第三十八章 獅子の革命 Ⅷ
「獅子の革命!」
という群衆の叫びは空を揺るがし。天宮を包み込んだ。
天宮の中にまで、群衆の叫びは轟き。代官たちは心穏やかではない。
「群衆が天宮を取り囲んでおります!」
という士官の報せを受けるまでもなく、叫びと轟きは腹にまで響き、代官らは自分の身の危険を感じざるを得なかった。
「守備隊はどうしておる!」
「ムスタファーをかたる者らの率いる群衆と渡り合っておりますが……」
「おりますが……、なんだ!」
「数に違いがありすぎ、押される一方でございます」
「ええい、不甲斐無い者どもよ!」
代官らは歯噛みし身もだえした。
ソケドキアの歴史上はもちろん、タールコの歴史上においても、天宮が群衆に包囲されるなどあっただろうか。
その群衆を導くのが、かつてタールコの皇帝であり獅子王子、獅子皇と呼ばれたムスタファーであるなど、もっと考えもつかぬことであり。
代官らは、ムスタファーが群衆を導いているなど信じたくはなかった。
しかし、導く者がどうあれ、天宮が群衆の包囲を受けているのは紛れもない事実なのだ。
しかも、群衆はなんと叫んでいるのか。
「アスラーン・デヴルン……。獅子の革命、だと」
タールコ語でしきりに叫ばれる獅子の革命という言葉の響き。
「かたりもうまく群衆を乗せたものよ」
悔し紛れの一言をはなつところで、事態が改善されるわけもなし。考えるまでもなく、代官らは天宮から、トンディスタンブールからの脱出をはかろうとした。
「どうにか逃げられぬものか」
「……」
士官は黙り込んで何も言わない。
それが何を意味するのか。
「なぜ黙っておる!」
苛立った代官は、勢いに乗せて士官の肩を強く蹴った。
士官は、あっ、と小さく悲鳴をあげて転んだ。
「この、役立たずめ!」
たおれる士官に、代官は唾を吐きかけた。士官は屈辱に顔をゆがめ、代官を睨み据えている。
「なんだその目は!」
いよいよ苛立ちも頂点に達した代官は別の士官から剣を取り上げて、切っ先を胸に深く突き刺した。
士官は血に染まり息絶えて。代官はふたたび士官のむくろに唾を吐きかけた。
「なにがなんでも、群衆を追い払え!」
代官らは手を振り上げて、士官にそう厳命し。士官は刺殺された士官のむくろをかつぎながら、天宮の広間から出て行った。
さてムスタファーらである。
一目散に天宮を目指すも、ソケドキア側がそう簡単に行かせるわけもなく。守備兵立ちはだかり、これを刃を交えていた。
ムスタファーは獅子王子、獅子皇と呼ばれたのも伊達ではないと、縦横無尽に乱戦の中を駆け巡り。駆け抜けるところ血風吹き荒ぶほどの勢いであった。
群衆も「獅子の革命!」と叫びながら、守備兵から分捕った剣や槍のみならず、棒切れや鍋など、使えるものはなんでも使い。立ちはだかる守備兵と渡り合っていた。
「くそッ! 数が多すぎる!」
守備兵の誰かが悲鳴をあげた。兵士の多くはオンガルリ・リジェカ征伐のために狩り出されて、トンディスタンブールの留守を守る兵士の数は少なかった。
守備兵が次々と、群衆の餌食となる。
群衆は守備兵に怒涛のごとく襲い掛かり。ひとり、ふたり斬ったところで、次から次へと来るから、斬っても斬ってもきりがない。
すくなくとも、人口の半分は革命にくわわっているのではないか。そう思わせるほど、天宮の周囲は人で溢れていた。
その迫力は、心臓を鷲掴みにされそうなほど、守備兵を威圧した。
ソケドキア、シァンドロスへの怒り。解放とタールコ復帰への強い願い。それらが、群衆を一致団結させて、天宮を取り囲ませていた。
ことに、ムスタファーらの勇戦は群衆を勇気づかせた。
勇気を沸き立たせた群衆は、幾人が守備兵に斬られようともひるまず。数に任せて守備兵をとりかこみ、四方八方から容赦ない責めをくわえた。
責められる守備兵は、襤褸布のようにされ。血まみれになって、ぐにゃりと身体をおかしな格好にさせて、むくろを横たえていた。
それは群衆をさらに熱狂させ、守備兵を怖れさせた。
「もうだめだ。逃げろ、逃げろ!」
どこからともなく、そんな叫びが悲鳴とともに飛び出す。
守備兵は、もはや戦意を失っていた。
士官が代官の命令で防戦を指揮するために天宮から出てきたときには、守備兵は算を乱して逃げ出していた。
「やはりこうなるか……」
士官は顔をゆがめ。意を決して、
「ならば、オレも……!」
と、守備兵とともに逃げ出す。代官のあの傲慢で非情な振る舞いを目の当たりにして、どうして代官のために戦えようか。
これにより、もはや天宮を守る者は皆無に等しかった。
「イムプルーツァ、パルヴィーン! 天宮へゆくぞ!」
守備が手薄になったのを見計らい、ムスタファーはザッハークを駆けさせて天宮へと飛び込んだ。