第五章 激突 Ⅱ
もの言わず、すずやかにも思える眼差しの黒い瞳を六魔の六人に向けると、静かに言った。
「あなたたちが狙うのは、私でしょう」
目を剥いたグニスッレーが憎憎しげにこたえる。
「おお、そうだとも。我らの狙いはお前だ」
「でも暇つぶしに、人殺しをしてもいいってご主人さまからのお達しだから、お咎めを受けるいわれはねえぜ」
とルクトーヤンはおどけるが、その目は心なしか震えているようだ。
「そうかお前だな。我らのことを、六魔と言いふらしているのだな」
女に人差し指を突きつけるオナリハトク。彼もまた目をやけにいからしている。アンダルゾンもブラモストケも、それまで見せていた余裕はどこへやら。
女の出現から、がらりと様子はさまがわりをしていた。
女は六人の視線をかわすでもなし、目をそらしつつ、相手の言葉を聞き流し。黒い瞳は、足元を見つめて。意識は遠くに飛んでいるようで。
仕掛ければ、簡単に勝てそうだった。
と思ったルクトーヤン、すかさず剣を振るい女に斬りかかる。
「よせ!」
グニスッレーの制止も間に合わず、鋭い斬撃が、女の頭をかち割るかと思われた。しかし、次の瞬間には、剣は女の右手の人差し指と中指にはさまれていた。
いつ手を上げて、剣を指で挟んだのか。誰も動きを見切れなかった。無論ルクトーヤンも。それでいて、張り付いたように剣は指からはなれず動かない。
「な、くそ」
と剣を引き離そうとするが、うんともすんとも動かない。
「剣をはなせ!」
オナリハトクは叫んだが、叫びきらぬうちに女の左手が翻ったかと思うと、その掌がルクトーヤンの顎に打ち付けられ。
白目を剥いて天を仰いだルクトーヤンは、顎を砕かれ、どお、と仰向けにたおれて動かなかった。
(なんだあれは!)
コヴァクスにニコレットらは、唖然となってたおれたルクトーヤンと女を交互に見やった。見たこともない武術、とでもいおうか。
「パンクラチオン、ではない……」
ぽつりとソシエタスはつぶやく。
文明発祥の地といわれるエラシアから、無手で戦う格闘術パンクラチオンも文化文明のひとつとして伝えられ。それは大陸西部に広く流布されている。コヴァクスやニコレットも、ソシエタスも、たしなみはあるが。
女の動きは流麗で、しかも掌で相手を打つ。彼らが知る限り、そのような動きはなかった。
ルクトーヤンは白目を剥いたまま、仰向けにたおれ、動かない。
「おのれ、ロンフェイ……」
我を忘れたように、オナリハトクがつぶやき。グニスッレーがその顔をしたたかにはたいた。
「余計なことを言うな!」
「……」
オナリハトク無言。
グニスッレーは拷問を受けているかのように、顔をゆがめる。なまじ美しい顔立ちをしているだけに、そのゆがみっぷりは醜さをひときわ印象付ける。
ひとり斃され六魔が五魔になった。人数にしても、コヴァクスら四人にロンフェイと呼ばれた女が加われば不利なことこのうえない、と見たか。
「引け!」
と言うや、五人はルクトーヤンのかばねを捨てて駆け出し背中を見せて、逃げ出した。コヴァクスらは追おうとするが、五人の手から光るものが飛んだ。と思うと咄嗟に身を伏せてそれをかわす。それはナイフだった。
ロンフェイと呼ばれた女にもナイフが迫っていたが、彼女は簡単にそれを指で挟みこんでとめた。
その間にも五人は逃げて影もかたちもなくなった。
もの言わず横たわるルクトーヤンのかばねを横目に、コヴァクスにニコレットらは無言で女をながめた。
女も、じっとコヴァクスらを見回している。
見れば見るほど、不思議な女だった。ことにその容姿。
服は手作りのようでいささか砂埃もかぶっているようだが、袖を通して着るというより白い薄布が女の身体の一部のように纏わり着き、その息吹にふれて流れているような軽やかさを感じさせた。
またその顔立ちは彫りも浅くも、大理石の女神像が人間になったのかと思わせるほどに白く滑らかであった。しかしその黒い瞳。何かを瞳の奥に秘めているように、冷たく光っている。
女は指で挟んだナイフを、忌々しそうに地に打ち捨てれば、きっさきは地面を突き刺して立った。
「あ、あなた誰なの……」
おそるおそる、ニコレットがようやく声を絞り出す。女は黒い瞳で相手を見据え、
「ロンフェイ」
とこたえた。
本当は名乗りたくなかったが、ばれてしまったから仕方なくこたえた、という感じだ。
続いてコヴァクスが何か言おうとしたが。
「私は行くわ。縁があればまた会えるでしょう」
と言うや背中を見せて駆け出す。待ってくれ、と咄嗟に呼びかけたが、スカートの裾が地面の上で流れているようにゆれ、まるで女を運んでいるように見えた。
いや実際には足で駆けているのだろうが、あまりにも流麗な動きで、宙に浮いているのかと思うほどだった。
そうして皆が驚きの目で見守る中、ロンフェイも姿を消した。それはまるで、風のようだった。
ルクトーヤンのかばねを忌々しそうに集落から離れたところに捨てて、コヴァクスとソシエタスが眉をしかめて帰ってくる。
それからまた、話し合いがはじまった。
あの連中はロンフェイを狙っているようだが、どうしてなのかは無論わからない。
それと、赤い兵団、イヴァンシムをどうやって探すか。
混沌としたヴーゴスネアには安全な場所などなさそうで、とどまっていても災いがやってくることを知った。だからといって、集団でほっつき歩いても、やはり同じように危険だった。
そこで、意を決したコヴァクスとニコレットが、二人で行くと言い出す。
大勢で動くのがまずいなら、少数で動けばいい、と。
最初渋っていたソシエタスは、クネクトヴァ、カトゥカはバルバロネとともに集落に残ることになった。
紅の龍牙旗は、ニコレットが背負ってゆく。イヴァンシムに会ったとき、まことドラゴン騎士団の小龍公に小龍公女であるとの証しのために。
ただ、来てくれるかどうかはわからない。
それでも、何かを動くことでつかめれば、という希望を持って。
留守の間は、ソシエタスやバルバロネが集落を守り、かつ男たちを訓練し有事に備えるようにする。
「とりあえずひと月。ひと月経っても戻らねば、ソシエタスで判断し、なんとかしてくれ」
「小龍公、そのような縁起でもないことを」
「オレだって、帰ってくるつもりさ。だけど、万が一ってことがあるだろう」
「だめ、絶対帰ってきて!」
と言うのはカトゥカだった。置いてけぼりにされるという悲しみを込めて、じっとふたりを見つめていた。
ニコレットは微笑み。
「うん、きっと帰ってくるわ」
とカトゥカの手を握った。クネクトヴァも寂しそうにしているが、
「無事を祈っています」
と言ってくれた。集落の人々も、希望と不安の入り交じった眼差しをしていた。
(オレの命は、オレだけのものではない、ということか)
自分は責任ある人間なのだ。と思うと、おのずと気が引き締まる。そして万一と言わず、必ず帰ってこようという決意が、胸に湧き起こるのであった。
それと、できればロンフェイと再会し、味方に引き入れたいという気持ちもあった。正体がつかめていないものの、悪人ではないのは確かだろう。
(あの哀しいような瞳は)
あれ以来、あの瞳が、なぜか胸に去来し、脳裏に幾度となくひらめく。
「では、ゆくか!」
「はい、お兄さま!」
景気づけにと、元気よく声を出し愛馬を駆ってイヴァンシムを捜し求める旅に出るコヴァクスにニコレット。その背中に、
「生きて帰ってこいよ!」
と言うバルバロネの声が人々の見送る声にまざってぶつけられる。
「コヴァクス! お前と渡り合って、どっちが強いのか腕試しをしたいからな!」
と皆が驚くことをからから笑ってバルバロネは大きく手を振った。
「おう、帰ってきたら腕試しをしよう! それまで、あんたも腕磨いておけよ!」
コヴァクスも負けずに返す。苦笑するニコレット。だけど、辛気臭いのよりは、ずっといい。バルバロネが人々を守ってこれたのは、ひとえにその武勇よりも明るさだったのかもしれない。
やがてバルバロネの威勢のよい声も聞こえなくなって、コヴァクスとニコレットは、知らない土地のさらに知らない土地へと、飛び込んでいった。