第四十二章 新たな旅立ち Ⅴ
謁見を済ませたニコレットは、女王のはからいでコヴァクスとともに宿舎にゆくことをゆるされ。
兄と妹、水入らずのひと時を過ごす。はずであったが、ニコレットは真剣な眼差しで兄を見つめている。
これは、故郷恋しさに国に帰った者の目ではない。
コヴァクスはなぜニコレットがそんな目で自分を見るのか、薄々気付きつつあった。
龍菲は兄妹に気を使って、宿舎から出てルカベストの街をほっつき歩いている。
「お兄さま、お元気そうでなによりでございます」
「うん。ニコレット、お前が赴任途中でオンガルリに帰ってくるとは思わなかったぞ。珍しいこともあるものだな」
「……。お兄さま」
「なんだ?」
ニコレットの、コヴァクスを見つめる目に鋭さが増す。
「お兄さまは、国を出てゆかれるのでございますか?」
「なんだと……」
ニコレットのその一言に、コヴァクスは眉をしかめた。
(見抜かれている)
コヴァクスは咄嗟に平静を装い、まさか、と言おうとしたが。ニコレットに誤魔化しがきくとは思えず、また、己の心境を偽りたくもなく。
しばしの間、黙り込んで、
「そうだ」
と、言った。
ニコレットは偽りなく、自分の言ったことを肯定した兄を、厳しくも呆気に取られて見つめていた。
「なぜそんな。あの、龍菲にそそのかされたのでございますか」
「それは違う」
龍菲を悪く言われて、コヴァクスは鋭い目で妹を見つめかえす。
赤いドレス姿のニコレットだが、そばには愛用の剣を立てかけてある。
それを手に取ると、ドレスをひらめかせながら素早く剣を抜いて。コヴァクスに突きつけた。
「ニコレット、何の真似だ」
「使命を忘れ、身勝手な振る舞いをなさるお兄さまを、わたしは許すことはできません」
「それで、オレを斬ろうというのか」
剣を突きつけられながらも、コヴァクスは真っ向から妹を見据えていた。
「お命まで獲るつもりはありません。ただ、少しばかり痛い目にあっていただきます」
ニコレットはそう言うや、素早く踏み込んでコヴァクスに鋭い刺突を繰り出す。
剣はコヴァクスの右肩向かって突き出される。
だがコヴァクスは素早く剣を避けると同時に、掌でしたたかにニコレットの剣を持つ手首を打ちつけた。
「あっ」
ニコレットは手首に走る衝撃に、思わず声をあげて、剣を手放してしまった。
落ちる剣を、コヴァクスは素早く掴み取り。背後に放り落とす。
ニコレットは呆然と、手首を押さえて兄を見ていた。
「お兄さま、その技は……」
掌で打ちつける技は、龍菲が得意とする武功の技だ。なぜその技を、コヴァクスが。
「龍菲に、少し技を教えてもらっていたんだ……」
コヴァクスは衝撃を受けるニコレットを、厳しさと申し訳なさのないまぜになった眼差しで見つめていた。
そのとき、龍菲が戻ってきた。
「龍菲」
「嫌な予感がしたから、戻ってきたけど。やっぱりこうなるのね」
龍菲は少し悲しそうに、コヴァクスとニコレットを交互に見る。
ニコレットは、コヴァクスが龍菲の姿を見ると同時に明るくなるのを見た。もう、ふたりの仲は引き離そうにも引き離せないほどに、強く結ばれているようだった。
「ニコレット。悪いとは思っている。しかし、オレは、オレのゆきたい道があるんだ」
もうニコレットは何も言わない。コヴァクスが龍菲と強い仲で結ばれたうえに、東方世界への憧れもまた同じように強いのを知って。
兄を止められないと思った。
「コヴァクス……」
龍菲はじっとコヴァクスを見つめた。
コヴァクスは龍菲に微笑みかけて、
「ゆこうか」
と言い、宿舎の武器庫にゆくと甲冑を身にまとい剣を佩く。
ニコレットはもう諦めて、龍菲とともにコヴァクスを見つめて、
「後のことは、わたしがどうにかいたしますわ」
ため息をつきながら、そう言った。
「すまない」
一言、そう言うと。コヴァクスは龍菲の手を取り、
「ゆこう」
と、宿舎を出てゆく。
手を引かれる龍菲は微笑んでいた。それから、少し悲しそうにニコレットを見つめた。血を分け合った兄と妹でも、ゆく道がこうも違うのか、と。
それはさだめなのか、業なのか。
ニコレットは、目を潤ませながら、ふたりの背中を見送っていた。
宿舎を出たふたりは、馬を駆ってルカベストを出て、東方へと向かった。
東方へ向かうふたりの瞳は、なにを見つめているのであろうか。
この世は広い。
昴を故郷とする龍菲も、すべてを見ているわけではない。コヴァクスとなればなおさらだった。
ふたりは、まだ見ぬ世界へ向かって、風を切り愛馬を駆けさせていた。
ドラゴン騎士団戦記 完




