第三十七章 ザークラーイの会戦 Ⅵ
「やるではないか」
シァンドロスは戦況を見てつぶやいた。
よくぞザークラーイ山を天険の要塞に仕上げたものだ。
「ううむ、おのれ」
イギィプトマイオスが唸る。ペーハスティルオーンも歯軋りする。
最初の第一撃が、こうも手痛く跳ね返されるとは。
東西と南の絶壁では岩石が落とされ、その直撃を受けて兵士たちがばらばらと落下してゆき。ふもとに控えていた兵士たちは慌てて落下する岩石と人間を避けて逃げ惑っていた。
北面では急づくりとはいえ盾もでき、それを二人がかりでかついで橋を渡り石壁に迫る。同時に土砂をもって川を埋める作業もおこなわれていた。
リジェカの部将はそれを見て、
「小癪なまねを」
と舌打ちする。
が、動揺もしなかった。
兵士に命じれば、小さな土で作られた壷が数十個用意された。盾を担いだソケドキア兵が迫るのを見て、
「はなて!」
と号令すれば、壷が投じられ。盾にあたるとともに砕けて、何かの液体が付着した。それは妙にねっとりとしていた。
「なんだこれは」
盾を担ぐソケドキア兵は不思議そうにしていたが、肌触りや臭いの感じから、咄嗟に、
「油だ!」
と叫ぶや、石壁越しに火の矢が放たれる。
火矢は風を切り、油の付着した盾に当たり、一気に火を燃え上がらせる。
火は燃え広がり、盾を飲みこみ。ソケドキア兵の中には己の身にも油が付着し、火がそれに燃え移り、一瞬に火だるまになる者まであった。
突撃の喚声は、一瞬にして悲鳴にかわり。ソケドキア兵は退却を余儀なくされた。
その背にも、容赦なく今度は火のない矢が放たれ。逃げ遅れたり、火だるまになってのたうちまわっているソケドキア兵に容赦なく突き刺さる。
リジェカ軍はこんなこともあろうかと、油も用意していたのだ。イヴァンシムは思いつくもの、使えそうなものを頭をひねって考えうるものすべてザークラーイ山に持ち込ませていたのだ。
篭城戦に用意されるものは、なにも武器や糧食だけではない。使えそうなものは、なんでも使うのだ。
その戦いは、野卑といえば、野卑かもしれない。しかし、体面にこだわっていられる余裕などリジェカにはないのだ。
カンニバルカは、山やそれを囲む軍勢の周辺を回りながら戦況を見守っていた。
意外というか、守り手は善戦し。寄せ手のソケドキア軍は苦戦を強いられていた。
「しかし、いつまでもつものかな」
カンニバルカは、ぽそっとつぶやいた。
(リジェカには援軍はなし。いたずらに山に篭ろうとも、いずれは何もかも尽き果て、負けざるをえぬ。それでも、篭城する魂胆は、なにか)
ふとふと、カンニバルカは考えた。
同時に、ソケドキアという急進国のことも考えた。リジェカに智者あらば、ただ篭城することだけでなく、ソケドキアという国のこともあわせて考えるであろう。
「まさかな……」
そのまさかではないか。と、カンニバルカは考えるのであった。
ザークラーイ山から離れたところでは、リジェカドラゴン騎士団および赤い兵団、リジェカ国軍一万五千が。それとまた離れたところで、オンガルリドラゴン騎士団およびオンガルリ国軍三万五千が控えていた。
「ソケドキア軍、ザークラーイ山を攻撃せり!」
という報せが双方に飛び込んでくる。
コヴァクスとニコレットはさらに詳細を聞き出して、迂闊に進めぬと眉をひそめた。
ザークラーイ山を攻める軍勢を割いて、別に五万ほどの軍勢が周辺を巡回しているという。山に篭っていないドラゴン騎士団を警戒してのことであろう。
「やはり、シァンドロスは一筋縄ではいかないわね」
ニコレットは報せを聞き、その五万の別働隊の主将は誰かわからぬかと問えば。
「カンニバルカなる者のようでございます」
ということだった。
「カンニバルカ……」
いよいよ一筋縄ではいかぬ。
あの男は謎が多く、何を考えて生きているのかわからない、とはいえ知勇兼備でもある。先のリジェカ奪還戦では龍菲の働きにより勝てたとはいえ、簡単なわけではなかった。
戦いは寄せ手優勢のようだが、それを長くもたせなければならない。それができなければ、危険を冒しての篭城戦をする意味がないのだ。
「厄介な男がいるものね」
ニコレットは、自分たちがどう動くべきか、部将たちを交えて今後の動向について協議しあった。
コヴァクスといえば、ザークラーイ山での戦況を聞き喜びを示したが。カンニバルカを主将とする別働隊がいることが気がかりであった。
ニコレットと同様、カンニバルカは侮れない男だと見ていた。もしかすれば、篭城戦を長く持たせて時期を待つ、という作戦がその男のために無為にさせられかねない。
だが、
「そのためにオレたちがいるのではないか」
と自分に言い聞かせ、心を奮い立たせた。
いつもは軍勢の隅にいる龍菲だが、このときはコヴァクスのそばにいた。彼女は、コヴァクスのそばにいるときは、なにかふわりと飛んでいきそうな爽快な笑みを見せるのであった。
他に赤い兵団を率いるダラガナがおり、そのすこし後方にセヴナがいる。
セヴナは、ちらりとコヴァクスと龍菲を交互に見た。こんな時に、と思いつつ、ふたりの様子が気になったのだ。
(やっぱり、龍菲は小龍公が好きなのね)
龍菲の弾むような笑みを見て、セヴナはますます気が気でなかった。