第六章 王太子 Ⅱ
少し向こうに、ちらちらと、大熊がたおれているのは見えた。まさか、と思っていたが、そのまさかであったか。
集団もおもわずうめく。
「お前たち、あの大熊を斃したのか」
「そうだ。戦場に打ち捨てられた兵士のかばねを喰らっているところにでくわしてしまった」
「……」
シァンドロスもさすがに言葉もない。大熊を相手に戦えば、この集団をもってしても犠牲は免れまい。それを、ふたりで斃したという。
シァンドロスは白豹のようなまだら馬を操り、大熊のかばねのそばまでゆく。武装集団が護衛のためにとりかこむ。その動き慣れたもので、改めて統率のよさに感心する。
大熊のかばねのそばまで来れば、割れたハルバードも打ち捨てられている。なるほど、戦場に捨てられていた大武器をもちいて、かろうじて斃したか。
「たいしたものだ」
ぽつりとつぶやく。これは本心のようだ。
ドラゴン騎士団の騎士というのも、おそらく嘘ではあるまい。これで互いに、半分は信じる気になったが……。
「ドラゴン騎士団、小龍公コヴァクス、小龍公女ニコレット。と言ったな……」
女は確かにヘテロクロミア(虹彩異色症)であるが、その背中には長箱。
「大熊を斃したのは見事だ。しかしそれだけでは、お前たちを信じきれぬ。その長箱には何が入っている? それによって、信じるか信じぬか決めよう」
随分と勝手な言い分のようだが、ふたりの誇りを刺激するには十分だった。
コヴァクスも名誉のためと思ったのだろう。ニコレットの背負う長箱をとり蓋をあければ。紅の龍牙旗をもろ手にかかげてひるがえす。
その見事なつくりの旗に、喚声が上がる。真偽はともかく、見事なつくりの旗を、偽者がもてるわけがない。うばったにせよ、コヴァクスとニコレットの人品は卑しからずなのは、みててわかる。となれば、やはり本物。
紅の龍牙旗のもと、屍骸転がる戦場跡で、大熊の返り血もあび、まるでふたりがこの壮絶な光景をつくり上げたようにも思え。
堂々とした様は、戦いの神と女神が地上に降臨したかのような錯覚さえおぼえた。
シァンドロスは不覚にもふたり、ことにニコレットに見惚れ一瞬の間、我を忘れていた。
血塗れながらも流れるような長い金髪。ヘテロクロミアの、左右の色の違う瞳は珠のように輝き、なにか神秘性を感じさせて。シァンドロスならずとも、ひとときその姿を見るだけでも恍惚とならずにはいられないであろう。
「これが、オレたちがドラゴン騎士団だというあかしだ。わかったか!」
コヴァクスは旗を掲げ声高に咆えた。
シァンドロスの高飛車な態度に、内心腹を据えかねていたのもあるが、なによりも、ドラゴン騎士団としての誇りを逆撫でされるのは我慢ならなかった。
なんのやましいこともない。なら、堂々と名乗るまで。
「シァンドロスと言ったな。ソケドキアの王太子たる者が、なぜこの異国の地にいる。今度はお前がそのわけを話せ!」
「王太子に対し、無礼であるぞ!」
コヴァクスの態度に集団から抗議の声があがる。お前らなどいつでも討てるのだ、という気迫とともに。しかしそれで圧されるコヴァクスとニコレットではなかった。
シァンドロスは満足そうだ。よくぞ聞いてくれた、という風に。
「知れたこと。王として覇を唱えるためだ」
こいつ正気か。
コヴァクスとニコレットは耳を疑ったが、目の前にいるシァンドロスなる若者、楽しそうだ。
「ふん、信じられぬという目をしているな。まあ、いい。話してやろう。我が父フィロウリョウは勇敢な王であり、ヴーゴスネア一帯を統一するのも、時間の問題であろう。だが、このままでは、オレの出番がなさそうなのでな。国を抜け、戦いの場を求めて北へと来たわけだ」
言葉が出ないコヴァクス、ニコレット。シァンドロスは楽しそうに話を続ける
「そうでなくても、親の七光りなど、我に力なしであることを示すようで、面白くない。国を抜け北へ行き、すべてを己自身の手でもぎ取る戦場を求めるのも、勇者として当然の志であると思わぬか」
語るほどに、その顔は輝いてゆく。
それにしても、なんという大胆不敵であろうか。身分ある家柄にも関わらず、わざわざ危険と冒険を求めて国を出るなど。
まさに狂気の沙汰だ。
「オレは、親から譲り受けた国ではなく、オレ自身がもぎとった国を手に入れて、王になる。いや、タールコに匹敵する帝国を築き皇帝となり、この地上に覇を唱えるのだ」
聞いているうちに、真面目に付き合うのが馬鹿馬鹿しくなってくる。しかし、シァンドロスは本気のようだ。
手勢は引き連れているようだが。国を抜けて、いつまでもつのか。それに、総勢で何名なのだろう。ここにいる他にも、手勢はあるのだろうか。
「そこでだ」
とコヴァクスとニコレットを見据えて言う。
「お前たち、オレとともに戦わぬか。どういう事情で異郷の地にあるのか知らぬが。オレはお前たちが気に入った。仲間になれ」
「仲間?」
ニコレットが怪訝な顔をする。こっちの事情も聞きもせず、そんなことを言うということは、聞いてもお構いなしなのであろう。
「そうだ。オレがつくりあげた精鋭たちだ。神雕軍という」
神の雕の軍。なんとも大仰な名称ではある。
もし従わねば。
それなら、神雕軍をもってこたえる。というところか。
シァンドロスの目がそう語っている。コヴァクスは内心舌打ちする思いだ。
「ひとつ問う。彼らが、神雕軍なのか」
「左様。今でこそ五十たらずだが、いずれも一騎当千のつわものたちだ」
皆精悍な顔立ちをし、相当な訓練を受け、勇敢そうで。彼らをもって国をもぎとるというのも、まんざらはったりではなさそうだった。
「さらに問う。国は北からつくりあげてゆくのか」
「そうだ」
父の向こうを張ろうとしているのだから、やはり北から攻めるというわけか。なるほど。
コヴァクスにひとつ、案が浮かんだ。
「いいだろう。お前に付き合う。ただし、下にはつかぬ。あくまでも対等の仲間としてだ。それでもいいのなら」
「お兄さま」
驚いたニコレットは不安そうにしている。が、意外にも、
「よかろう」
と簡単に答えが返ってきた。神雕軍の者どもは、騒然とする。ドラゴン騎士団と名乗る正体不明の人間の、そんな要求を簡単に呑むなど、と。
「わかった。お前たちの要求をのもう」
大熊との戦いで疲れ果てているはずのコヴァクスであったが、あらぬことで気力を回復しシァンドロスに一矢報いたかたちとなった。が、やはり身体は正直であった。
わかったの声を聞くと我知らずよろけてしまい、ニコレットがあわてて馬をそばによせ肩に手を置き支える。
それでも紅の龍牙旗を落すまいと、拳は力一杯握られていた。