第三十五章 流れる者 Ⅳ
オンガルリ・リジェカでは、ソケドキアのシァンドロスが東征から反転して、二ヶ国征服のため進軍しているとの報せにより、それぞれの国は防戦のための準備におわれていた。なにより、
「やはり来たか」
と、ついに、シァンドロスがオンガルリ・リジェカに迫り来るのではないかという心配が現実のものとなって、人民の動揺は大きいものだった。
シァンドロスの破壊や殺戮の、容赦のなさはオンガルリ・リジェカにも聞こえ及ぶところだった。その二ヶ国も、破壊と殺戮の悲惨に見舞われるのであろうか。
最近では、タールコ東征の折りにバヴァロンの都市にて破壊と殺戮の嵐を吹き荒らせたばかりである。
斥候の報せによれば、エラシアや旧アヅーツなど各地域に駐屯する軍勢にも出兵を命じ、かつての旧ヴーゴスネアの都であったベラードに集結するそうである。
となれば、先の、イギィプトマイオスの軍勢と戦ったときのように、リジェカと旧ダメド地域の国境地帯がまず戦場になるであろう。
「ニコレット、どうかソケドキアの魔の手から国を守っておくれ」
オンガルリ女王として国を治めるヴァハルラは、王城に参上したニコレットに、憂いを含んだ面持ちでそう言った。
赤いドレスに身をまとっているニコレットは、うやうやしく跪き、
「必ずや、我らドラゴン騎士団の総力をもってソケドキア軍を追い返しましょう。どうか女王陛下においては、お心を安んじられるよう」
面を上げて、女王の心配そうな面持ちを見つめながら、言った。
とはいえ、心配ありません、とばかり言っていられないのが現実であった。
報せによれば、ソケドキア軍の総力は最終的には二十万にも届こうかというではないか。
いや、それほどの大軍に攻められたことはあった。
ドラヴリフトありし日。タールコより二十万、三十万という軍勢が押し寄せてきたことがあった。だがオンガルリ国軍はドラゴン騎士団と先頭として、これを撃破してきたのだ。
しかし今は状況が違う。
ドラヴリフトはいまはなく。国も、隣の同盟国リジェカとともに一旦の亡国から再興し、復興の道のりを歩み始めたばかりである。
「しかし、我が国は復興の道のりを歩み始めたばかり。軍勢もさほど集められず、不利な戦いは避けられぬのではないか」
女王ヴァハルラとて馬鹿ではない。現実を見据え、その戦い不利なることを見据えていた。ドラゴン騎士団が勇戦することに疑いはないが、勇気だけで勝てるほど戦争というものは甘いものではない。
ニコレットの表情に曇りが生じた。
勇気をもって理想ばかり語ることは、結局は現実から目をそらすことにしかならない。それは真の勇気とはいえない。ニコレットも、いいことばかり言うことはできなかった。
「我ら全力をもってソケドキア軍と当たりましょう。ですが、ウィーニア、ソルティブルグ、ヴルノに使者を遣わし。万が一のために、身をお寄せになられるようにしては」
「……。そうしたほうがいいのでしょうね」
ヴァハルラは臣下に命じて、ウィーニア、ソルティブルグ、ヴルノといった西方の隣国に万が一のために女王やその子どもらを避難させてほしい旨を伝えさせるために、使者を派遣させた。
「ニコレット、死んではなりませんよ」
ヴァハルラは哀願するように、ニコレットに語りかけた。
ニコレットは、笑顔で頷いた。
一方、リジェカにおいては若き王モルテンセンをはじめコヴァクス、イヴァンシム、ダラガナといった面々が円卓にて防戦のための協議をしていた。
東征から反転し、ソケドキア軍迫る、その報せがリジェカに飛び込み。国内は騒然となった。
各地域から兵が集まり、最終的には二十万になるのではないか、という。人民は恐慌をきたし、家財をまとめ同盟国のオンガルリに避難をしようとした者が多数あった。
それをどうにか鎮め、動揺がありつつも国内は一応落ち着いていた。
ソケドキアと国境を接するリジェカの緊張は、オンガルリのそれよりも一段も二段も高いものだった。
ドラゴン騎士団をはじめとするリジェカ各地域の国軍もすぐさまいつでも戦えるよう戦争に備え。国境付近には二万五千の軍勢が待機していた。その二万五千が、リジェカが集められる精一杯の軍勢だった。
それでも前よりは五千多く集められるようになったのだ。
「ついに来たか。としか言いようがない。防ぐ手立ては、あるだろうか」
モルテンセン王は重く口を開いた。旧ヴーゴスネアから独立し公国から王国となり、隣国オンガルリと手を携えて、これからの国の歴史を刻もうとしていた矢先のことだった。
思えば、旧ヴーゴスネアの内戦が長く続き、そこから新興勢力であるソケドキアが興り、急速に勢力を拡大している。リジェカが無事である保証など、どこにもなかったのではないか。
それに対する備えを怠っていたわけではない。しかし、どうにも国力に差がありすぎる。こちらは復興の道のりを歩み始めたばかり。
先の戦いとて、勝つには勝ったが、楽勝というわけではない。その勝利が、シァンドロスの怒りを買ったのかもしれぬ。
東征から反転し、リジェカ・オンガルリを征服すると宣言していた報せももたらされた。ということは、そういうことだろう。
コヴァクスは、シァンドロスの不敵な顔が脳裏に浮かぶ。だいそれた野心を抱いていた。自分たちの存在が、その野心には邪魔なのだろうということは、わかりすぎるほどわかった。
円卓の執務室に臣下がやってきて、ニコレット率いるオンガルリドラゴン騎士団及びオンガルリ国軍三万五千が出発したという早馬の報せがあった旨を告げた。
合わせて六万である。
「それでも少ないな……」
「戦いは数ではない、と言いたいところですが。楽観視もできませぬな。かくなるうえは、万一のため王や王女の避難先をかまえておく必要がありましょう」
イヴァンシムは言った。だがモルテンセンは複雑な顔を見せる。
「マイアはともかく。予は、逃げはせぬ。国と運命をともにする覚悟だ」
カルイェンが反乱を起こした際、モルテンセンは咄嗟にフィウメに逃れたものの。あの時と今とでは勝手が違う。
モルテンセンは、内心ですでに覚悟を決めていた。