第三十五章 流れる者 Ⅰ
タールコの北方地帯に連なるハシャラ山脈。古代タールコ人はこの山を越えてタールコを建国したと伝えられ。またこの山脈で一番高いハシャラ山には、代々の皇帝が葬られている。
そのハシャラ山に、百ほどの集団があった。
それは、かつて獅子王子と、獅子皇と呼ばれたムスタファーら一行であった。
侍女エスマーイールのなきがらをハシャラ山の一角に埋葬し、木彫りの簡素なものながら墓碑も建てた。
ムスタファーはしばらくは墓碑の前で動かなかったが、やがてもの言わず愛馬ザッハークにまたがり山脈の各地を放浪しながら、山脈に根を張る山賊をこらしめ、糧食や根城を分捕った。
根城といっても粗末な木造の建物で、百人ぎゅうぎゅうづめの雑魚寝をするしかないようなものだった。
が、贅沢は言っていられない。
かつては大タールコ帝国の王太子であり皇帝であった者が、山脈の一角で山賊稼業をしようというのか。
生きていくには、食ってゆかねばならぬ。そのためには、過去の栄光や見栄などにとりあってはいられない。ムスタファーは、割り切っていた。またイムプルーツァにパルヴィーンら、ムスタファーについてゆく一行も、同じように割り切っていた。
彼らは、国を捨てたのだ。いや、国から捨てられたともいえた。
ともあれ、彼らは新たな人生を生きようとしていたのだった。
都合のよいことに、といおうか、山脈には様々な山賊どもが跋扈している。山賊は山脈沿いの村落や旅の商隊などを襲い、そのため人々は国に山賊退治の請願を出し、国もそれを受け一軍を派遣し山賊を退治していた。が、いたちごっこですべてを退治するにはいたらなかった。
ムスタファーらはその山賊の一部を倒し、とりあえずの居場所と糧食は手に入れた。さてこれからどうするか。
ムスタファーの脳裏には、どのような未来が描かれているのであろうか。
「獅子王子……」
イムプルーツァは、戸惑い気味ながら昔の呼称でムスタファーを呼んでいた。そのたびに、ムスタファーは、「もうタールコの皇族ではないから」とその呼び方を拒んだものの、イムプルーツァにとっては、ムスタファーはいかなる境遇にあろうと、獅子王子であった。またその呼び方の方が獅子皇よりも親しみが持てたのだった。
ムスタファーは外に出て、見晴らしのよい高台にて眼下に広がる風景を見下ろし、あるいは澄み渡る青空を見上げていた。
眼下には、家々が肩を寄せ合うようにあつまる村落や街が見下ろせた。また街道を行き交う人馬に馬車なども見えた。
山賊どもはこの高台から獲物をうかがっていたのであろう。
エスマーイールの死後めっきり口数の少なくなったムスタファーは、イムプルーツァらついていった者らからみれば、何を考えているのか見当がつかなかった。
思い切って国を捨て、ムスタファーについていったとはいえ、これからどうするのか。
「新しい国をつくる」
とはいったものの、どのように国をつくるのか。
そんな未来像をついていった者たちに示さねば、おそらく、いや必ず離れる者が出てくるだろう。
それに、討伐令も出ているであろうから、このまま手をこまねいていれば討伐隊がムスタファーらを探し出し、捕らえられるか、それとも殺されるか。いずれにしても、よくないかたちでエグハダァナへ連れ戻されるのは確かであり。
そして暗い未来を押し付けられるのも確かだった。
「イムプルーツァ、その呼び方は……」
「わかっておりますが、それがし自身が、この呼び方が好きなもので。どうか獅子王子と呼ばせてください」
「……」
ムスタファーはこまったように苦笑し、
「わかった。好きにすればいい」
と、やむなく首を縦に振った。
イムプルーツァのそばには、パルヴィーンがいる。このふたりはいつも一緒だった。ムスタファーには、それが微笑ましくも思え、羨ましくも思え……。
「これからいかがなさいます」
「そうだな……」
ムスタファーは、空を見上げて考え込んだ。いま、とりあえずは百人ほどがついてきてくれている。かつては二十万もの軍勢を率いていたことを思うと、なんともお寒い限りではないか。しかし、あらぬことから国からも、臣下たちからも見捨てられ、百人でもついてきてくれるのならば、それだけでもありがたいものだった。
その百人で、まずはどうしようか。
イムプルーツァとパルヴィーンは、ムスタファーの横顔を見つめていた。哀愁ただよう横顔であった。かつては若々しさと覇気に溢れていたのが。
その瞳も、どこか遠い虚空を見つめているような感じだった。おそらく、ムスタファーは抜け殻になってしまったといってもいいだろう。
エスマーイールの死が、ムスタファーを抜け殻にしてしまったというなら、それだけ彼女は大きな存在であり支えだったのだろう。
これからいかがなさいます、とムスタファーに問うたイムプルーツァだが、ムスタファーの脳裏に具体的な未来像がまだ描かれきっていないのを気づかないわけではなかった。
だから、彼自身もこれからどうするのか、というのをパルヴィーンとともに考えていた。
「よろしいでしょうか」
「なんだ、言ってみろ」
イムプルーツァは、これからのことをムスタファーに述べる。
「まずは、ひとまずの根城と糧食は手に入れましたが。いつまでもここにいられるわけではありませぬ」
「それは、わかっている」
「我らは、山賊ではありませぬが、しばらくは山賊稼業のようなこともせねばなりますまい」
そうだな、と言ってムスタファーはイムプルーツァに横顔を見せながら空を見上げていた。




