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第六章 王太子 Ⅲ

 敵に回せばやっかいだが、味方にすれば頼もしい人物である。が、同時に戦い甲斐のある好敵手ともなりうる。

 シァンドロスはほんとうに満足そうだ。

「新たな戦場をもとめている最中、その馬に出会った。我が物にせんと捕らえようとして追っていたのだが……。お前の馬であったのだな」

「まあな」

 紅の龍牙旗をニコレットにあずけながらコヴァクスはこたえる。その目はシァンドロスを鋭く見据えている。

「よい馬だな、それに、お前を愛しているようだな」

「まあな。騎士でもあるし、馬とともに生きたマジャクマジール族の末裔だからな」

 さきほど主を見捨て逃げ去ったものの、龍星号は恐怖から開放されコヴァクスとともにいられることを喜んでいるようだ。あんな大熊が相手では無理もあるまいし、やはり長年連れ添った愛着が勝っていた。

「ふふ、そうだな」

 シァンドロスはおかしかった。

 オンガルリの国民くにたみが、東方から来た騎馬民族の末裔であることは広く知れ渡っている。だがニコレットの瞳の色を見て、混血もかなり進んでいることもうかがい知れた。オンガルリおよびヴーゴスネアは大陸の交通要所で、東西からの民族移動も盛んな地域だ。その地に住んで、民族的な純血をたもつなど不可能な話であった。

 では何をもって、その民族の末裔などと称するかといえば、戦争で勝った民族の血を基準にする。それが、人の世の民族観であった。

(だからこそ、我が民族を数多あまたの民族の頂点となし、後世に残すのだ)

 という野心を、シァンドロスは抱いていた。その混血の中に、ドラゴン騎士団、マジャクマジール族の血が入ることも、好ましいように思えた。

「お前たち、いつまで馬に乗っている。王太子の御前である、下馬し跪かぬか!」

 思い出したように騎士がひとり叫んだが、シァンドロスは右手を挙げて制す。

「よいのだ、ペーハスティルオーン。彼らと予は対等なのだからな」

 ペーハスティルオーンと呼ばれた騎士はおとなしく引き下がったものの、コヴァクスとニコレットを見る目は冷たい。シァンドロスは平気そうにしているが、それもどこまで平気なのかわからない。王太子として、誇り高い彼が誰であろうと、対等の関係を持ち続けることを望むとは、とても思えなかった。むしろそれなら、バゾイィー王の方が信用が置けるくらいだった。

 おそらく、関係は長続きしないだろう。

 だが、それならそれでよい。

 それまでの間、利用できるものは利用するまで。コヴァクスは、賭けに出ていた。

「ゆこう、細かいことは追々話す」

 頷いてシァンドロスはコヴァクスらと駒を並べる。その白豹のような愛馬はグリフォンといった。その獣は天上の神々の車を曳く役目を負っており、その姿は鷲の上半身と獅子の下半身をもつという。

 馬の名を知り、コヴァクスとニコレットはシァンドロスの豪胆さを掘り下げて知ることが出来た。


 思わぬ成り行きから大熊との死闘を繰り広げ、挙句の果てに湧いて出てきたようなシァンドロスとその配下、神雕軍と行動をともにするようになってしまった。

 それは悪魔の業か神のいたずらか、ともあれその変転まことにめまぐるしい。

 まさに、一歩先は夢にも思わぬことの連続であった。

 道中、コヴァクスとニコレットは、シァンドロスに、今までのいきさつを語った。

 シァンドロスは興味深そうに、よくふたりの話を聞いた。ことに、視線はニコレットをよく追った。

 美しい金の髪に、神秘的な色違いの左右の瞳。ニコレットも自分にそそがれる視線を感じ取ったが、つとめて気付かぬ風をよそおい、受け流していた。

 シァンドロスは赤い兵団のことをコヴァクスに語った。イヴァンシムに会い、ソケドキアにゆくことを進言したのは他ならぬシァンドロスであった。

 それを聞いたコヴァクスとニコレットはたいそう驚いたものだった。

 まさか一国の王太子が国を抜け、さらに探し求める人物に接触して自国におもむくようにうながすなど、どうして想像できようか。それにしても、イヴァンシムはよくシァンドロスの進言に従ったものだ、と思った。

 内に果てしない野心を抱く若者のどこに、魅力を感じたのだろうか。それともイヴァンシムなりの考えがあってのことだろうか。

 が、それは今の自分たちも同じだった。

 コヴァクスがシァンドロスと行動をともにする気になったのは、ひとえに戦力をもとめてのことだった。

 あの難民たちを守れる戦力を、シァンドロスは提供してくれる。そのかわり、コヴァクスとニコレットも、いざというときに戦力を提供するのだ。

 彼が直々に率いる精鋭、神雕軍。

 いまこそわずか五十たらずだが、それだけでも一国を奪い取る自信があると、シァンドロスはいう。

 騎乗の者はこの中で十足らず。他は皆徒歩だ。

 しかし、五十人からの人数を従えて、よくぞ滅ぼされずに済んだものだ。これだけの人数を武装させて旅をさせるとなると、何かと目立って、あやしいと攻められそうなものだが。

 それをシァンドロスに問えば、

「目立たせているのよ」

 と自信満々にこたえるものだから、コヴァクスとニコレットは驚くを通り越してあきれたものだった。

 この五十人からの人数でもって、あちらこちらで戦いを巻き起こしては、旧ヴーゴスネアの王侯貴族どもを混乱させているのだという。

「暗殺者までよこして、オレを倒そうとやつらやっきになっておるわ」

 と、高らかに笑うシァンドロス。暗殺者と聞いて、コヴァクスとニコレットは顔を見合わせた。

「それは、六人組の黒装束の者たちではなかったか」

「そうだ。知っているのか」

「グニスッレーとかいうのが頭目だが」

「ああ、そんな名前であったな。他にオナリハトクにアッリムラックとかいう女も……」

「オレたちも襲われたことがある。あやういところだった」

「なんだ、そういうことがあったのか。それで、どうやって生き延びた?」

 まるで命からがら逃げ延びたかの言い草で、ちょっと、むっとしたがここは堪えて、ロンフェイという名の、謎の女が突如現れて六魔を追い払いかつルクトーヤンをたおしたことを語る。

 興味深く聞いていたシァンドロスは、うんうんと頷く。

「ロンフェイ、か。その女も知っているぞ。不可思議な体術を遣う女だろう」

「そうだ、彼女のことまで知っているのか」

「いや実のところ、オレもあやういところを、ロンフェイに助けてもらった。是非とも味方に引き入れたいと思うのだが、風のように去っていってしまって消息がつかめぬまま、今にいたっている」

 なんと、シァンドロスはロンフェイのことも知っていた。さらに、六人のうちの一人、ルクトーヤンをいとも簡単にたおしたことを聞き、さすがに驚きは禁じえない。

 ならば、六人全員をたおすこともたやすいのではないか。だが何かの事情でたおさずにいるのか。

「おそらく、なるべくなら、人を殺したくはないのだろう」

 と、コヴァクスは言う。脳裏には、彼女の儚げな瞳が浮かんでいた。その様子はどこか、風に流されるように浮いた感じで寂しげだ。

(まあ、お兄さまったら)

 コヴァクスの横顔を見て咄嗟に、ニコレットはあることが閃いた。

 兄は、あのロンフェイという女に心惹かれているのではないか、と。

 これが平時であれば、ひとつからかってやりたいが、今はそんな気も起こらない。色恋沙汰など、父の遺言を遂行する上で、障害になるのではないか。

 コヴァクスの様子を察したのは、シァンドロスも同じで。こちらは、おかしみを感じているようで、やや口元をほころばせた。

 それから、さりげにニコレットに視線をうつす。

 見つめられ、色違いの瞳は一瞬とらえられてから、そっぽを向いた。これにもシァンドロスはおかしみを感じて、口元をほころばせた。

 面白い兄妹きょうだいだ、と。

 しかし、あの六魔どもはシァンドロスも狙っていたのだ。あんな陰険な暗殺者を遣うとは、いったい主はどのような人物なのやら。

 ひとつ言えることは、これから戦わねばならぬであろう王侯貴族どもの誰かなのは、間違いない。

 となれば、難民たちのことがより心配になってくる。暗殺者たちは難民たちのことを主に告げて討伐を要請したのではあるまいか。と思うと、焦りはつのる。

(オレたちは、道に迷ってしまったのか)

 なんだか、やることなすこと、空転ばかりか裏目裏目のような気がする。

 シァンドロスと組んだことも、裏目に出るのだろうか。

 ともあれ、いまのところ、イヴァンシムを探し求める目的は、シァンドロスが代役になることでその目的は達成されるようとしているようだ。

 シァンドロスも、国を獲る上で新たな戦力を得て。お互いの利害は一致している。

 異国の地で新たな国を造る。

 もっとも、シァンドロスがどのような国を造ろうとしているのか、今はわからない。

 良い国なのか、悪しき国なのか。

 いまは、なにもわからず。

 焦っている。ということを、いまになってやっと自覚してきたことをさとった。

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