第三十五章 流れる者 Ⅷ
バゾイィーは、かつて敵対していたかつてのタールコの獅子王子、獅子皇をじっと見つめていた。
「なにがあった。身分を排したいなど。歴史あるタールコの獅子皇であった者が、突然そのようなことを考えるのは、よほどのことがあってのことであろう」
「……。それは、言いたくない。だが、オレは身分制度が許せぬのだ。愛し合うもの同士、身分が違うために結ばれぬこともある。オレはそれが許せぬのだ」
(まさか、身分の低い女性を愛してしまったために、なにかあったのか)
バゾイィーはうすうすながら、ムスタファーがわずかなともを引き連れて流浪の身となった事情を察していた。
タールコの歴史は長い。東の大帝国が滅んでから、ほぼすぐに建国されて勢力を拡大していった。それはいまのソケドキア、シァンドロスのようであったろう。
オンガルリも三百年以上の歴史があるが、タールコはもっと古い。長い歴史の中で身分制度も確立されていって、それは不動のものであったろう。オンガルリでさえそうだ。身分の違う、たとえば、平民の娘と騎士は結婚できない。
戦争の際、緊急に兵士を募ることはある。戦果によっては騎士にも昇進できることはできるが、なにぶん命がけである。平民から騎士にまでのぼりつめた者は少ない。そのため、やはり生まれた身分のままで生涯をすごす者の方が多く、身分制度は動かぬものとなっていた。
それを動かそうとすればどうなるか。
ムスタファーが宰相と弟に蜂起され流浪の身にまで堕ちてしまったのは、どうにも身分違いの愛が大きく関係していることは、間違いなさそうだったが。
バゾイィーは無理に事情を聞こうとしなかった。聞いてみたいという気持ちはあるが、ムスタファーの様子からして話すとは思われなかった。
「ともあれ、これからどうするかじゃな」
バゾイィーは話題を変えようとした。ムスタファーの様子が、目つきが険しくも悲しげなものになっているのを見たからだった。
「昔からタールコとオンガルリは争っていたが、そこに旧ヴーゴスネアの内戦から興ったソケドキアが戦乱の嵐を巻き起こして見事にタールコとオンガルリを巻き込みおった。まさに今は乱世じゃ。数百年に一度の、と言ってもよかろう」
ムスタファーは同意して頷く。
我ながら、大変な時代に生まれ合わせてしまったものだ、と。
だがこんな時代だからこそ、身分制度のない国を建てることもできるのではないか。実際、ソケドキアを興したのは一兵卒から身を立てたフィロウリョウではないか。
乱世はそれまでの制度など、簡単に崩してしまうし、崩す人間も一気に増える。
高貴の血筋といっても、人類の歴史がはじまってから高貴というわけではない。動乱の時代をくぐり抜け、のし上がってきた者がいつしか高貴の血筋となるのだ。
それが人類の歴史で繰り返されてきたことではないのか。
「さきほども言うたように、乱世とはいえソケドキア、シァンドロスのやり方は予は気に食わぬ。どうにか思い知らせてやりたいところじゃ」
「そのためにも、我らは革命を起こそうとしている」
「ふむ。革命か」
革命とは身分の低い者が高い者に対して起こすという印象があったが、タールコの皇族が革命を口にするのだから、世の中なにがあるか、ほんとうにわからない。
「面白そうじゃな。予らも、仲間に加えさせてもらえぬか」
バゾイィーはムスタファーの言う革命に興味津々だった。仲間に加えてほしいと言われて、ムスタファーはやや戸惑いの表情を見せた。それもそうだろう。かつて敵対していたオンガルリの王族と手を組むなど、夢にも思わなかったことだ。
バゾイィーはそんなことには頓着していないようだった。ほんとうに国を捨てたばかりか、王位すらも捨て未練もなさそうだった。
「いいだろう」
「左様か。ありがたい。互いに手を合わせて、ともにソケドキアの蛮族に鉄槌を食らわしてやろうぞ」
ムスタファーの、いいだろう、という言葉を聞き、バゾイィーは嬉々としていた。かたわらのイムプルーツァにパルヴィーンはこの成り行きに呆気に取られていた。敵対していた国の王族と手を組もうなど、人生なにがあるのかわからぬものだ。
「それで、革命じゃが。どのように起こす」
ムスタファーは、いま流言を広げ人民がムスタファーに合わせて蜂起するように仕向けていることを語った。話を聞くバゾイィーはうんうんと話を聞いていたが。
「なるほど。ちとよいかの。どうせそうするなら、トンディスタンブールでやってみてはどうか、と思うのじゃが」
「トンディスタンブールで」
「そうじゃ。どうせ革命を起こすなら、大きいほうがよい。大都市でやるほうがよい」
この突飛な提案にムスタファーらは少々驚き、そんなことを考え付いたバゾイィーをじっと見据えていた。
バゾイィーは、子供のように、無邪気にうきうきし。
何かを閃いたようだった。
だがバゾイィーの言うとおり、トンディスタンブールで革命を起こすのも、面白いかも知れぬ。ソケドキアの支配はまだ浅い。付け入る隙はあるのではないか。
「革命においては勝利か、さもなくば死しかない」
権力と戦うということにおいては、義賊として生きたバゾイィーに一日の長があった。
「ならばこそ、大きいものにしたほうがよい。繰り返すが、革命においては、勝利か、さもなくば死、じゃてな」
無邪気さから一変し、バゾイィーの眼差しは真剣なものになった。
ムスタファーは拳を握りしめ、そのとおりだ、とバゾイィーと革命について語りあった。




