第八章 革命 Ⅵ
大馬は気が荒くなり、四つの蹄は幾度も地を踏みつけそう簡単には落ち着きそうになかった。
神雕軍の兵士たちは、仲間がやられたことで、この馬を殺そう、とまで言い出す。しかし、シァンドロスはそれを許さなかった。
「殺すな! 殺せば、殺した者は打ち首だぞ」
だからと言って大馬がその温情に感謝する、などということはなく、誰一人としてよせつけない。
そんな大馬へシァンドロスはずかずかと歩み寄る。
「何を考えている」
あんな暴れ馬がまともな軍馬になるわけがない。コヴァクスはニコレットらと離れたところで成り行きを見守っていた。
とにかく人と見れば、蹄の餌食にせんと迫り踏み潰そうとする。兵士たちはひたすら逃げる。その暴れっぷりに、さすがにシァンドロスも、足を止めた。
あきらめた、と思ったが、なかなかどうして、顔は満面の笑みを浮かべている。
大馬はシァンドロスを見ると、すかさず突進する。
「あ、王太子を守れ!」
歩兵が槍をかまえて大馬をさえぎろうとするが、あろうことか、大馬は素早い動きで槍をかわしたばかりか、大口を開けて兵士の腕に顔に噛みついたではないか。
「ぎえ」
という鈍い声の悲鳴があがる。なんと頬の肉を噛み千切られ、歩兵は槍を捨て顔をおさえてのたうちまわり、そこへ容赦ない蹄。
避けることかなわず、そのまま踏み潰されてしまった。
「おぬし、人食い馬であったか!」
シァンドロスはますます喜悦はかりなしと、笑みをたたえる。
部下を三人も殺したのもおかまいない。
「ええい、やむを得ぬ」
コヴァクスは大馬に立ち向かおうとした。
シァンドロスが殺すな、と言ったおかげで神雕軍の兵士たちは大馬をもてあました挙句三人目の犠牲者が出てしまった。しかし殺せば主命に逆らうことになる。
となれば、対等の仲間であるコヴァクスがやるしかない。
だがシァンドロスは己に向かって突っ込んでくる大馬に、自らもまた駆けて突っ込んでゆく。
「よせ、やめろ!」
大馬に執心するあまり正気をなくしたのか。とさえ思える行動に、コヴァクスは内心、もうだめだ、とさえ思った。
距離は接近し、蹄がシァンドロスに迫る。
それをかわし、無理矢理でも手綱をつかみ、素早い動きで飛び乗ったシァンドロス。その身のこなし、思わずコヴァクスは馬を止めて見入ってしまった。
「どう、どう!」
両の足に力を込め暴れる大馬にまたがり、手綱を引く。今はどうにかもちこたえているが、どこまで持つことやら。
神雕軍の兵士たち、ペーハスティルオーンにガッリアスネス、イギィプトマイオスはどうにか大馬に迫り、シァンドロスをすくおうとするが、なかなか近づけない。
(まったく、どうなっても知らんぞ)
コヴァクスは怒りを通り越し呆れ、成り行きを見守ることにした。ニコレットらも同じだった。
バルバロネは、瞳を輝かせて、シァンドロスを見つめていた。
シァンドロスには勝算があった。
馬を太陽の傾く方向に向けさせようとしていた。大馬が特に暴れるのは、太陽から背を向けたとき、すなわち己の影が見えるとき。
「ゴッズよ、心を落ち着け、太陽をおがめ」
手綱を操り、太陽に背を向けず真っ向と向き合わせる。そうするうちに、大馬は徐々に落ち着きだしてくる。
「シァンドロスの奴、そういうことか」
おそらく、シァンドロスがゴッズと名づけた大馬はまだ若く、三歳くらいだろうか、影というものがわかっていないようだ。太陽に背を向けたときに見える影が、常に自分を追うように思え、それで暴れだすのか。
神雕軍の兵士たちは、大馬が落ち着いてきているのを見て、思わず喚声を上げる。
ついに、顔を太陽に向けて、ゴッズは落ち着き。シァンドロスを新しい主と、己の背に乗せている。
乗馬術は、言うまでもないことだが、シァンドロスがはるかに勝っているようだ。ゴッズも新しい主の扱いに親しみを覚えたようで、素直なものだった。
「さすが王太子!」
すかさずイギィプトマイオスがシァンドロスを讃えた。ガッリアスネスにペーハスティルオーンが続けば、兵士たちも、我が王太子よ、と讃えだす。
兵士が三人も犠牲になり、殺気立たぬわけもなかったが。大馬を手中におさめたシァンドロスの器量が、一気にそれを鎮めた。
その一方で、グリフォンは新しい馬に主を取られて寂しそうにしている。かと思えば、ぱかぱかとコヴァクスのもとに歩み寄り、龍星号と鼻をつっつきあわせた。
「お前……」
コヴァクスは、というか龍星号はグリフォンを哀れんでか、なぐさめるように鼻先を向け合っている。
「これからは、ゴッズが我が愛馬だ。コヴァクス、グリフォンはお前に譲ろう」
譲るというよりこれ幸いと、昔の馬をコヴァクスにていよく押し付けた、というのはわかった。
なんて奴だ、と思いつつ、丁度ソシエタスが馬を失っているため新しい馬が必要だと思い出すと。シァンドロスの意をくみ、龍星号から降りてグリフォンにまたがる。
「ソシエタス、龍星号をそなたにやろう。前々から目をつけていたのを、オレが知らないとでも思ったか」
いたずらっぽく笑い、手綱を差し出す。その通り、ソシエタスは自分の馬がありながら、龍星号にひそやかな思いを持っていたのだったが、コヴァクスはとっくにお見通しだったのを知り、苦笑いしつつ嬉しそうに、
「では、お言葉に甘えて」
と龍星号に乗った。
「さて、賊はたおした。アウトモタードロムの要塞で、宴としゃれこもうぞ」
シァンドロスはご機嫌で、神雕軍を率いて要塞に向かい。コヴァクスたちも、続いた。
ヴーゴスネアに来てどれくらいが経ったか、さほど経ってはいないのだが、長い苦難と戦いと、野生にもどっていたすえに、ようやくまっとうな棲家を得られたようで。
陰謀により国を追われたのが、はるか昔のようにさえ思えた。が、これで終わりではない、これからが、始まりなのだ。
要塞は中は思ったほど荒らされてはいなかった。
要塞は石のレンガ造りの三階建て。一階は大広間および大食堂で、騎士の会議や学問の授業、食事に使用され、二階三階は騎士や使用人の居住空間となっていた。
また要塞の四方を取り囲むように見張り櫓や控えの小屋が建てられていた。さらに石のレンガの壁がそれらをぐるりと取り囲んで、その外側には空堀が掘られていた。
堀を渡る橋はもちろんひとつ、鉄扉の門もひとつ。また、山を上り下りする道も一本、北東の方角のみに整備されていた。
若い騎士はここで、篭城や城攻めの訓練もおこなっていたようだ。
留守番の賊徒がいないわけではなかったが、神雕軍が来るや一目散に道なき道を駆けて逃げ出して、狼藉を働く者はなかった。
馬舎もととのい、要塞としての機能は十分果たせるだけの能力も残っている。
それは、どこからかさらってきた男女をこきつかってきてのことだった。
要塞にそんな人々がとらわれているだろうというのは、想定内のことで驚くことはなかったものの、みな生気はとぼしく、最初神雕軍やコヴァクスらを見たときはひどくおびえていたものだった。
しかし、山賊どもは討ったこと、人々を解放することを告げると生気を取り戻し、進んで要塞の掃除や食事の支度をしてくれるようになった。
宴は要塞の大食堂でひらかれた。
大食堂は百人はかるく収容できる広さで、長卓が十列ならび、一列につき椅子十脚がそなえられていた。
長卓には要塞そなえつけの兵糧や酒がふんだんに並べられ。皆心と腹とをうるおし満たしてゆく。エリプマヴどもはよく溜め込んでいたものである。
「これは山賊が人々から奪ったものでは」
「かまわん。あとで、刃でもって返せばよい」
コヴァクスが気にかけるのを、シァンドロス実に簡単に言い返した。そんなことをいちいち気にしていては飢え死にしてしまうというものだ。
さらにとらわれの人々を宴に招き、酒や食べ物を好きなだけ振舞ったものだから、
「命あってのもの種とはよく言ったもので。神は我らをあわれみ、あなた様方をつかわしたもうたのでしょう」
彼らは神雕軍やコヴァクスらを神の使いにして喜びを噛みしめていた。
「恩と思ってくれるなら、ソケドキア王太子シァンドロスと神雕軍、そしてドラゴン騎士団のことを忘れず、人々に功をつたえひろめてくれ」
しっかりと、シァンドロスは念を押す。とらわれの人々は、深く事情を聞こうともせず、素直に「はい!」と言った。
本物かかたりかどうか、ということより、自分たちを助けてくれたという事実が、とらわれの人々にとって大事だった。
「いや愉快愉快」
という上機嫌な声が聞こえた。
コヴァクスも、ニコレットも、ソシエタスも、クネクトヴァにカトゥカも、やることが一段落ついて、感慨深いものを感じていた。
バルバロネは、シァンドロスを見つめつづけていた。
「国を追われ、哀れ異国の土となるか、と思うこともあったが……」
コヴァクスは杯をもったまま、つぶやく。
クネクトヴァは食事をよく噛んで食べつつ、自分に巡ってきた運命について考えているようだった。
「広い世界に羽ばたけと、ルドカーン様はおっしゃった」
広い世界。世界は広い、というのは頭ではわかっているが、いざ国外へ出てみれば、自分はなんて小さな存在なのだろうと痛感するばかり。
「わっ!」
「わっ!」
突如、耳元で大声を上げられ、クネクトヴァは素っ頓狂な声をあげて驚き、椅子から転げ落ちてしまった。
それはカトゥカのいたずらだった。
しりもちをついたクネクトヴァを見て、けたけたと笑っている。
「もう、カトゥカったら……」
ニコレットは笑いを堪えながら、カトゥカを注意する。
「ごめんなさいニコレット姉さま、だって、こんなに楽しいのって、久しぶりなんだもの」
舌を出し、いたずらっぽい笑みで反省の色なくあやまるカトゥカに、皆心をほぐされ、場はなごんだ。
とはいえ、クネクトヴァは頬をぷっと膨らませている。が、それはさらに笑いを誘い、クネクトヴァは怒るに怒れず、神弟子であることを一時忘れ、子どもらしいやけ食いをして憂さを晴らすしかなかった。
翌日、朝日が昇るとともに人々は我が家へと帰ってゆく。
皆笑顔で厚く礼を述べながら、手を振り足早に我が家へとゆく。
神雕軍の兵士も途中まで一緒に山を下り、賊徒のかばねを片付ける。
要塞にとらわれていたのは、ほとんどが近くの街、グロヴァーニクの中心街・フィウメの人々だったが、中には流民としてさまよっていたときに人狩りに遭い、帰るに帰れぬ人々も、六人いた。
皆若い女だった。
彼女らがどういう扱いを受けたかは、推して知るべしであり、尋ねる野暮をする者はなかった。もちろん狼藉を働く馬鹿もいなかった。
彼女らにはメイドとして、アウトモタードロムの要塞にいてもらうことになった。
もう随分と服も甲冑も汚れていたが、メイドたちは好意でそれらを、嬉々として洗ってくれた。
コヴァクスやニコレットは、久しぶりに、私服に袖を通したものだった。私服といっても、山賊たちが奪ってきたものだったが、まさか裸でいるわけにもいかないので、やむなく使っている。
勇ましい甲冑姿ばかりだったニコレットは、メイドから渡された女性ものの服を着て、久しぶりに女性らしい格好をしていた。
神秘的な色違いの瞳に、長く美しい金髪。平民の服とはいえ、女性らしい服装をすることで、内に封じ込められていたものが解放されたような雰囲気だった。
「ニコレット様は、とてもお美しいのですね」
と、服を用意したメイドは、まるで人形を愛でるようにニコレットに言ったものだった。
バルバロネもはりきって女ものの服を着ていた。で、シァンドロスにべったりとまとわりついていた。
「ねえ、ねえ、あたしも一緒につれてってよ。妾になってもいいからさ」
などと、そんなことを言ったものだった。
「女、出すぎた真似をするな!」
イギィプトマイオスやペーハスティルオーンはかんかんに怒るのだが、バルバロネはおかまいない。
バルバロネがシァンドロスに、一緒に連れて行けと言うのは、わけがあった。
「我々は、あと三日もすれば用済みとなろう。十分楽しんだことでもあるし、戦利品も獲たことだし、そのとき、故国ソケドキアに帰る」
シァンドロスはそう言ったのだった。
その根拠は、とコヴァクスが尋ねたが、
「いずれわかるさ」
と言ったきりで、いたずらっぽく、不敵に笑うのみ。
「果報は寝て待てとも言います。そのときを、休養しながら待ちましょう」
ソシエタスと、好意をよせてくれるガッリアスネスがそう言うので、そのときを待ちながら、久しぶりの休養をコヴァクスやニコレットはとることにした。
で、バルバロネは、自分が女であることを今思い出したかのように、はりきってシァンドロスに取り入ろうとしていた。