第四章 彷徨 Ⅳ
形見のために髪の毛の束や爪を切り取り、死者の埋葬をすませ、神弟子であるクネクトヴァが冥福を祈る神の言葉をたむけて。
五人のドラゴン騎士団を加えたバルバロネの守る難民の一行は山野を踏みしめ旅を続けた。
難民は二十人おり、男は三人だけで、女子どもは十七人いる。最初はもっといたのだが、戦乱や盗賊との戦いで、その人数は減る一方であった。
ことに男は、戦争にとられたりしたこともあったためなおさらだった。
破れ目のある幌をかけた三台の粗末な馬曳き車に、老女と女性、子どもが分乗し、男とバルバロネは武器を携えて徒歩でゆく。
いざという時に備え、コヴァクスは騎乗で先頭に立ち、右後ろにニコレット、左後ろにソシエタスがつく。
クネクトヴァとカトゥカは馬車に乗り、子どもたちの面倒を見ていた。
戦えるものは、七人。先の戦いで三人が死んだが、新たに三人くわわったので、数字的にはおあいこ、どころか、ゆえありとはいえ勇名轟くドラゴン騎士団が守ってくれているとなれば、これほど心強いことはない。
最初こそ緊張に震えていた人々も、日が経つごとに表情が和らいでくる。
ことにドラゴン騎士団の一行は、破れている幌とはいえ夜休むときに久々に屋根の下で寝ることができ、また毛布も借りられて、まこと久しぶりとなる安眠を得ることが出来た。
幸い盗賊や戦争に遭遇することもなく、旅が続けられて。このまま赤い兵団と出会えれば、と希望も抱きはしたが。叶えられぬものであるのも、また希望。
思わぬところで足止めを食うこととなった。
それまでなるべく無人の野を選んでいたが、やはり馬曳き車が三台もあると道を選ぶ贅沢は出来ず、やむなく切り開かれた道を通らねばならなぬときもあったが。
その道を通れば、集落にたどり着く。集落には人がいる。
強そうな四名の戦士がいる難民を見て、集落の人々は、その周囲に群がってくる。人が群がれば、道をふさがれ進むに進めない。
何事か、とコヴァクスらは警戒したが。
杖をつき頭の白い、集落の長らしき老人が、
「どうか我らも一緒に連れて行ってくだされ」
と懇願する。
「そう言われても……」
その集落も、戦乱の傷痕深く、元の姿をとどめている家屋はなく、新たに建てられたと見られる墓碑が多数見受けられた。
集落といっても、そこに住む人々は古くから住んでいるわけではなく出身はばらばらで、戦争で難民となって荒廃したふるさとを捨てて、新天地を求めているうちにこの集落にひとまず落ち着いたようで。コヴァクスらが、その新天地に導いてくれると信じているようであった。
自分たちはイヴァンシム率いる義勇軍、赤い兵団を求めて、先行きの見えない旅をしているのだ、と説明したが。それならなおさら、連れて行ってくれとすがってくる。
赤い兵団、イヴァンシムの名は、この戦乱の地において絶大な吸引力があるようだし。なにより、コヴァクスにニコレット、ソシエタス、そしてバルバロネといった頼りになりそうな者の姿にもひきつけられるようだった。
そこへきて、ゆえあってドラゴン騎士団の騎士がいるとなると、オンガルリの政変に驚きつつも、
「このような人がいるなら、守ってもらえるかも」
という、淡い希望が濃さを増したようだった。
いたずらに人が増えれば移動が困難になる。かといって、見捨てるのもしのびない。
どうするべきか、とバルバロネと相談した結果。いざというとき、まだ身体が十分に動く男は武器を取って戦うことを条件に、旅に加えることをゆるした。
人々は神が降臨したかのように喜び、仕度を整えて、難民の一行に加わる。そこで総数は六十人を越え、その中で戦える者はようやく二桁の十二人になった。といっても、もとは素朴な農民やきこりであるため、武器らしい武器はなく、斧や鍬といった農耕具を代用して、いざというときにこれを得物とする粗末さであったが。
馬曳き車も増えて、難民はにわかに賑やかさを増した。
話せる人、苦しみを共有できる人、そして互いに力を合わせられる人が出来ることで、心にうずまく絶望感がいくらかやわらぎ。
無事に赤い兵団に合えるといいね、と希望を口にしだしてきた。
仕度するうち、日も暮れた。
その晩は休んで、翌日陽が昇ってから出発することになった。一行は、家で寝れると大喜びであった。
集落の人々は、
「もう皆ボロ家ですが……」
と恥らうも、贅沢は言ってられない。なにより、もっと悪い環境の中で旅をしていたのだ。家屋の中で寝られることほどの幸福があろうか。一行は感謝することしきりだった。
食事は粗末なもので。乾いたパンのかけらに豆、干し肉数切れだったが。足らぬ分は、希望でおぎなった。
コヴァクスらは空いていた一軒家をあてがわれて、謝意を厚くあらわし喜んでくつろいだ。が、ランプが灯す部屋の中で顔を影にうずめるように、ソシエタスは浮かぬ顔をしていた。
使命感に燃えるコヴァクスとニコレット、クネクトヴァにカトゥカ、バルバロネは、どうしたのだろう、と浮かぬ顔をするわけを聞いてみれば。
「いや、人が増えれば移動が難しくなります。いざというとき、我らとバルバロネ殿の主だった四人以外は戦う訓練も受けておりませぬ。それで、どこまで守りきれることか」
「なんだい、しけたことを言うじゃないか」
とバルバロネは頬をぷっと膨らます。コヴァクスにニコレットも、自分が懸命に戦えば守れぬこともない、と言う。
だが、ソシエタスは首を横に振った。
「なにより、どこにゆけば赤い兵団に出会えるのか。見当がおつきか? この広いヴーゴスネアで、弱い者たちを守りながら、風に漂う一羽の鳥を見つけ出すことがいかに難しいことか」
と、かなり手厳しいことを言った。
言われて、想像力をはたらかせて、一同は黙り込んだ。
「じゃ、じゃあソシエタスさんはどうしてもっと早くそれを言わないの。今さら言われても、どう難民の人たちに説明するの?」
カトゥカは反論する。それに対し頭をかきながら、
「いやあ、皆さんの嬉しそうな顔を見ていたらつい言いそびれてしまいまして……」
面目なさそうにこたえるソシエタス。コヴァクスは腕を組んでうーんとうなり考え込む。
「なら、ここにとどまって赤い兵団を待つというの?」
とニコレットは言った。
いつ来るとも知れぬ、風に漂う一羽の鳥を待つのもまた非現実的だ。
皆から責められている視線を受けて、ソシエタス非常に気まずく、頭をかきながら、急いで考えをめぐらす。
「まあ、その方が一番安全かと」
「その間に食いもんはどうするんだ。戦争と盗賊のせいで食いもん獲られちまって、畑も荒れてなんにも採れなくなっちまったってのに」
「その間は、狩りをするなどして、しのがねばなりますまい」
「狩り?! 鹿や猪だって戦争だの盗賊だののせいで追い立てられて近くにいるって保証もないのに、悠長なことを言うねあんた」
噛み付くバルバロネにソシエタスはやや焦ったが、そこはドラゴン騎士団の騎士であった。
「我々が一番大事にせねばならないのは、人々の安全です。勇に逸りいたずらに冒険をしては、犠牲を免れますまい。まかり間違っても、尊い犠牲などという言葉で済ますわけにはいかぬのです。おわかりくだされ」
と踏ん張る。バルバロネ、舌打ちし顔をそらす。確かに一番大事なのは、安全だ。犠牲はやむなしと下手な旅を人々にさせるのも、これまたむごいことだ。
「とどまるのはいいとして、赤い兵団をどうするか、だな。赤い兵団がこの近くに来てくれれば問題はないだろう」
「いい考えがあるのかい。小龍公さんよ」
ソシエタスへの怒りをコヴァクスに向けなおすバルバロネ。ニコレットは苦笑し、クネクトヴァとカトゥカはちょっと、怖がる。
こいつ、無礼だな、と思いつつそれを抑えて、
「いや、今はないが」
「じゃ明日になれば出るってのかい」
「そうだな、出るかもしれない」
コヴァクスも勝ち気なだけに、バルバロネに一歩も引かない。気がつけば、ふたり視線を交わす間には、火花が散っているようで。空気はにわかに緊張感を帯びる。
知らず口元を引き締めたクネクトヴァであったが、今までの疲れがもよおす、内からにじみ出る睡魔に口をこじ開けられて。
「ふわあ」
と大あくびをしてしまい。はっとして、気まずそうに手で口を覆う。
緊張でかたまりつつあった空気も、クネクトヴァのあくびに吹き飛ばされてか、途端にゆるみ、バルバロネは、
「ふん、やってられないね」
と床に転がり不貞寝を決め込んだ。
他にも、互いに顔を見合わせて苦笑いをし、とりあえず今は疲れを癒すため寝ることにした。
部屋を灯すランプの火が消されて部屋は真っ暗になり、それぞれ得物をかかえながら毛布にくるまり、眠りについた。
剣を抱きしめ、頭ごとすっぽり毛布で覆って目を閉じたニコレットは、はっと目を見開き耳をそばだてたが、
「気のせいだったかしら」
と、ふたたび目を閉じた。
もしこの中に千里眼を持つ者がいれば、得体の知れぬ一団が牙から血をしたたらせる肉食獣のように獲物を求めて、闇に紛れて集落をさまよい歩いていることに気付いただろう。
「オンガルリ王国のドラゴン騎士団と、確かに言ったな」
「左様。小龍公に小龍公女と」
「なぜこんな辺鄙な集落で難民とともにいるのだ」
「オンガルリになにがあったのだ」
オンガルリの政変を彼らは知らないようで、彼らもまた千里眼ではないようだ。とはいえ、闇夜の中光る目は、氷を瞳とするかはたまた冬の月を瞳にするかのように冷たく光る。
「グニスッレーよ、そなたはどう思う」
「さあ、わからん。オナリハトク、おぬしは?」
「わかっておれば、すでに応えておるわ、アンダルゾンよ」
「言っておくが、このブラモストケもわからぬ」
「ふん、えらそうに言うことかしら。あなたはいつも一言多いわね」
「おお、それはオレに対する挑戦かな、アッリムラックよ」
「お、やるのかやるのか。面白そうだなあ」
茶化す声のあとに、氷がひび割れるような緊張が走る。闇夜が揺らぐ。
「よせ、我らには役目がある。無用ないさかいは、グニスッレーが許さん。ルクトーヤンよ、貴様も余計なことを言うな」
「へーいへい」
気の抜けた返事がするが。女はおさまらない。
「ふふ、その役目が果たせなくて、八つ当たりに罪なき者を手にかけようとしているのは、どこのどちらさまかしら」
肌をなぞる冷笑が漏れる。だが、グニスッレーと名乗った声は無言。無言が無言を呼び、重い沈黙がのしかかる。
「わ、わかったわよ。言うことを聞けばいいんでしょ。はいはい、聞きます聞きます」
アッリムラックと名乗った女の声は、何かが肩にのしかかったような気だるそうな声で、グニスッレーにしぶしぶ服従を誓った。
「それでよい。ブラモストケ、お前もつまらぬ挑発に乗らず、黙っていろ」
「……」
ブラモストケの声は無言で、頭を縦に動かし空気を揺らした。
「それで、どうするんだ。こんな辺鄙な集落まで来たが、得るものはなし。と思ったが、思わぬ魚が網に迷い込んでいる。このまま放すのか、それとも食うか?」
「それよ。オレもまさかオンガルリのドラゴン騎士団など目に見、耳に聞こうとは思わなんだでな」
「小龍公女は、たしかにヘテロクロミアであった」
「でも、にせものだよ」
ルクトーヤンの声は軽く言い、さらに声を弾ませて続ける。
「オレたちの役目は、敵の領地を荒らして混乱させることと、あいつをしとめること。命令遂行に頑張ってるんだからよ、ご主人さまも文句言わねえよ」
「だが、もしあれがまことドラゴン騎士団の小龍公に小龍公女で、殺した後オンガルリといさかいが起これば」
「知らねえよ、ブラモストケの臆病もんが」
それから、はっとして沈黙が流れる。
「やるか」
グニスッレーの声が響いた。闇に波紋が広がるように揺れた。
「なぜドラゴン騎士団の小龍公と小龍公女がいるのか。オレにもわからぬ。本物か偽者かもな。だがいずれにせよ、我らは誰一人として逃がさぬが信条。誰であれ、我らに狙われたのが運の尽きよ」
「ならば、いまから」
「いや、ただ闇夜に紛れて暗殺ばかりするのも面白みに欠ける。たまには、太陽の下で堂々と渡り合って敵を殺したいものだ」
闇に紛れようとも、そこはやはり人間であるのか、相手の素性から欲が出たのか。吐き出す息凍りつきそうな冷たさをたたえつつも、湿り気も帯びているようだった。
それから合意したか、闇揺らす気配は消えた。
闇は払われ、暁がのぼる。
人々は、心にも暁のぼる気持ちで朝を迎えた。
赤い兵団への期待を胸いっぱいにみなぎらせて、皆出発の仕度をしている。それを、気まずそうなソシエタスによって、手を止めねばならなかった。
「じゃあ、ここにいろってことですか!」
と誰かが言った。ソシエタスは首を縦に振らざるを得なかった。
理由は、昨夜語った通りのことだった。朝になって、この話をどうするか、と話し合った結果、言いだしっぺのソシエタスが、責任をもって皆に説明することになった。
案の定、人々の顔はにわかに曇った。
頼もしい人に守られて、赤い兵団と出会う旅をするのだ、と夢にまでみたというのに。
人々はいい加減戦争や盗賊によって難民となり荒れ地をさまようのに嫌気が差していただけに、反感も大きい。
「そんなうまいこと言って、結局は怖いんだろう」
という声があがった。ソシエタスは、さにあらず、と思いつつも、苦い顔をして。
「その通りだ」
と言った。
「旅の危険はまぬがれえず。少なからぬ犠牲も出るであろう。まったく犠牲を出さずに守りきれる保証もない。ともすれば全滅もあるかもしれん、わかってくれ」
「ならもっと早く言ってくれよ。昨日あれだけ人を期待させといて、土壇場になってやめたなんて、あんまりじゃないか!」
「それは百も承知。我らももっと早く気がつくべきであった」
人々に詰め寄られ、ソシエタスは閉口し、助けを求めるようにコヴァクスにニコレット、バルバロネに目をやった。が、バルバロネはソシエタスと反対意見なのでそっぽを向いて知らん顔。
コヴァクスとニコレットは互いに目を合わせてやむなしと頷き助け舟を出し、一緒に説得に当たった。
クネクトヴァとカトゥカは、ここは出番じゃないと、黙って見ているだけだった。
「とにかく、旅はとりやめだ! 皆をより安全に守るためなんだ。ただ、知恵を出し合って赤い兵団と出会えるようにするから、それで勘弁してくれ!」
コヴァクスの言葉に、一応人々は静まったものの、まだ納得しきれていないようだった。が、かつて小龍公と呼ばれ人々から憧れと畏敬の念をもって接せられた貴公子なだけに、人々の態度には、心の奥底から屈辱が滲むのはいかんともしがたかった。
いかに小龍公といえど、それはドラゴン騎士団が、大龍公ドラヴリフトの存在があったればこその話で。今は流浪の身にすぎぬことを、嫌でも痛感するのだった。
ニコレットは兄に比べて物事に柔軟に、素直に対応できる。そのおかげで、
「みんな、気持ちはわかるわ。でも、みんなを守るためなの。傷ついたあなたたちが、さらに傷つくのを見るのは、私はとても悲しいから……」
詰め寄る人々の前で、色違いの瞳をうるませ美しい金髪を揺らし、ニコレットは旅をやめる一番大きな理由を強調していた。それは、人々を危険から遠ざけるためだ、と。
目を潤ませた少女の言葉には慰撫されてか、人々は落ち着きを取り戻し、
「わかった」
とようやく言ってくれた。
「ありがとう。みんな、ごめんね」
ニコレットはほっとした途端に、目から涙がこぼれ落ちた。慌てて、恥じらいながら涙を拭う小龍公女の姿を見て、
「この方は、そこまで我らのことを……」
と感激する者まであり。この人がいるなら、とすべてを任せる気になった。
雰囲気は一変し、空気はやわらぎ和やかになってゆく。
「涙は女の一番の武器とは、よく言ったものね……」
苦笑しながらバルバロネがささやく。傭兵として生きた彼女には、涙を流すなど考えられない。でも、怒る人々を説得するのも考えられなかった。もしこれが自分なら、短気を起こしていただろう。
無論ニコレットも計算づくで涙を流したのではない。
ともあれ、この場は一段落着いた。と思う間もない、どこからともなく拍手の音が響きだす。