第三十六章 神雕王来たる Ⅴ
それは地獄だった。
シァンドロスが幾度か見せてきた現世の地獄であった。
だがシァンドロス自身はこれを地獄とは思わない。むしろ、楽園を築くためには必要不可欠な行為でもあった。
事実、シァンドロスは楽園を見るかのように、この地獄を満足そうに眺めていた。彼は脳裏に、この破壊を経て築き上げられるであろう東西に跨る大帝国を夢見ているのであろうか。
その日一日、ソケドキア軍二十万は日が浅いとはいえ、ソケドキア領の都市であるベラードの破壊と殺戮に明け暮れ。
中心地のベラードの城以外のほとんどは火を放たれ灰にされ、あるいは破壊されて瓦礫とされて。殺戮により、無念の死を遂げさせられた市民たちの、数多のなきがらがところどころに横たわっていた。
シァンドロスら一同は城に入り、二階の部屋に押し込んだ男女十人に会った。彼ら彼女らは口々に、
「悪魔め!」
と、シァンドロスをあらんかぎりに罵った。
シァンドロスの悪口を、本人に向けてじかにはなてば死刑は免れないであろう。しかし、彼ら彼女らは、もうすでにそんなことに頓着してはいなかった。死刑を覚悟の上で、シァンドロスを批難していた。
「死が恐ろしくないか」
シァンドロスは問うた。彼ら彼女らの、死を恐れぬ言動にやや興味を抱いたか。
「恐ろしくない! お前の支配する国で生きるくらいなら、死んだ方がましだ!」
そう口々に、男女十人は言った。
「そうだな。見るものも見たことであるし……」
不敵な笑みで、男女十人を眺める。その背後に控える臣下らの目は、冷たかった。
窓越しに、破壊された家屋や空へとのぼる黒煙が見える。一体誰が、このように破壊された都市で暮らしたいと思うのであろうか。
「死ね」
一言、そう言葉がはなたれるや。兵士たちは部屋に飛び込み、刃を振るい、男女十人をめった斬りにした。
シァンドロスらは冷然と、それを見て。背を向けた。
ベラードの都市の、破壊と殺戮の報せは数日を経てリジェカにいたる。
オンガルリを出発したニコレットのオンガルリドラゴン騎士団およびオンガルリ国軍はメガリシに入りコヴァクスらと合流。
ソケドキア侵攻の不安におびえるメガリシの市民たちは、ニコレットの率いるオンガルリドラゴン騎士団およびオンガルリ国軍を熱烈に歓迎したものだった。
その数三万五千。国境地帯に待機する軍勢二万五千と合わせて、六万の軍勢となる。
ニコレットは王城に入り、モルテンセン王とマイア王女と会った。
マイアは久々に会うニコレットの姿を見て、あふれんばかりの笑顔をほころばせていた。
王と王女の脇には、イヴァンシムが厳かにたたずんでいる。むっつりとしているが、その目は優しく。ふたりへ向ける眼差しは、厚い信頼をたたえていた。
謁見の間にて、勇ましい鎧姿で、脇に兜をかかえ、色違いの瞳を王と王女に向けて跪いている。その隣に、兄のコヴァクス。同じく鎧姿で、兜を脇に抱えて跪いている。
「ニコレット、よく来てくれた」
モルテンセンはニコレットを笑顔で歓迎した。
「できれば、宴でももよおして、そなたらと楽しいひと時を過ごしたいところだが。そうもいかぬ……」
ニコレットがメガリシに入ると時を同じくして、ベラードの破壊の報せがもたらされて。モルテンセンは歓迎の笑顔を一転、憂いを含んだ表情になった。
「聞けば、シァンドロスは、あろうことか自国領内の都市ベラードを壊滅させたという。破壊と殺戮に容赦のない王ではあるというが、我が国の都市にまでそのような仕打ちをするとは。狂気の沙汰としか思えぬ」
目の前に控えている兄と妹、コヴァクスとニコレットは、そのシァンドロスと戦うのだ。それも、数の不利を抱えて。
「シァンドロスの考えること。我らにも到底予想がつきませぬ。己の野望のためなら、手段を選ぶこと節操なく。また気まぐれによるものとしか思えぬことも多々あり」
と、コヴァクスは言った。
「ですが、いかにシァンドロスが残酷非情であるとはいえ、わけもなく都市を壊滅させるとは思えません。おそらく、市民の革命の予兆を感じ取り、それによって、破壊と殺戮をもって報いたのではないかと」
「予も、そう思う」
ニコレットの言葉にモルテンセンは応えた。
「シァンドロスは、いわゆる、飴と鞭をもちいてソケドキアを治めているようだ。だが、いかに飴をもちいようともなにかあれば鞭が振るわれる。そうとわかっていて、心から服従する民もおるまい」
「聞けば、ベラードを壊滅させる前日、羽目を外す兵士たちの振る舞いを放置していたとか。おそらくそれによって、市民たちの反感を買ったのでしょう」
脇に控えるイヴァンシムが補足を入れる。それを聞きながら、モルテンセンは複雑な気持ちであった。
さきほども言ったように、宴をもよおし、皆と楽しいひと時を過ごしたかった。それが本音であった。
十をすこし過ぎたばかりである。王座につき、政や軍事の話ばかりして、心から面白いわけもなく。たまには羽目を外して、年相応の遊びに夢中になりたかった。
だが、状況が、時代がそれを許さなかった。
「このたびは、予もそなたらとともに戦うぞ。なんとしても、シァンドロスに勝たねばならん」
一段低いところで跪くコヴァクスとニコレットに、決意を込めてモルテンセンは言った。その決意をかためられるのも、信頼できる臣下があればこそ。
モルテンセンは己の年や力量をそこはかとなくではあるが、自覚していた。大人の助けが、どうしても必要なのだ、と。だから、イヴァンシムら臣下の助言をよく聞くし。何かを思いついても独断専行はせず、イヴァンシムら臣下に相談した。
モルテンセンはもちろん、マイアも、コヴァクスとニコレットを信頼のまなざしで見つめていた。
そこには、軍勢の規模の大小を越えた、異体同心の一体感があった。