第四十二章 新たな旅立ち Ⅳ
ニコレットは急ぎオンガルリに帰国すると、まず女王ヴァハルラに謁見する。
女王のそばには兄、コヴァクスが控えている。
コヴァクスはなぜニコレットが帰ってきたのか、不思議そうに見ているが。妹の兄を見る目は、どこか厳しかった。
「ニコレット、そなたどうしたのですか。リジェカでのつとめはよいのですか」
「はい。リジェカドラゴン騎士団のほか、イヴァンシム殿にダラガナ殿率いる赤い兵団がおりますれば。王の許しを得て、わがままながら恋しい故郷に少しの間舞い戻ってまいりました」
「そうですか。そなたでもそのような心境になるものなのですね」
ヴァハルラはニコレットを見つめて、すこしおかしそうにしている。謹厳実直なニコレットが故郷恋しさにオンガルリに帰ってくるとは。
どうのこうの言っても、ニコレットも若き乙女なのだ、と女王は思った。
そのころ、リジェカではモルテンセンは王城の執務室で王として執政をしながら、その合い間に砂糖水で喉をうるおし、宰相ともいえるイヴァンシムに語りかけた。
「ニコレットは故郷が恋しいとオンガルリに一時帰国したが。小龍公女でも、そんな気持ちになることがあるのだな」
「左様。珍しいことでございますが。わたくしには、他に何か気がかりなことがあるのではないかと見える節があります」
「気がかりなこと?」
「はい。……、王よ、それはわたくしも気がかりなことでもあります」
「そなたもなのか。それは何か」
「申し上げにくい事ながら、小龍公コヴァクス殿のことでございます」
「コヴァクスが、何か。あ、そうか、よもやあの、龍菲なる昴人の女性に骨抜きにされてはいまいかと気になるのか」
モルテンセンはいたずらっぽく笑う。それを見て、イヴァンシムは微笑んで応え、いいえと首を横に振る。
しかし、モルテンセンも男女のことに興味を覚えつつあることに、イヴァンシムは微笑ましい思いだった。
「違うのか。では、何なのであろう」
「コヴァクス殿は武骨ながらよく己を律しております。女性ごときで、骨抜きにされることはございますまい」
「それならば、何が気がかりなのか」
「はい。申し上げにくい事ながら、コヴァクス殿が出奔するのではないかと」
「出奔? まさか。なぜコヴァクスが」
出奔と聞いてモルテンセンは怪訝な顔をする。一体なにが、コヴァクスをそうさせるというのだ。
「実は、ニコレット殿から相談を受けたのでございますが。コヴァクスは昴をはじめとする東方世界に心を奪われているよしにございます」
「東方世界に……」
「オンガルリ、マジャクマジール族は東方より来たる騎馬民族を祖とします。その先祖の足跡をたどり、まだ見ぬ東方世界へ旅立とうとするのではないかと」
「コヴァクスは、そんなことを考えておるのか」
これには、モルテンセンもやや驚いた。まさかコヴァクスがそんなことを考えていたとは。
「まだ見ぬ領域への思いは、ある意味で女性よりも心を惹きつけるものでございます。ニコレット殿はそんなコヴァクス殿を諌めに帰ったのではないかと」
「ふうむ」
モルテンセンはグラスを揺らしながら、コヴァクスのことを考えた。
乱世も鎮まり。世に平和が訪れた。まだ油断はできぬとはいえ、ドラゴン騎士団の役目は終わろうとしている。
それまで、戦うことに必死であったコヴァクスが、平和な世の訪れとともに新たな展望を自ら見出したとて、なんの不思議があろうか。
「よいのではないか」
その、モルテンセンの一言に、イヴァンシムは意表を突かれた。
「男ならば、冒険に惹きつけられるのは当たり前だ。いや、冒険を恐れてなんの男であろうか。できるならば、予も冒険をしたいと思っているくらいだ」
「陛下……」
「イヴァンシムよ、そなたはコヴァクスを許せぬとも。予は、コヴァクスに冒険を託して見送ってやりたいと思う」
それを聞いて、イヴァンシムは苦笑を禁じえなかった。なんとも懐深く、豪胆なところも出てきているではないか。できればモルテンセンからもコヴァクスに一言いってほしかったイヴァンシムは、そんな己がやや恥ずかしい気持ちになった。
「王がそこまで言われるのなら、わたくしから言うことはございませぬな」
「もしオンガルリに帰れぬときは、リジェカに帰ってくればよい。土産話をぜひとも聞きたいものだな」
そう言いながら、王はペンをとり。その旨を書き綴ると蝋印をおし、書をイヴァンシムに渡す。
「これを、密使をもってコヴァクスに届けてやれ」
「御意にございます」
「間に合うかどうかわからぬが。もし間に合えば、重ねて、コヴァクスには必ず帰ってくるようにと伝えよ。何年かかってもかまわぬゆえ」
「はい」
イヴァンシムは側近を呼び、ことの次第を話すと書を密使に届けさせるよう伝えて、手渡した。
「男とは、厄介なものだな」
「は?」
「乱世にあっては戦争を繰り返し。世が平和になれば、冒険をもとめる。まことに、男とは厄介な生き物だ」
モルテンセンは自分で言ったことが自分でおかしそうに笑いながら言う。イヴァンシムも、つられて一緒に笑った。




