第四十一章 夢の終焉 Ⅲ
「我らはムスタファーの民なり!」
「シァンドロスに死を! ソケドキアに滅びを!」
という叫びが、半ば廃墟の都市と化したベラードに轟く。
数万におよぶであろう群衆はもろ手を挙げ、得物を掲げ、天も揺れよとばかりに叫んでいた。
ムスタファーはその叫びを受けきっていた。
それは革命王と呼ぶにふさわしいものであった。
「皆の衆、我と共に生きるか、戦うか」
ザッハークの馬上から、ムスタファーは群衆に呼びかけた。
群衆は、ムスタファーの呼びかけに対して、熱狂的に、
「生きる! 戦う!」
と叫んだ。
ムスタファーのもと、群衆は生まれ住んだ地域や民族などを越えて、ひとつにまとまっていた。
イムプルーツァにパルヴィーンは感銘を受けて、ムスタファーをながめやっていた。
「よし。ならば、我とともに進め!」
ムスタファーが右手を挙げれば、群衆はわっと叫び。前進を開始した。
向かうはシァンドロスのいるフェレム。
トンディスタンブールを出たときには一万であったのが、今は五万近くの軍勢となっていた。それは戦争のための軍勢ではなく、革命のための軍勢であった。
その軍勢が向かうとの報せが、フェレムにもたらされる。
官舎の執務室で数人の役人とともに、代官は顔を真っ青にして、斥候の報告を聞いていた。
「ご、五万だと」
そんなに集まったのか。代官はもはや生きた心地がしなかった。
守備兵はわずかに三千五百である。十倍以上の寄せ手に対して、どう戦えというのだ。その寄せ手も、ほとんどが蜂起した群衆であった。
(神雕王はそこまで憎まれているのか)
シァンドロスの破壊と殺戮に対する容赦のなさをなんとも思わぬわけではなかったが、ザークラーイの会戦までは連戦連勝であったし、それによって抑えがきいて蜂起は起きなかったので、このままの勢いでシァンドロスは突き進むものとばかり思っていた。
しかし、いまはどうであろう。
(神雕王の世も終わる)
代官は、ふと、そんなことを考えてしまった。
「いかがなさいます」
役人が代官に問うが、よい考えは咄嗟には浮かばない。その代わりのように、
(神雕王の首を差し出す)
という考えが浮かんだ。
なんと恐ろしいことを、と思ったが。代官にしてみても近しい役人にしてみても、もはやシァンドロスのために戦う理由などないのではないか。
このフェレムの街も、街の人々も、旧ヴーゴスネアの内乱の中で生きてきた。もう戦争はこりごりだった。
代官は悩む。悩みつつ、シァンドロスの首をムスタファーに差し出す、という考えが大きくなってゆく。
シァンドロスは愛人のバルバロネとともに寝室にこもりっきりで、外に出ようとしない。それを見ると、ザークラーイでの敗北により腑抜けてしまったのかもしれぬ。
ならば、討てるのではないか。と、そればかり膨らみとめどもなかった。
「どうなさいます」
役人は不安そうにたずねた。
代官は目をきょろきょろとさせて、ううむと唸り。近くの役人をもっと近くに呼び寄せて。こっそりと、
「神雕王を討とう」
と、つぶやいた。
「な、なんと恐ろしや」
役人は腰を抜かして、ふらつきながら、代官の言葉を聞いた。
「もはや、それしかない。考えてみよ、もはや神雕王など羽をもがれ地に墜ちたも同然。そのために、我らが命を懸けて戦うことなどあろうか」
「……」
役人らは黙り込んで、考え込んだ。言われてみればそのとおりであるが、いざ討つとなると腰が引けてしまうものだった。
が、反対ではなかった。
「なあ、やろうではないか」
代官は決意をうながすように、役人らに言った。役人らも、心を決めつつあった。
「やりますか……」
そうと決まると、代官は役人に命じて腕の立つ兵士を呼びにいかせた。
その間、緊張が周囲の空気もろとも人々を縛りつけ、誰も口を聞こうとしなかった。というときであった。
「はいるぞ」
と、突然やってきたのは、シァンドロスであった。そばにバルバロネをともなっており。帯剣し、甲冑に身をまとっていた。
代官は度肝を抜かれ、それをどうにか隠しながら、
「いかがなさいました」
と言えば。シァンドロスはふっと不敵な笑みで、
「この街を出てゆく。世話になったな」
と言う。
「フェレムを出るのでございますか。しかし……」
「そなたの心遣いには感謝する。しかし、オレはヴァルギリアに帰らねばならぬ」
言い出したら聞かないシァンドロスである。なにより決断も早く、そう言うや、ではな、と振り返って執務室を出ていこうとした。
が、おもむろに足を止めて、代官に振り向き、
「オレを殺すのは神だ。人ではない」
と、言った。
代官は顔が蒼ざめるのを隠せなかった。
シァンドロスは不敵な笑みを見せて、執務室を出ていった。
代官らは腰を抜かし、その場にへたりこんで動けなかった。
官舎を出て、愛馬ゴッズに打ち跨り郊外に出ると、すぐさま将兵らを結集させた。
集まった将兵らは、ザークラーイの敗北においてもシァンドロスからはなれずついてきたつわものどもであった。
「もう十分に休んだ。ヴァルギリアに帰るぞ」
そう言えば、将兵から「応」という応えがかえってくる。
その数わずかに二千五百ほどである。
ムスタファー率いる群衆との混成軍およそ五万が向かってきているのを、知らぬわけではない。だが、シァンドロスは座して滅びを待つような性分でもなければ、おのれが人に殺されぬと固く信じてやまなかった。
(我を殺す者あらばそれは神のみ)
「ヴァルギリアへ」
という言葉を合言葉にするかのように、シァンドロスにバルバロネ、将兵らは口ずさみ、進みだした。




