第四十章 終わりと始まり Ⅲ
「聞けばシァンドロスはリジェカに敗れ、その兵力も大きくそがれたという。新しきタールコにとってソケドキア、シァンドロスは脅威であり、これを打ち倒すには、いまをもって他になし。諸君ら、異議はあるか」
ムスタファーは玉座から臣下らを見下ろし、出兵の是非を問う。
群衆を扇動し、トンディスタンブールを革命によって占拠し。新しきタールコを打ち立てた。
しかし、新しきタールコといっても、このトンディスタンブールだけである。勢力を拡大し、国としての地盤を固めねばならない。
というときに、シァンドロスはリジェカとの戦いに大敗し、必死の思いで逃避行をしているという。
また、ソケドキア領土とはいえ、新たに征服されて地盤が固まっていない旧ヴーゴスネア地域に旧タールコ西部では、不穏な空気が漂っているようだ。
エラシアの諸ポリスも、動向をうかがい。状況によってはシァンドロスに反旗をひるがえすかもしれぬ。
ムスタファーがトンディスタンブールで立ち上がったのは、時にかなったことだった。
ともあれ、ムスタファーはこの機を逃さず。シァンドロス討伐のための出兵を決意した。
臣下たちは、にわかにざわめく。
トンディスタンブールも統治者が代わったばかり。常備兵もソケドキア人でかためられていたのを、追い払い。新たに募った人員や傭兵でまかなっている。
その数は一万五千ほど。
出兵をするならば、一万を出し。五千は守備のために残しておかねばならない。新しきタールコことトンディスタンブールは、ソケドキア領土内に突如あらわれた新国家であり、現段階では都市国家なのだ。
「異議なし!」
と叫ぶのはイムプルーツァであった。
彼もまた、いまこそ絶好の機会であると思っている。
その目は、まっすぐに敬愛する革命王ムスタファーを見据えている。
他の臣下たちも、異議を唱えるに唱えられず、
「異議なし」
と異口同音に言った。
ムスタファーが内側から発する気が、臣下たちを圧倒し。異議を唱えさせなかった。それ以上に、ムスタファーならば何事もなしとげられると、そんな気を起こさせるのであった。
試練に打ちのめされそうになったムスタファーであったが、見事試練を乗り越えて。新たな道を切り開こうとしていた。
さて、トンディスタンブールの革命の折りに忘れてはならぬ者がいた。
バゾイィーである。
彼は革命がなったのち、今後をどうするかとムスタファーに問われて。
「そうだな。まさかオンガルリ国王であったものが、タールコに仕えるわけにもいくまいし。なにより、予は自由の虜になってしまってな」
などと言ってのけて、仕官をするどころか。翌日の深夜、こっそりとトンディスタンブールを抜け出し。
行方をくらましてしまったのだった。
ムスタファーも無理にバゾイィーを追わず捜さず。ゆくにまかせた。
人にはそれぞれの生き様がある。
バゾイィーの生き様に介入するような野暮は、ムスタファーはしなかった。
彼には帰れるところがある。一旦はなくなったその帰れるところも、ドラゴン騎士団が再び興したのだ。
自由の鎖から心が解き放たれ、望郷の念が生じたとき。いつでも帰れる。そう思うと、ムスタファーはバゾイィーがすこし羨ましく感じられた。
トンディスタンブールでの獅子の革命。シァンドロスの大敗。その報せは、拡大するソケドキア東部にも広まり。
東の守りを任されていたガッリアスネスのもとにも、飛び込んだのはいうまでもなかった。
「なんということだ……」
ガッリアスネスは絶句した。
都にさだめられたトンディスタンブールが奪われたうえに。
無敵無敗を誇った神雕王シァンドロスが、オンガルリ・リジェカ征服戦に敗れ。兵力も大きくそがれて。
わずかの兵力をともなって、ソケドキアへ、ヴァルギリアへと逃れているという。
東部進出の拠点は、ラジェラという中規模の街とアーベラの要塞だった。
ガッリアスネスや遠征軍はそのラジェラの街とアーベラの要塞にわかれて駐屯していた。
シァンドロスがオンガルリ・リジェカを征服する間、ソケドキア東部の守りをまかされていたガッリアスネスも、これには頭を抱えた。
シァンドロスも心配だが、トンディスタンブールで怪我の療養をしていた師匠のヤッシカッズも心配であった。
怪我はよくなっているとの報せがあったが。革命の起こったトンディスタンブールで、そこに在住していたソケドキア人はどうなるのであろう。
ムスタファーはソケドキア人でかためられていた常備兵を追い。新たにタールコ人の兵士を募り、傭兵も組み入れて兵力の再編成をおこなっているという。
都がトンディスタンブールにさだめられたとき、多くのソケドキア人がトンディスタンブールに移り住んだのだが。彼ら彼女らはどうなっているのであろう。
ソケドキア、シァンドロスへの復讐の念に駆られた市民の手にかかっていなければよいのだが。
ムスタファーが慈悲をもって、なんのへだてもなく、トンディスタンブールを統治し市民をいつくしむことを願うしかなかった。
それにしても、不甲斐無いではないか。
できれば自分の手でトンディスタンブールを奪還し、シァンドロスを助けに行きたいが。ふたつを同時におこなうことは不可能だった。
ことに、いま、自分の手元にある兵力でトンディスタンブールを奪還するのはなおさら無理である。
ならばシァンドロス救出に専念したいが、途中にトンディスタンブールがある。
ともすれば、救出にゆく途中で、トンディスタンブールから兵が出て、追い立てられるかもしれないのだ。
「どうするべきか」
ガッリアスネスは執務室で、腕を組み、ぐるぐると歩き回って悩みに悩んでいた。
状況は圧倒的に自分たちに不利であった。
ちょっとやそっとのことでは、この状況は覆せまい。ならば、いっそのこと大胆に出るしかないのかもしれない。
その大胆なことが、なかなか浮かばず。打開策を、ガッリアスネスは考えあぐねていた。




