第三十九章 崩壊の序曲 Ⅴ
バルバロネとニコレット、シァンドロスとコヴァクスが刃を交える間、オンガルリ・リジェカ連合軍はダラガナがよく指揮し、乱れるソケドキア軍を掻き回していた。
十三万という兵力であったが、士気は低く、背後を突かれて逃げ惑う者の方が多かった。それは目も当てられぬほどの乱れようであった。
もはやソケドキア軍に軍勢としての統率はなかった。
そんな中にあって、イギィプトマイオス率いる一軍はよく踏みとどまって戦った。
「逃げるな、踏みとどまって戦え!」
逃げ惑う兵士らを叱咤する、イギィプトマイオス。
士気高く、猛然と刃を振りかざしてくるオンガルリ・リジェカ連合軍の兵士らをイギィプトマイオスは勇戦して薙ぎ払い。
己についてくる一軍、およそ一万ほどであろうか、をよくまとめて戦場を駆け巡っていた。
その甲斐あって、ソケドキア軍は逃げる者多けれども完全な崩壊にはいたらず。イギィプトマイオスに触発されて、逃げるのをやめ戦う者もぼちぼちといた。
「逃げる者はかまうな。抗う者のみと戦え!」
ともすれば勝利を確信するあまり逃げる者まで追って統率が乱れそうになるのを、ダラガナやオンガルリ・リジェカの部将は戒めて、抗うイギィプトマイオスの一軍に軍勢を集中させようとする。
実質的な兵力はオンガルリ・リジェカ連合軍でおよそ五万、ソケドキア軍は一万強といったところであった。
十三万もの軍勢のほとんどは蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまっていた。気がつけば、ソケドキア軍のかがり火はかなり少なくなり。
オンガルリ・リジェカ連合軍は最前線がソケドキア軍と当たる間にかがり火をふやすゆとりさえあった。
「シァンドロス、お前の負けだ! 潔く降伏すれば命だけは助けてやる!」
「ほざけ! オレは敗れて虜囚のはずかしめは受けぬ!」
コヴァクスと刃を交えながら、シァンドロスは戦って死ぬことを打ち明けた。
自らを神雕王と名乗る気高さである。降伏など考えられぬことであった。
だが形勢はソケドキア軍が圧倒的に不利であった。
当初二十万もの軍容を誇ったのが、いまはイギィプトマイオスがどうにかまとめる一万ほどである。この無様さはどうしたことであろう。
槍斧はうなり、シァンドロスを打ち砕こうと迫ってくるが。シァンドロスもよく戦い、槍斧をかわし、受け流して、隙をうかがっていた。
一方でバルバロネとニコレットの女同士の戦いも白熱したものだった。
もはや言葉も交えず、バルバロネは激しく斬撃をニコレットに見舞おうとする。
火花を散らしながら、ニコレットはバルバロネの振りかざす剣を受け、致命傷にならぬよう気を使いながら隙をうかがい剣を振るった。
月や星星の夜空は、地上での人間の戦いをきらめきながら見下ろしていた。
龍菲は少しはなれたところで、シァンドロスとコヴァクスの一騎打ちを眺めていたが。戦況が変わったのを肌でかんじた。
イギィプトマイオス率いる一軍が、オンガルリ・リジェカ連合軍に押されて後ろへ後ろへとさがっていた。
「もう、いかん」
イギィプトマイオスはうなって、やむなく、
「退け」
との号令をくだし、自らはコヴァクスと一騎打ちをするシァンドロスのもとまで駆け寄った。
刃を交えるシァンドロスとコヴァクスであったが、その間にイギィプトマイオスが割り込む。
「神雕王、どうかお逃げを! ここはイギィプトマイオスが防ぎますれば」
「邪魔をするな!」
「いいえ、お逃げ下さい。御身がご無事であらば、また再起のときもありましょう」
シァンドロスに加勢するように、イギィプトマイオスはコヴァクスに刃を見舞う。
槍斧は二本の剣とぶつかり合う。これを見た龍菲、二対一となったのを見て、咄嗟に龍星号を駆ってコヴァクスに加勢する。
「お前は!」
龍菲の姿を見て、シァンドロスとイギィプトマイオスは同時にうなった。
奇妙な体術をつかい、一度は身動きがとれないようにされたこともあった。その強さは、底知れぬものがある。
龍菲の剣は風のように舞い、コヴァクスの振るう槍斧と連携してイギィプトマイオス、シァンドロスに切っ先をつきつける。
イギィプトマイオスは勇敢にも、ひとりでコヴァクスと龍菲のふたりの相手をしようとして。他の将兵が、一騎打ちの間に割り込み、引き離そうとする。
「どうかお逃げを!」
「ここは一時の恥を偲び、雪辱のときを待ちましょう」
などと言いながら、将兵は無理矢理にでも一騎打ちの間に割り込み、ついにはゴッズを後ろに下がらせてしまった。
「何をするか。オレが負けるとでも思うのか」
「思いませぬが、いまは、ヴァルギリアへお帰りなさることが最優先でございます」
ヴァルギリアへ帰る。
その言葉を聞いて、さしものシァンドロスも望郷の念が沸いたか。やや考えた末に、
「やむをえぬか」
とつぶやき。
「イギィプトマイオス、後は任せたぞ」
と言って、将兵に取り囲まれて戦場を離脱する。
シァンドロスが離脱するのを見て、バルバロネも、
「あばよ。お前の相手は終わりだよ!」
と言い放って、ニコレットの斬撃をかわし、シァンドロスを追って戦場を離脱した。
「バルバロネ!」
ニコレットはバルバロネを追ったが、途中で白龍号を止めた。その背中に、なにか儚いものを感じて、討ち取ろうという気がそがれてしまったこともあった。なにより、旧知のバルバロネを討つのは忍びなかったのが本音であった。
「イギィプトマイオス! 暴君のために命を賭けるのか!」
「貴様がどう思おうとも、神雕王はオレの夢なのだ。オレはあのお方にすべてを賭けているのだ!」
バルバロネと同じことを、イギィプトマイオスは言った。
破壊と殺戮に容赦のないシァンドロスであったが、近しい者に夢を見せるだけの大将としての器量があるのは間違いなかった。
「夢、だと……」
シァンドロスが夢であり、すべてを賭けていたというイギィプトマイオスの言葉に、コヴァクスは意外な印象を持った。
龍菲は一対一になるよう、さりげにはなれて、両者のやりとりを見守っていた。
人が人に仕えるというのは、理屈だけではない。人を通して、夢を見て、その夢のためにすべてを賭ける。それもまた、人が人に仕える動機でもあった。
イギィプトマイオスにとって、バルバロネにとって、シァンドロスは夢であったのだ。




