第四十一章 夢の終焉 Ⅱ
蜂起した民衆は壊滅させられたバヴァロンの生き残りの住民を含め。ラジェラをはじめとするその周辺の街々の住民が立ち上がったのだった。
人民の中にも賢い者はおり、あらかじめバヴァロンや周辺の街々の住民と打ち合わせをしたうえで、決起するよう計画的にことははこばれたのだった。
蜂起した民衆は、征服側の最高責任者であるガッリアスネスのいるラジェラの街までやってきて、そこで鬨の声をあげた。
途中アーベラの要塞があったが、そこに駐屯する兵士たちは我先にと逃げ出し労せずしてソケドキアの一角を崩せたのだ。
ガッリアスネスは咄嗟に抜剣し、官舎から出たときには、守備兵と群衆が渡り合っていた。
「追い払え! 相手は素人だぞ!」
ガッリアスネスは剣を掲げ駆け出し、群衆のひとりを剣の横っ面で殴り倒した。
守備兵もガッリアスネスの言うとおり、相手は素人だと得物を振るい群衆を薙ぎ払おうとする。
しかし、怒りも心頭に発した群衆は刃など恐れず、わっと赤い口をあけて守備兵に突っかかってくる。
「将軍!」
従者が馬舎から馬を曳いて、ガッリアスネスはそれに飛び乗った。
馬上から見ると、官舎はおろかラジェラの街全体が群衆によって埋め尽くされていた。いったいどれほどの数がいるのであろう。
「これは、果てがない!」
群衆の数は数え切れず。怒涛のごとくラジェラの街を飲み込んでいた。
ガッリアスネスは歯噛みし、周囲を見渡し。強く舌打ちして、
「もうよい。逃げよ! ラジェラを捨てよ!」
と叫んでまわった。
群衆の中には甲冑に身をまとい剣や槍をもつ、本格武装の者まであった。おそらくタールコの兵士であった者であろう。
それが、槍の穂先をガッリアスネスに突き出し。咄嗟に柄を斬り。馬を駆けさせ、攻めを逃れる。
「兵士も蜂起にくわわっているのか」
考えてみれば当然のことであろう。蜂起は素人の民衆のみが起こすものではない。兵役についていた者も蜂起にくわわり、それが主力となって民衆を引っ張っているようだった。
とにかく、命懸けでラジェラの街を守ることはない。これを機に、ラジェラを出て集められるだけの兵をもってして、シァンドロスと落ち合うのだ。
だが群衆は悪鬼のごとくの形相で守備兵を打ちのめしあるいは斬り殺し、あるいは足蹴にして、にっくきソケドキア人に復讐していた。
ことにバヴァロンの住民だった者の激しさは尋常ではなかった。
無理もないであろう。あの破壊と殺戮で、家族を殺された者、婚約者を犯された者、財産を略奪され家に火をかけられた者など、様々な恨みつらみがバヴァロンの住民を復讐に燃え上がらせて、蜂起に駆り立てていた。
ソケドキア東部となった旧タールコ西部の留守を任されていたガッリアスネスのもとには、それなりの兵力があったが、それも意味をなさなかった。
「もうラジェラを捨てよ!」
と、ガッリアスネスが言うまでもなく、恐慌を来たした兵士らは我先に逃げ去ってゆく。部将の地位にある者まで、ガッリアスネスに言われるまでもなく、兵士らとともに逃げ去ってゆく。
酷い者は逃げる最中に群衆につかまり、滅多打ちにされたり滅多切りにされたり滅多突きにされたりして。阿鼻叫喚の表情で血にまみれて息絶えたものだった。
もはやガッリアスネスのもつ兵力など群衆は恐れず。いかに剣を振るおうとも次から次へと迫ってくる。
それほどまでに群衆蜂起の規模は大きく、それに比例して憎しみも大きかった。
「民衆の怒りとは、ここまで恐ろしいものか」
ガッリアスネスも歴戦の勇士である。めったなことでは恐れを抱かないのだが、この蜂起には恐れを抱かざるを得なかった。
すべてを失いかけた、いや、すべてを失った者はもう命に頓着せず、ただソケドキア兵を殺すことしか頭になかった。それは狂気ともいえた。
だがその狂気を招きよせたのは、シァンドロスの破壊と殺戮だった。
「神雕王の行いは、このようなかたちでかえってきたのか」
そう、ガッリアスネスはつぶやいた。
「リジェカでの敗北がなければ」
つい、そうつぶやいてしまったが、詮無いことであった。
ガッリアスネスに言われるまでもなく、兵士や部将までもが逃げようとしているのを見て、ガッリアスネスは、
「もはや神雕王の威厳も、地に墜ちたか」
と、歯噛みした。
誰もシァンドロスのために戦おうとせぬ。
「負けるとは、こういうことか」
ガッリアスネスはうめき、馬を駆けさせて群衆押し寄せるラジェラの街を駆け抜ける。立ちはだかる群衆は、やむなく馬脚で蹴飛ばし、ときには剣を振るって斬り払った。
人民を斬るのは不本意ではある。しかしそのようなことにかまっていては、こちらがやられてしまう。
「神よ、ついに我らに鉄槌をくだしたもうか」
ガッリアスネスは天上に向かって叫んで。
ラジェラの街を捨てて、遮二無二に馬を駆けさせた。
ムスタファーの軍勢は旧ヴーゴスネアの都市ベラードに到着した。
その都市は、シァンドロスによって壊滅させられ。半ば廃墟の都市と化していた。
その都市に、数万の群衆が集まり。ムスタファーを待っていた。
ムスタファーの象徴である獅子の旗が見えたとき、群衆は一斉に声をあげて、
「革命王ムスタファー、我らとともに!」
と叫んだ。
群衆はムスタファーが旧ヴーゴスネア五ヵ国を征服し治めていた時を忘れず。歓呼の叫びをもってこれを出迎えた。
「シァンドロスへの憎しみにあふれておりますな」
群衆の歓呼の叫びに包まれて出迎えを受け、半ば廃墟の都市となったべラードを見て、イムプルーツァはムスタファーにつぶやいた。
ムスタファーはたしかに、旧五ヵ国を治めている時、善政を布いた。だがそれだけでは、群衆は集まり命を懸けてシァンドロスと戦おうとはしまい。
むしろシァンドロスへの憎しみが先にあるであろう。ことにベラードの住民であった者たちの熱狂は群を抜いていた。
シァンドロスへの失望、怒り、悲しみ、そして憎しみ。それらが、半ば廃墟となっているベラードに渦巻いていた。
もはや群衆は、自分たちをソケドキアの民だとは思っていない。では、どこの民となるのであろう。
「我らは、ムスタファーの民なり!」
どこからともなくそんな声が聞こえたと思うと、それは徐々に大きく、広まってゆき、ついには群衆全体が、
「我らは、ムスタファーの民なり!」
と叫びだした。
愛馬ザッハークの馬上、ムスタファーは群衆を見渡し。
「シァンドロスに死を! ソケドキアに滅びを!」
そう叫んだ。
すると群衆はそれに呼応して、
「シァンドロスに死を! ソケドキアに滅びを!」
と叫びだした。
かつてはタールコと旧ヴーゴスネアは敵対関係にあり、刃も交えた歴史があった。
それがいまは、昔のことなど忘れて、シァンドロスをたおすためにひとつにまとまろうとしていた。




