは、血の滲むような思いでこらえてきた。
それを察しつつ、クレオの心に、我が子をフィロウリョウの世継ぎに、という気持ちが芽生えるのも、自然なことだったろう。
「私は戦いに勝ちました。父から仰せつかった役目を果たしました」
「いい気になるな!」
父は酒盃をシァンドロスに投げつけた。避けずに、これを敢えて受け、額に当たるに任せ、痛みを堪えた。
「ソケドキアの王太子ならば、その程度できて当たり前。アントラにもできる」
気がつけば、剣を握りしめていた。場はざわめきだす。
「本性を顕したな、女狐の子め」
「母を女狐とおっしゃられましたね」
「おお、言ったとも。アンエリーナの奴が、我が軍才に目を着け、玉の輿に乗ることしか考えてなかったのを、見抜かぬと思ったか」
「しかし、母は王后としての役割を立派に果たしているではないですか」
「ふん。権力に執着することを、役目を果たすと言うのか。これは面白い」
「いかに父とはいえ、許せるものではありませぬ。どうかお取り消しを」
シァンドロスは剣を握りフィロウリョウに迫った。しかし、父王は嘲笑するばかり。
「兄上、ここは祝いの席でございます。そのような乱暴をはたらくものではありません」
アントラの冷たい言葉。冷たい目。フィロウリョウはそれを聞いて、大いに笑い、喜ぶ。
「アントラはな、違うのだよ」
「なんですと」
「シァンドロスとは違うのだよ、シァンドロスとは!」
心の中で、何かがするりと抜け落ちるのを感じた。臣下たちの前での、あからさまなえこひいき。それが何を意味するのか。
「世継ぎはアントラと決めている」
ということだ。
手柄を立てても、その母への愛着の違いから父から蔑まれる十五の少年の心はどのようなものだったろう。
また逆に、母への愛着だけで、手柄を立てぬうちから父に過保護に育てられた十三の少年の心はどのようなものだったろう。
戦争に勝利して帰還しても父は喜んだようではない。ということは……。
(父は、オレに死んでほしかったのか!)
まさかと思った、思いたかった。
なりませぬ、とペーハスティルオーンやイギィプトマイオスらは慌ててシァンドロスをいさめて、その場は事なきを得た。
しかし父子の関係は冷め切ってしまった。
臣下もそれにともない、将来を見据えて、アンエリーナとシァンドロスに着く者、クレオとアントラに着く者とに分かれたが。
血筋だけでは持ち得ることのできない、内からの輝きとでもいおうか、それはアンエリーナとシァンドロスに分があったようで。徐々にでも数はアンエリーナ、シァンドロス派がまさるようになっていた。
それでもフィロウリョウはそれを察しつつも無視し、シァンドロスとアンエリーナに会わず、クレオやアントラとばかり会った。
アンエリーナは、夫からの屈辱に身悶えする思いで、唇を噛みつつ、
「シァンドロスよ、ここは堪えるのです。そなたが持つ王の大器を磨くことに専念しなさい」
と我が子に言い聞かせ、シァンドロスもそれをよく聞いた。
あの初陣から、父はシァンドロスを戦場に送り出すことはせず、王宮に閉じ込めようとした。王宮に閉じ込め、腑抜けにするつもりだったようだ。
その間にもフィロウリョウはソケドキア王として戦争を繰り広げ、南方を押さえつつ北方アヅーツに侵略しこれを滅ぼす寸前まで追いつめていた。
アントラも父に従い従軍し、父や臣下に助けられ、そこそこ手柄を立てた。
滑稽なのは、臣下の討った敵将の首級を奪い、アントラに持たせて。
「アントラの戦いは見事なものだ!」
と喧伝したことだった。
戦場を駆け巡るアントラを誰も目撃していないからすぐにばれたが、いかに呆れていようとも王がそうする以上は、文句も言えなかった。
臣下の中で、シァンドロスの王位継承を望む心は大きくなっていった。あの十五の初陣の戦いぶりは、いかに王権をもって掻き消そうとも掻き消せるものではない。
しかしフィロウリョウはシァンドロスを王宮から出そうとしない。
「このままでは、父に全てを持っていかれて、オレの取り分がなくなってしまう」
業を煮やしたシァンドロスは、国を出る決意をした。
勇敢な若者たちをあつめ、独自に神雕軍を組織し、己の戦場を求めて旅立った。
コヴァクスらとはそんな時に出会い、ドラゴンの夜の革命に導いたのは夢にも思わぬことであったが、まさに大空を翔る大鳥になったような、開放感に満ち溢れた旅だった。
その旅で己の力で国を興すつもりだったが、あらぬところで帰ることになったのも、夢にも思わぬことだった。