第三十七章 ザークラーイの会戦 Ⅲ
セヴナは呆気にとられて、龍菲を見つめている。
見つめられている龍菲は、セヴナの眼差しをすこし不思議そうに受け止めている。どうしてそんな目で自分をみるのだろう、と。
龍菲の黒い瞳は、セヴナを映し出している。澄んだ瞳の奥に何があるのか、セヴナはまじまじと見つめて、思わず、
「小龍公のことが好きなの?」
と、言ってしまった。
そう言われて、今度は龍菲がきょとんとして、ふふ、と笑うと。
「好きよ」
と、呆気なく応えた。
セヴナはなんと言っていいのか、わからない。自分の恋心というか、そんな気持ちをさらりとさらけ出してしまう龍菲の不思議さに、驚きを隠せなかった。
恋心というのは、もっと、熱く、心弾むものだと思っていたが。龍菲は、冷静というか冷淡というか。昴人は、そういうものなのだろうかと、つい思ってしまう。
龍菲は微笑こそ浮かべているが、セヴナの様子が不思議そうだ。
「私、なにかおかしい?」
「え、ええとね、小龍公のことが好きなのは、それは恋してる、ってことなのよね」
「恋……」
セヴナの言葉を聞いて、龍菲はくすりと笑う。
「そうね、恋かもね。私がこんな気持ちになるのは、初めてのことよ」
「初恋なの」
「そうよ、初恋よ」
龍菲はこともなげに言う。セヴナはますます呆気にとられる。
次にどう言っていいのか迷っていると、集合の掛け声が聞こえてくる。セヴナははっとして、急いで紅馬に乗る。
「私いかなきゃ。じゃあ、またね!」
馬首をかえして、いそぐセヴナ。蹄の音を耳に、龍菲はその後姿を見送った。
(まさかあんなに正直にこたえるなんて、驚いたわ)
紅馬を駆けさせながら、セヴナは自分がどきどきするのを抑えられなかった。セヴナもまだ少女である。男女の色恋沙汰に興味がないわけではない。残念ながら、戦乱が続き、自身も赤い兵団に身を置いて戦いの日々を送っているので、自分の色恋沙汰はまだである。
が、いつか素敵な出会いがあればいいな、と密かに憧れていた。
先を越された、とは思わないが。恋愛はもっと熱いものだと思っていた、憧れていただけに、龍菲の冷静さには、度肝すら抜かれる思いだった。
しかし、
(小龍公は立場ある身だし。龍菲とは身分も立場も違うし。なにより小龍公は龍菲を好きになるのかな。恋は、実るのかな)
ということが、一番気になった。
よもやコヴァクスまでが、龍菲のことを内心は気にしているなど思いもよらず。
山頂の砦で段取りを確認しあったモルテンセン王以下一同は、
「勝利を!」
と、声を掛け合い。コヴァクスとニコレットは山を下りた。
山を下りてそれぞれが率いる軍勢のもとまでゆき、休憩している騎士や兵士たちを集合させる。
「集まれ! 集合!」
各所で部将や兵士たちがそう声を張り上げて、隊列を整えてゆく。
紅の龍牙旗はアトインビーが掲げている。
紅の旗や、その他の龍牙旗に、リジェカ、オンガルリの国旗が風にはためく。
リジェカドラゴン騎士団およびリジェカ国軍に赤い兵団合わせて一万五千。オンガルリドラゴン騎士団にオンガルリ国軍三万五千。それぞれ、主将の前に整列した。
セヴナも急いでその隊列の中に飛びこみ、ダラガナの背後に控えている。
「これより、作戦どおり我らは山を離れる。行進!」
コヴァクスの掛け声に合わせて、リジェカ軍一万五千は行進をはじめて、ザークラーイ山から離れてゆく。その一番後ろに、龍菲がついてゆく。
「我らは遊撃軍として、ソケドキアを迎え撃つ。そのために、一旦は山を離れる。……行進せよ!」
リジェカ軍とは反対方向に、ニコレットの掛け声に合わせて、オンガルリ軍は行進を始める。
両軍合わせて五万の兵力なのだが、それぞれが別行動をとっていた。
コヴァクスも、ニコレットも、それぞれの騎士や兵士たちは戦意と覚悟を瞳にみなぎらせていた。
ソケドキア軍は迫る。
旧ダメドとリジェカの国境に近づくと、斥候からの報せがもたらされてくる。
報せによれば、モルテンセン王は自らアウォーヴァー地方のザークラーイ山に一万の軍勢とともに篭り、ソケドキア軍を迎え撃とうとしているという。
さらに、コヴァクスとニコレット率いるドラゴン騎士団やオンガルリ・リジェカ連合軍は、それぞれの国別にわかれて別行動をとり、山から離れたところでソケドキア軍を迎え撃とうとしているという。
「王自らが、か」
行軍中、馬上で報せを受けたシァンドロスは、モルテンセン王自らが出てきたことにすこし感心したようだった。
まだ十二かそこらのはずではなかったか。それが身を陣中に置くというのだから、思い切ったことをするものだった。
「いかがなさいますか。何を思ってかわずか一万の軍勢の中に身を置くとは、これは討ってくれと言わんがばかりでございます」
ペーハスティルオーンが息巻いて言い。それに続いてイギィプトマイオスが続ける。
「かくなるうえは、ドラゴン騎士団など捨て置いて。全軍挙げてザークラーイ山を攻め立て、モルテンセン王の細首を獲ることに専念なされた方が得策かと存じます」
それぞれの意見を聞いて、シァンドロスはふむと考え。ちらっとカンニバルカを見た。
この男、普通の考えをしないことは、シァンドロスはわかっていた。
ペーハスティルオーンにイギィプトマイオスをはじめとする臣下たちは、全軍挙げてザークラーイ山を攻めることを主張している。シァンドロスもそれは考えたが。
カンニバルカは、どう考えているか。
「お前は、どうすればいいと思う」
と問えば。
「神雕王よ、我に一軍を与えたまえ。地を這うドラゴンは、どうか我に当たらせていただきたい」
と言った。
やはり、とシァンドロスは不敵な笑みを浮かべたのだった。