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第四十二章 新たな旅立ち Ⅰ

 群衆の蜂起から、命からがら逃げ延びたガッリアスネスは周囲を見渡すが。味方は誰ひとりとしていない。

 皆、てんでばらばらに逃げ散ったようだった。

 草原にいるのは己ひとり。空では人のすることなどお構いなさそうに、鷲が風に乗って悠々と飛んでいる。

 それをちらりと見て、ガッリアスネスはため息をつき。

「やむをえぬ」

 と、ひとり、トンディスタンブールを目指して馬を駆けさせた。

 トンディスタンブールには師匠のヤッシカッズがいる。

 これからどうなるかわからぬが、まずは、ヤッシカッズに会いにゆこう。後はそれからだ。

 しかし、かつては威勢を誇ったソケドキアも、この落ちぶれようはどうであろうか。

 一度の敗戦で、ここまでもろくも基盤が崩れ去って、人心も離れてしまうとは。

「思えば、我らは勢いをつけすぎた」

 勢いに乗って領土拡大を目指すあまり、足元を固めることをおろそかにしていたのではないか。

 そのために、一度の敗戦でなにもかもが崩れ去ってゆこうとしている。

 ガッリアスネスは、儚さを感じずにはいられなかった。

 数日、人目をしのんで旅をして、ようやくトンディスタンブールにたどり着いた。

 守備兵がトンディスタンブールを出入りするキャラバンや旅人を検分している。ガッリアスネスは甲冑を脱ぎ捨て腰に剣を佩くのみの軽装で、偽名をつかい、守備兵の検分を受ける。

 ガッリアスネスという名は広まってしまっているが、顔を知るものは少ない。偽名をもちい、守備兵にあてどもなく旅をしているただの旅人であると告げる。

 守備兵はすこしガッリアスネスをじろりと一瞥し、

「よし、はいっていいぞ」

 と、通してくれた。

 内心ほっとしながら、ヤッシカッズがいるはずの療養所を目指す。

 トンディスタンブールは都らしく賑やかな日常を謳歌しているようであった。人々にぴりぴりした緊張や殺意はないようで。

「やはりトンディスタンブールは革命王ムスタファー様に治めていただくのが一番いい」

 と、そんなことを朗らかに話し合っているのが聞こえた。

 もはやトンディスタンブールはムスタファーの都になってしまったのだ。しかし、革命王という称号が新たにつけられていようとは、ガッリアスネスもやや驚いた。

 ムスタファーは革命の象徴として、人心を掌握しているようだった。それだけシァンドロスは人々に敬愛されていなかったということでもあった。

 そうなると、トンディスタンブールにいるソケドキア人のことが気がかりになる。師匠らはどうなっているのであろうか。

「確か、ここのはず」

 師匠がいる療養所を捜し当て、中に入る。

 この療養所は戦争で傷ついた将兵のためにもうけられた施設で、十数人の傷病兵が療養し、その中にヤッシカッズもいるはずだ。

「失礼する」

 ガッリアスネスは中に入って、ならべられた寝台にいる療養中の将兵を見てまわる。

「師匠!」

 寝台に腰掛け、こちらを見つめる人物がヤッシカッズであるのを見て、ガッリアスネスは嬉々としてそのもとに来ると、跪こうとするが。

「よい」

 と、ヤッシカッズは止めて。ガッリアスネスをまじまじと見やって、

「よくぞ無事であった」

 と言った。

「師匠も、お元気そうで、ガッリアスネスは安心いたしました」

「ふむ。ムスタファーは公明正大な王のようで、トンディスタンブールにおるソケドキア人に手を出すことを厳に戒めてな。おかげで、無事じゃ」

 ヤッシカッズは苦笑を浮かべ、

「皮肉じゃな。敵に救われるとは」

 と、つぶやき。ガッリアスネスは静かにそれを聞いていた。

 ムスタファーとは幾度か刃を交えた仲なのだが、革命によりトンディスタンブールを治めるようになってからは、混乱に乗じて異なる人種民族が争わぬように不殺、不争の触れを出していた。

 刃を交えたとて、無用の憎しみを抱くようなムスタファーではなかった。

 なにより、せっかく革命で手中におさめた都が不要の乱で荒廃させることを防がねばならなかった。そのため、ムスタファーは不殺、不争の触れを出し。民衆を鎮めた。

 これがシァンドロスであれば、どうしたであろうか……。

 ガッリアスネスはこれまでのいきさつをヤッシカッズに語った。

 ヤッシカッズは、首を横に振って話を聞いた。

「そなたも、災難であったな」

「群衆は蜂起し、手勢は戦いを放棄し、つとめを果たすどころではありませんでした……」

「もはや、ソケドキアも終わった。神雕王も、もはやこの世におられぬ」

「なんと。それはまことでございますか」

 ガッリアスネスの身体に衝撃が走った。

 ヤッシカッズは、ムスタファーが出兵し蜂起した群衆もくわえて、リジェカより逃走するシァンドロスを討ったことを語った。

「神雕王はもはやこれまでと、自害されたそうだ」

「……」

 ガッリアスネスは何も言えず黙り込むしかなかった。

 激しく気落ちする弟子の肩に、ヤッシカッズは優しく手を添えた。

「終わったのじゃ。なにもかもな」

 終わった。なにもかもが終わった。

 ガッリアスネスは、激しい虚無感に襲われた。

 複雑な気持ちを抱えつつも、ガッリアスネスはシァンドロスに従い、前線に立って戦ってきた歴戦の勇士であった。

 それだけに、戦う意義であったシァンドロスが死んだことは、心に大きな空しさをおぼえさせるものだった。

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