第四十二章 新たな旅立ち Ⅱ
シァンドロス自害のことはトンディスタンブールにまで伝わっており。ヤッシカッズら療養中の将兵もそれを聞いていた。
「都の雰囲気はどうであった」
「はい。とても賑やかで、人々は朗らかなものでございます」
「そうであろうな。神雕王はもうこの世におらぬ。トンディスタンブールも侵略されるおそれもなくなったのだからな」
ヤッシカッズもガッリアスネスもため息をつく。危惧していたことが現実のものとなり。それを喜ぶ人々がいる。
ソケドキア人として、やるせない思いであった。
「かくなるうえは、トンディスタンブールを出て、ヴァルギリアへ帰ろう。そこで、静かに暮らしながら、それまでの歴史を綴ろうかと思っておる」
「師匠……」
ヤッシカッズも、傷も癒えて。郷里が恋しくなったようだった。
「ソケドキアはどうなるのでございましょう」
「滅ぶであろう。エラシアの諸ポリスはすでに反旗をひるがえし。ムスタファーも黙ってそのままにすまいて」
ガッリアスネスは何も言えなかった。
シァンドロス亡きいま、ソケドキア人といえど、ソケドキアのために戦おうという者はごくわずかであろう。それらがムスタファーに抗ったところで、なんになるだろうか。
時勢はムスタファーにかたむいた。
挫折から立ち直り、トンディスタンブールで革命を起こし、新たなタールコを立ち上げたムスタファーを止められる者はいない。
オンガルリ・リジェカの二ヶ国はあくまでも専守防衛をとおし、新たなタールコが攻めてこぬ限りは無用の戦いをせぬであろうし。
ムスタファーもオンガルリ・リジェカの二ヶ国をどうするのかまでは見当がつかぬ。
しかし、ソケドキアがムスタファーに攻められるのは火を見るより明らかである。旧ヴーゴスネア五ヵ国の人民はムスタファーの治世を望んでいる。蜂起した群衆もムスタファーを慕いそのもとに馳せ集ったではないか。
「ガッリアスネスよ、いま大事なのは乱世の収束であり。ソケドキアのために戦うことではない。ソケドキアのために戦うといえば聞こえはよいが、それは乱世をいたずらに続けさせることにほかならぬ」
それは、ガッリアスネスも考えていたことだった。師匠も同じことを考えていて、静かに首を縦に振るしかなかった。
「武芸に秀でたそなたがおるのだから、わしも安心してヴァルギリアへ帰れるというものだ。早速支度をし、明日にでも出よう」
「……、はい」
ヤッシカッズは、肩を落とす弟子のその肩に、優しく手を添えた。
シァンドロスの死は、ムスタファーを阻む者がなくなったことでもあった。
群衆はムスタファーの治世を望み。進んで、新たなタールコの拡大のために案内を買って出た。
駐留するソケドキア軍は、シァンドロスの死を伝え聞いて、戦意をなくしいそいでソケドキア本土へと逃げ帰っていった。
そのおかげで、ムスタファーは行く手を阻まれることはなく。
ゆく先々で人民の厚い歓迎を受けて。新たなタールコは血を流すことなく、領土を拡大していった。
オンガルリ・リジェカの二ヶ国は、ムスタファーおよび新たなタールコの動向を注視しつつも。専守防衛をとおし。復興に専念していた。
ムスタファーもそれがわかって、ヴーゴスネアの旧五ヵ国を版図におさめることに専念でき。ついにソケドキア本土にまで迫った。
ヴァルギリアではソケドキアの文武官や貴族らが、抗戦か降伏か、どうするべきか口角泡を飛ばして議論して。一向に話はまとまらず。
その間にもムスタファー率いる新たなタールコの軍勢はせまり。
血気に逸った武官が手勢を率い、ムスタファーと当たったが。それはあっけなく撃破されて。
もはやソケドキアには、ムスタファーと戦うだけの力はなくなっていた。
ヴァルギリアの文武官や貴族らはついに、降伏を決めて。王城を開城し、ムスタファーを迎え入れた。
エラシアの諸ポリスも、新たなタールコに従順の意を示して使者を派遣し。地域の安寧と保身をはかった。
ムスタファーもそれを受け入れ、侵攻をせずに、諸ポリスをその支配下に置いた。
これにより、かつてシァンドロスの領土であったタールコ東部からリジェカを除く旧ヴーゴスネア地域は新たなタールコの版図となり。エラシアは朝貢によって、新たなタールコの支配下に置かれることになった。
マルドーラ治めるタールコは、それを静かに見守るのみで。ムスタファーとことを構えようとはしなかった。
タールコはふたつに分かれて。二国が同じ国名を名乗る事態に一時はなっていたのだが。
ムスタファーはひととおりの征服事業がなされたのを機に、国名をアスマーンとあらためた。
その国名が、かつて呼ばれていた称号の獅子からとられたことは言うまでもなく。
ムスタファーはアスマーン国の初代国王として、君臨することになった。
それと同時に、オンガルリ・リジェカの二ヶ国から不可侵条約を結ぶための使者が送られた。これはイヴァンシムの進言によるものであるが、リジェカの若き国王モルテンセンの考えによるものであった。
ドラゴン騎士団の強さを知るムスタファーは、戦争や帝国主義の儚さ、虚しさも知る。
アスマーン国はオンガルリ・リジェカの二ヶ国と不可侵条約を結んだ。
これによって、数百年に一度といわれるほどの乱世はおさまり。各国戦争を起こさず、小康状態がたもたれることになった。
ヤッシカッズに、その弟子ガッリアスネスは、ヴァルギリアの片隅で時勢を見つめて。
机をならべて、ペンをとって、羊皮紙に歴史を書き綴っていた。
それが、この師弟の使命であるかのように。




