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第三十七章 ザークラーイの会戦 XV

 ニコレットの派遣した伝令将校が来るのと時を同じくして、物見からの報せがもたらされ。

 コヴァクスも敗残兵処刑のことを知った。

 リジェカ軍は自分たちが敗走させた将兵が、ソケドキア軍によって処刑されたことを知り、騒然となった。

「もはや人ではない……」

 とコヴァクスは言った。

 ザークラーイ山ではさらに、ソケドキア軍による敗残兵処刑の話題でもちきりだった。

 まさかそこまでするなど思わず。慄然としたものを感じざるを得なかった。

「なぜシァンドロスはあんなことをする」

 モルテンセンはイヴァンシムに問うた。いかに敗残の兵とはいえ、敗残を理由に処刑するなど。モルテンセンには考えられないことであった。

「魔性、と言いましょうか。魔物は人の心にこそ潜む、としか言いようがありませぬ」

「シァンドロスの心に、魔物が」

「そうです。破壊も殺戮も、あの処刑も、心の魔物のなせるわざでございます」

「それは、シァンドロスだから、なのか」

「いいえ」

 イヴァンシムはモルテンセンをじっと見つめて、首を横に振った。

「魔物は、人を選びませぬ。隙あらば、誰の心にも忍び込み。ともすれば、この私にも、おそれながら、王のお心にも、忍び込みます」

「予の心にも……」

 モルテンセンは身震いした。自分の心に魔物が忍び込み、暴虐を働かせるなど。考えたくもなかった。しかし、イヴァンシムは、モルテンセンもともすれば、と言う。

「どうすれば、魔物を防げるのだ」

「それは。強き心をもち、正しき哲学を学び。王ならば、王道を歩まれることを常に心がけることです」

「王道か……」

 モルテンセンは、王道という言葉に思いをはせた。言われるまでもなく、それは常に心がけていることだ。しかしイヴァンシムは、それを強くモルテンセンに言った。

「シァンドロスもしかり、かつてのカルイェンもしかり。我見我欲が強く、魔物を呼び寄せてしまったと言ってもよいでしょう。また王はいまはもちろん、これを乗り越えた後も、艱難辛苦が待っていることでしょう。その艱難辛苦に負けぬことです。それ以外に、特別な方法などありませぬ」

 モルテンセンは何も言わずイヴァンシムの言葉に耳を傾けていた。父のいないモルテンセンにとって、イヴァンシムは父代わりのようなものだった。

「なるほど。心していよう、と言いたいが。難しいものだな、王というのは」

「いえ。王として生きるのみならず、人として生きること自体が難しいことなのです。思い返してくだされ、旧ヴーゴスネアの内乱を。これこそまさに、人の心に潜む魔物のなせる業なのです。この内乱により、王侯貴族は相争い。民は戦乱の苦しみにまみれ。上下くまなく、心に安穏などあったでしょうか」

「……」

 モルテンセンは旧ヴーゴスネアの内乱に思いをはせた。イヴァンシムが私財をなげうち有志をつのり、赤い兵団を結成したいきさつにも、思いをはせた。

「人の心に潜む魔物が、さらに人の心に魔物を呼び。統一王レスサス公の築かれたヴーゴスネアは分裂し。さらに、カルイェン、シァンドロスと、またそれらの心に魔物が潜み。戦乱は途絶えることなく、広がるばかり。これをとめる術はないかのごとくです」

「……イヴァンシムよ、言い方を変えれば、予たちは、魔物と戦っていると言ってもよいのだな」

「左様でございます、陛下」

 モルテンセンは口をつぐみ、考え込んだ。

 人は、なんと魔物にとりつかれやすいものだろう。その魔物にとりつかれても、気づくことは希で、魔物に操られるがまま。

 話を聞くうちに、モルテンセンは怖くなり。イヴァンシムをじっと見つめた。

「イヴァンシム。ずっと予のそばにいてくれるか。予は、ひとりで魔物と対峙できる自信がない」

 イヴァンシムは自分の話が王を怖がらせてしまったと気づき、心で苦笑し、笑顔をたたえ。

「もちろんです。このイヴァンシム、老骨に鞭打ち王をお助けいたします」

 と言った。

 思えば、このザークラーイ山の戦場に身を置くだけでも相当な勇気を要するのだ。モルテンセンひとりで、できることではない。イヴァンシムや、ドラゴン騎士団らを信頼しているからこそ、ザークラーイ山に身を置き、ソケドキア軍の兵力を呼び寄せられているのだ。

 モルテンセンはこのとき、人はひとりで生きることはできないことを感じ取っていた。

 夜はけてゆき。モルテンセンは、忠実な家臣に恵まれていることに感謝しながら、眠りについた。


 翌朝、ザークラーイ山を囲むソケドキア軍が騒がしい。

 何を言っているのかと、よくよく聞いてみれば。

「リジェカの臆病者どもめ、勇気があるなら山から下りて正面から戦ってみろ」

「我らが怖いのか。この、臆病者どもめ」

「リジェカ人は、臆病者の集まりなのか」

 などなど、悪口雑言がつぎつぎと山に向かって叫ばれていた。

「この野郎め、言いたい放題言いやがって」

 ジェスチネは拳を握りしめて、歯軋りしていた。

 モルテンセンもこれには面食らって、眉をしかめていた。

「イヴァンシム、これは何事だ」

「おそらく、我らを挑発して山から下ろそうという魂胆でしょう」

 悪口雑言を耳にし、不快な気持ちを押さえてイヴァンシムはモルテンセンにそう助言した。

 山を囲むは十八万の軍勢である。そのうち五万は遊撃隊として周辺をまわっているので、十三万の口が、あらんかぎりの悪口をはなっているのである。

 それは聞くに堪えないものであり、なによりうるさくてかなわなかった。

「言わせておけば」

 モルテンセンは拳を握りしめた。挑発に乗りかかっているようである。

「なりませぬ、それこそ魔物の思うつぼ」

 咄嗟にイヴァンシムは言い。王をなだめた。無論、彼も何も思わないわけもなく。怒りを感じざるを得ない。

「ここは、堪えるしかありませぬ。山を攻めあぐねて、このような卑劣な手段に出たのでございましょう」

「そうか、攻めあぐねてのことか」

 モルテンセンはどうにか心を落ち着け、挑発を堪えていた。また、挑発にまんまと乗ってしまい独走して下山する者がないように、全軍に心を落ち着け挑発を堪えるように触れを出した。

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