第三十四章 東征 Ⅶ
二十万のタールコ軍は半数のソケドキア神雕軍に翻弄され、もはや軍隊の体をなしていなかった。
なにより、軍勢を率いる新皇帝マルドーラが狼狽し逃げ惑い。軍勢をまとめる者はなきにひとしかった。
これでは、ソケドキア神雕軍の好きなようにやられていく一方であった。
カンニバルカはここでいいところを見せようと大剣振るって敵兵を薙ぎ倒し、豪奢な甲冑の新皇帝マルドーラに迫ってゆく。
「皇帝をお守りしろ」
タールコの将卒らはどうにか正気を保ち、咄嗟に新皇帝マルドーラの周囲に集まりこの戦場から逃そうと奮闘する。
遠くからそれを眺めるカンニバルカは、何かを閃いてか。
「包囲解け!」
との号令をくだした。ソケドキアの将卒らはその号令に耳を疑った。せっかく新皇帝を追い込んでいるというのに、包囲を解いて逃がそうなどと、何を考えているのか。
「あの皇帝ではタールコは長続きせん。ここで生きながらえたとて、たいしたこともできずに国を壊すだけじゃ」
カンニバルカはおかしげに叫んでまわった。
「国を壊す無様さを思い知らせてやれ。ここで無理に殺す必要もなくば、その価値もない」
言われてみれば、新皇帝マルドーラは逃げ惑うことに必死である。こんな様では、国を保つなどできようか。ここで無理に討たずとも、自滅するかもしれない。
一応の納得を示した将卒らは包囲を解き、逃げ道をつくってやる。そうすれば、新皇帝マルドーラは一目散に戦場から逃げ出した。
軍勢を率いる新皇帝が戦場から逃げてしまえば、タールコの将卒らも戦う理由がないというもので。あちらこちらで、
「退け、退け」
という号令が響き。タールコ軍は一斉に退却を始めた。
イルゥヴァンがしんがりに立って、ソケドキア神雕軍の追撃を抑えるが。
「追わずともよい。そのまま逃がしてやれ」
と、戦況を見定めたシァンドロスがそう号令したので、ソケドキア神雕軍は無理に追いかけてこなかった。
この一戦で、新皇帝マルドーラの器量を見定め、さらに国のゆくすえまで見定めたのはシァンドロスも同じだった。
ならばこそ、ここで無理に討ち取ることをせず。自滅するに任せればよいだろう。
新皇帝マルドーラは必死に逃げる一方で、胸が張り裂けそうな屈辱を感じていた。
ふしだらな獅子皇に代わってタールコの皇帝になり、統治し。ソケドキアの侵略を迎え撃って返り討ちにしてやろうとしたのに、結果は無残なものだった。
「予の力量はこんなものであったのか」
これでは獅子皇にはるか遠く及ばぬではないか。よもや戦うということが、ここまで厳しいものだということを、新皇帝マルドーラは屈辱とともに痛感していた。
「こんな予で、タールコを治められるだろうか」
一度胸に染み出てきた不安はとめどもなく広がって。新皇帝マルドーラの胸いっぱい広がってゆく。
たとえ皇帝に足りぬところがあろうと、それを補うための宰相がいるのだが、それでも不安は拭えなかった。
そもそも新皇帝マルドーラ自身、宰相ガーヌルグに説かれて押し上げられるように皇帝になったのだった。
ともあれ、いまは逃げることが第一であった。
新皇帝マルドーラは必死で馬を駆けさせ、帝都エグハダァナ目指していた。
「勝った、我々は勝ったぞ! 勝ち鬨をあげよ!」
タールコ軍二十万を半数の十万で破ったソケドキア神雕王シァンドロスは叫んだ。それに呼応するように、四方八方から、
「えい、えい、おう!」
という勝ち鬨があがる。
ガウギアオスの戦いにて東征の切り口を開き、このアーベラの戦いにおいて東征を決定的なものにしたという会心の気持ちがシァンドロスの胸に広がってゆき。これ以上にない展望と期待も広がっていった。
「カンニバルカよ、カンニバルカ!」
シァンドロスは臣下のペーハスティルオーンらとともに戦勝の喜びを共有しつつ、そばに寄ってくるカンニバルカに声をかけた。
カンニバルカはすぐさま駆け寄り、大剣を部下に預け、シァンドロスに一礼した。
「は、カンニバルカここに」
「よくやった。おぬしの働き、見事であった。この戦いの一番手柄は、おぬしであるぞ」
「ありがたきお言葉」
「これより、予の東征の先鋒をつとめよ。おぬしに任せておれば、間違いない」
カンニバルカの目がきらりと光り、不敵な眼差しのシァンドロスの目を捉えた。
互いに視線を交わし、笑いあいつつ。カンニバルカはシァンドロスという男をその不敵な眼差しから見た思いがした。
(ふん。オレに危険な仕事を押し付けるというのか)
先鋒は名誉あることであるが、危険も高い。ならばこそ、勇気ある者は勇んで先に立って戦ったものだった。ドラゴン騎士団のコヴァクスにニコレットしかり、獅子皇ムスタファーしかり。
シァンドロスもよく先頭に立って戦ったが、それは勇気があるからというほかに、任せられる者がいなかったことでもあった。
だがこれからは、カンニバルカに任せればよい。このアーベラの戦いで見せたカンニバルカの戦いぶりから、先鋒を任せるはこの男をおいて他はないとシァンドロスは考えたのだった。
(シァンドロス、食えぬ男よ)
カンニバルカはシァンドロスを見据えつつそう考えたが、食えぬ男というならば、シァンドロスから見た場合も同じだった。
「は、このカンニバルカ、神雕王の露払いを果たしてごらんにいれましょう」
「うむ。期待しておるぞ」
互いの視線交わる間に、火花が散ったようだった。
それから、
「さて、論功行賞である。カンニバルカは、褒美になにがよいかな」
とシァンドロスはうそぶいた。