第三十七章 ザークラーイの会戦 Ⅱ
山の所々に兵舎が築かれて。あらかじめ一万の軍勢が立て篭もれるようにつくられている。
山頂には砦が築かれていた。木造二階建てで、簡素なつくりだ。だが雨露をしのぐには十分だった。
無論、軍勢のみならず糧食もふんだんに運び込まれ。長期の篭城戦に備える。
モルテンセン以下一同は山頂にのぼると、すぐに砦には入らず。周囲を見てまわった。
東西と南が断崖絶壁になっている。ここから這い上がるのは、相当な苦労となるだろう。
山頂からの見晴らしは、よかった。
青い空の下、緑の草原が広がる景色を見るのは、心弾むものがあった。戦争でなく、物見遊山で来ても楽しめそうな場所である。
「この戦いに勝てば、ここで、戦勝の宴をひらきたいな」
モルテンセンはぽそっとつぶやいた。この山の見晴らしのよさが気に入ったようであった。
王のつぶやきを聞いたイヴァンシムは、
「それはようございます」
と、微笑んで言った。コヴァクスもニコレットも同意だった。
いつまでも、山頂からの風景を眺めていたいのだがそうする暇はなく。一同砦に入ると、主将のためにつくられた個室に入り。軍議のために置かれている円卓を囲む。
「さて、あとはここでソケドキア軍を待つのみでございます」
イヴァンシムは厳かに言った。
迎え撃つ段取りは、すでに決められていた。モルテンセンはジェスチネ率いる篭城軍一万とともにザークラーイ山に篭る。イヴァンシムも王のそばにいる。
コヴァクスとニコレットは、山には篭らず。それぞれ軍勢を率いて、遊撃軍としてソケドキア軍を迎え撃つ。ダラガナ率いる赤い兵団も、コヴァクスと行動をともにする。
モルテンセンは、円卓の一同を見回す。
みな、決死の覚悟を顔ににじませていた。それは凛々しく、頼もしい顔だった。モルテンセンはそれを見て、
(予は、臣下に恵まれている)
と、しみじみ思うのだ。ソケドキア軍迫るの報せにおいても、臆して降伏論を唱える者はなく。イヴァンシムが迎え撃つための策を立て。コヴァクス、ニコレットらはその指示のもとよく働いてくれる。
「あらためて、予はそなたたちに感謝したい。後世に臆病の王の汚名を残さずにいられるのも、そなたたちがあったればこそだ」
「何を言われる。我ら臣下の者とて、善政を旨とするよき王があればこそ、臣下としての働き甲斐があるというもの」
イヴァンシムがそう言うと、モルテンセンは、子どもらしい、照れくさそうな顔を見せた。
ふもとには、リジェカドラゴン騎士団およびリジェカ国軍に赤い兵団合わせて一万五千と、オンガルリドラゴン騎士団およびオンガルリ国軍三万五千が待機している。
主将は山頂の砦で王と軍議をしている。
その合い間に、小休止である。兵士たちは束の間の休憩、思い思いにくつろいでいた。くつろぎながらも、
「ソケドキア軍め。さあ、来い」
と、仲間たちと意気軒昂に語り合っていた。
そんな時に、セヴナは紅馬を駆って、龍菲のもとまで来ていた。
セヴナははるか東方から来た昴人の龍菲が気に入っていたようだった。
龍菲は龍星号から降り、地べたに座り空を眺めていた。龍星号は、手綱を握られることもなく自由の身なのだが、龍菲によくなつき、そばを離れず一緒になって空を眺めているようだった。
「いいかな?」
セヴナは、そっと声をかけると、振り向いた龍菲は笑顔になって、
「いいわよ」
と、赤毛の少女を迎え入れた。彼女もまた、自分に好意を抱いてくれるセヴナをよき友人と思っていた。
思えば、暗殺者と生きているころと、いまとでは、人の龍菲を見る目は大違いだ。
ことに、龍菲の心のうちには、コヴァクスの瞳が知らないうちに刻み込まれている。彼女は、その瞳が気になってドラゴン騎士団と、コヴァクスと行動をともにしていると言ってもいい。
「いよいよ、ソケドキア軍が来るわ」
そう言いながら、紅馬から降りて龍菲のそばに座る。紅馬は龍星号のそばまで来て、鼻を突っつき合わせたあと、一緒に空を眺めたり草を食んだりしている。
「あなたは勇敢だから、怖くないでしょうけど。私は、ちょっと、怖いの」
セヴナは正直に自分の気持ちを吐露した。これをダラガナに言っても「臆するな!」と叱り飛ばされるだろうが、龍菲なら聞いてくれそうな気がしたのだ。
「ソケドキアが怖いの?」
不思議そうに、龍菲はセヴナを見つめる。
「でもあなたたちは、ガウギアオスでタールコ軍に立ち向かったわ。あの時にくらべれば」
「そうだけどね。でもね、ソケドキアはタールコとは、なんて言ったらいいのかな、得体の知れない怖さがあるの。みんな、それでも戦う気満々だけど、私はどうしても、その得体の知れない怖さを感じるわ」
セヴナの言うことを、龍菲は静かに聞いている。彼女はいつだって、冷静であり冷淡だった。
ガウギアオスの戦いに比べれば。龍菲はこのたびの戦いを、そう見ている。セヴナはその考え方をする龍菲に感心していた。
が、龍菲としては別に自分が勇敢だとは思っていない。謙遜しているわけでもない。自然に、そう考えるのだ。
「私も一緒に戦うわ。それにコヴァクスもいるわ。それでも怖い?」
「……」
龍菲は笑顔を向けて言った。
「私は聖人君子ではないから、人の道のことはよくわからないわ。でも、そうね、私にとっては、コヴァクスと一緒にいたいと思うし、戦いとなれば一緒に戦いたいと思うの。あなたには、そういうものはないの?」
セヴナはきょとんとしていた。そう言われるのは初めてのことだった。が、なにより、これは、龍菲はコヴァクスに好意を抱いているということではないのか。それもただならぬ。
まさかそんなことを聞こうとは思わなかったセヴナはきょとんとして、龍菲を見つめていた。
(龍菲は、小龍公のことが、好きなんだ!)
どのようにしてそうなったのか知らないが。そんな心境を自然にさらけだす龍菲の自然さに、セヴナはあらためて驚かされ。昴人はみんなそうなのか、とつい思ってしまった。