第一章 ドラゴン騎士団 Ⅲ
ヨハムドの鼻息は荒く、ニコレットの背中は常に視界にとらえられ。タールコ第一の勇士の誉れを、あと少しで掴み取れそうであった。
後退する左翼を追うヨハムドを見て、小龍公コヴァクス、うんとうなずき、
「馬鹿め!」
と一喝すれば、「我に続け」と馬を駆けさせ右翼を率い、雑魚を捨て急速にヨハムドの背後に回りこもうとする。そこへ、父ドラヴリフトの中軍も加わろうとする。
ニコレットを追うことに夢中だったヨハムドは、背後の気配怪しきを察し後ろを振り向けば。龍牙旗が背後より我を追いかけてくる。自分を先頭に細長くなった陣形は厚みがなくなり、脇の甘さを相手に見せつける格好となった。
そこで、
「しまった」
と気付いたが、遅きに失した。
細長くなったタールコ軍の陣形は縦横に駆け巡るコヴァクスとドラヴリフトの軍勢によってずたずたに分断され、各個撃破されてゆく。
ニコレットはおとりとしてわざと後退し、ヨハムドの気を引いたのであった。それに気付かず、陣形の崩れを意に介することなく、左翼退くを好機と追ったのはまさに罠にはまったのであり。好機は己になく、ドラゴン騎士団の方にこそあったのであった。
「お、おのれ」
とうめくも、細長くなった後続はちりぢりになって踏みしだかれ。蜘蛛の子を散らすように、兵卒らは逃げ惑っていた。
「雑魚はかまわず、大将ヨハムドを狙え」
と、散らばるタールコ軍を掻き分けながら、こちらに迫りつつあるは、泣く子も黙る大龍公ドラヴリフト。
勇敢な者は一矢報いんと立ち向かうも、それことごとく剣風の前の塵のように斬り払われてゆく。
「将軍、ここはお逃げください」
そばの戦車の近習の進言を、忌々しそうに奥歯を噛みしめヨハムドは聴いていたが。
もうしれしかないようで。
「退却」
と号令をくだすと、一目散に戦車を走らせた。それを血気盛んなコヴァクスが追いかけ、次子ニコレットも馬首をかえし、自軍をひきつれヨハムドの戦車を追った。
大将が逃げ出せば、もうあとはもろいものだった。兵卒らは我先にと駆けて。戦車が横並びに逃げるその様は、まるで戦車競争をしているようであった。
それでも勇敢なタールコの将校が三騎、ドラヴリフトの前に立ちはだかり、行く手をさえぎろうとする。
「己が命と引き換えにしても、我が軍の将を逃そうとするか。討つには惜しい勇士ではある」
ドラヴリフトは嘆息するも、彼らが降伏しないことは知っている。むしろ死に花を咲かせてやることこそが、その勇気に報いることだと、自ら剣を振るい、しんがりに立ったタールコの将校を刃を交えた。
側近たちは大将をひとりで戦わせまいと加勢しようとするが、
「手出し無用!」
とドラヴリフトは叫んだ。
このときのドラヴリフトはドラゴン騎士団を率いる大龍公であるとともに、彼もまた一人の勇士として戦っていた。
タールコの将校は三名、こちらはひとり。値打ちのつりあいはとれている。
剣光閃々、火花散り。タールコの将校、勇将の誉れ高いドラヴリフトと刃を交える名誉をさずかり。その心昂ぶり、瞳は輝いてゆき。ひとり討たれ、またひとり討たれ、最後のひとりも、剣の閃きとともに、名誉の戦死を遂げた。
その間にコヴァクスとニコレットは右翼、中軍、左翼の軍勢をうまくまとめ、背中を見せて逃げ出すタールコ軍を飲み込むかの勢いで、ヨハムドを追っていた。
戦局は決した。
が、決して追撃の手は緩めない、疾風怒濤、顔を真っ青にして生きた心地もないヨハムドの背中は、徐々に迫りつつあった。
(こんなことなら、皇帝の言うことを聞き入れるのであった)
と、ヨハムドはおそい後悔に胸を掻き乱されていた。
タールコの皇帝、ドラグセルクセスは、無理をするなと何度もヨハムドに助言していた。
そなたはドラヴリフト率いるドラゴン騎士団と当たるのは初めてであるが、彼らは強く、決して侮ってはいけない、と。
美しい黒髪に、鼻の高い秀麗な顔立ちをし、強靭であるとともに鍛え抜かれたその肉体美は性別を越えた美しさを誇り。その美しさ、神々しさは、まさに神がこの地上に降り立ったがごとしと言われ『神美帝』と呼ばれるタールコの皇帝、ドラグセルクセスには、胸に秘策を秘めているようで。
その秘策が何か、ヨハムドは聞かされていないが、さすがに皇帝に対して言ってくれというのは気後れして言えなかった。
が、それよりも武人としてドラゴン騎士団と戦える喜びが勝った。
その喜びは、今はどこかへ吹き飛ばされてしまった。
ヨハムドはたしかに勇敢な将軍であるが、功名心が強く、ドラゴン騎士団の強さは危機というより好機とうつって、常に皇帝ドラグセルクセスに対し戦わせて欲しいと要請をしていた。それだけに、出兵の許可が下りたときには天にも昇る気持ちであったのが、今は、どうだ。
今さらながら、どうして皇帝が自分を今までドラゴン騎士団と当たらせず、他方への進出にばかりいかせていたのか、やっとわかった気がした。
ふと後ろを振り向いた。
白馬を駆るヘテロクロミア(虹彩異色症)の少女、小龍公女ニコレット。
兄コヴァクスも、負けじと続く。
この戦いで敵を完膚なきまで叩きのめせば、以後あるであろう、和平交渉を有利に進められる。そのためには、最低限ヨハムドの首を獲る必要があった。
だから、コヴァクスとニコレットは必死だった。
が、勢いに任せて突き進みすぎるきらいがあり、
「我らが小龍公女を、命にかえてもお守りせよ」
と副官、ソシエタス三十二歳は部下を叱咤しニコレットを孤立させまいとその周りを囲み鉄壁の守りをなす。兄コヴァクスの方は、副官が追いつかずどんどんと突っ走ってゆく。無論これを阻むものはあったが、それことごとく剣風に吹き飛ばされた。
「おのれ」
とヨハムドの戦車のそばで駆ける騎馬の側近は、弓を取り出しながら大きく振り向き、コヴァクス目掛けて矢を放った。
「!!」
風を切りこちらに向かってくる矢を、コヴァクスはすんでのところでかわし。不幸なタールコの兵がひとり、矢の犠牲になってたおれた。
それを尻目にコヴァクスは叫んだ。
「敵将ヨハムド、観念して我らに首を差し出せ! それが勇士としての潔さではないか」
ヨハムドはドラゴン騎士団に囲まれ、その中を右往左往している有様だ。ニコレットをおとりとした策にのり、敵陣崩れたとこれを追ったばかりに我が陣形を崩し、気がつけば取り囲まれぬけ出せない。
いかに戦車を突っ込ませようが、騎士らの鉄壁の輪を崩すことはならず。
ドラゴン騎士団の右翼中軍左翼崩れをなすと見せ、ヨハムドの周囲を崩し取り囲んでいたのだ。
数の上では有利なはずのタールコ軍ではあったが、一旦陣形が崩れるやこれを立て直すことかなわず。草葉が車輪に踏み砕かれるようにして、激しく回転する鉄壁の輪に突き崩される一方であった。
(おかしい)
これに違和感を感じたのは、ドラヴリフトであった。
今まで戦ってきたタールコの軍勢はもっと手ごたえがあったはずだ。それなのに、今戦っているヨハムドの軍勢には、てんで手ごたえが感じられない。ヨハムド自身も、今までの敵将に比べれば三流の武将だ。
なぜ神美帝ドラグセルクセスは、こんな武将を大将として三万の軍勢をあずけ、オンガルリに攻め込ませたのであろう。どうにも合点がいかない。
が、かといって、手をゆるめるわけにはいかない。
ドラゴン騎士団の奮戦の甲斐あって、因縁のタールコとオンガルリの戦いは一進一退の状況だったのが、オンガルリ有利に進められ、タールコの領土を削りつつある。その戦力と士気を決定的なものにし、無駄な戦争をしないようにするため、ここで敵を完膚なきまでに粉砕せねばならぬ。
タールコの勇士を討ち、追悼の意を表して、ドラヴリフトは猛然とヨハムドに向かった。
鉄壁の輪の中でコヴァクスとニコレットに追われ右往左往していたヨハムドは、ドラヴリフトがこちらに向かうのを見ていよいよ狼狽して、遮二無二に戦車を駆けさせた。悪あがきであった。これはおよそ将たる者の見せる姿ではない。
そんなことだから、タールコの軍勢はもう軍隊としての態をなさず、敗残兵駆け回っては討たれる一方の惨めさばかり。こんなことで勝ったとて、なんの手柄になろう。
その時であった。
危険も顧みず、彼方から馬を飛ばしてくる一団あり。彼らはしきりに、
「オンガルリ王国の勅旨である」
と叫んで、ドラゴン騎士団に呼びかけていた。その顔は蒼白そのものであった。
何事だ、と騎士団はこの快勝の最中の突然の勅旨に驚きいぶかしがる。勅旨を無視することは、国王を無視する不忠行為となる。
せっかく勝っているのに、と。
ヨハムドの三流たるを知ったドラヴリフトは、無理にその首を求めず、敵の逃げるにまかせ、ふたりの子に遣いをやって呼び寄せ、勅旨を携えた王の遣いのもとまでゆく。
それこそ、敵兵は面白いように剣風に吹き飛ばされてゆく。その真っ只中に父の遣いに来られて、コヴァクスは興をそがれること甚だしく。
天に向かい、わっ、と獣のように咆えて、
「なぜだ」
と遣いにかみつく。
あと少しで敵将を討てるというのに。