第三十四章 東征 Ⅴ
ギィウェン、ヨハムドの手勢と渡り合うソケドキア神雕軍から何かの叫びが聞こえてくる。
新皇帝マルドーラは耳を澄ませて聞いてみれば、
「新皇帝に獅子皇のごとき勇気なし」
「臆病にも後ろにさがるなり」
と聞こえてくるではないか。
新皇帝マルドーラは、怒りで身体が震えだすのを禁じえなかった。
「イルゥヴァン」
「はっ」
「全軍をもってソケドキア軍にあたらせよ」
「それは……」
ソケドキア神雕軍の叫びは、イルゥヴァンも聞いている。つまらぬ挑発をするものだ、と思ったが、マルドーラはその挑発に乗ってしまったようだった。
「なりませぬ。所詮は戯言、そんなつまらぬ挑発に乗ってはなりませぬ。まずは、ギィウェン殿、ヨハムド殿にお任せあれ」
「しかし、奴らの言うこと、許しがたい」
「お気持ちはわかります。しかし、軽々と動かぬのも、将でございます」
イルゥヴァンは、この若い新皇帝がまだ二十万もの軍勢を動かせないのを見抜いていた。ゆえに、焦らず徐々に経験を積んでゆくしかないのだ。だが、そんなことお構いなく、新皇帝マルドーラは、顔も真っ赤に、ぶるぶると身体を震わせいまにも「全軍突撃」と号令をくだしそうだった。
「ここは、お忍び下さい」
そう言うしかなかった。怒りに任せて全軍突撃をするのは、戦法としてもまずい。
新皇帝マルドーラは、とりあえずは、うんと頷き戦況を見守ることにした。が、拳はかたく握りしめられていた。
無論、イルゥヴァンも、その他の将卒らも屈辱を感じないわけがなかった。新皇帝があからさまに侮辱されているのだ。これを黙って見ていられようか。
「おのれ、皇帝を侮辱するか!」
ギィウェンにヨハムドも満腔の怒りを込め、剣を振るう。タールコの名誉にかけても、ここはソケドキア神雕軍を打ち負かせねばならぬ。
「叫べ叫べ! 新皇帝に獅子皇のごとき勇気なしとな!」
カンニバルカは興に乗って、新皇帝の臆病をなじりながら大剣を振り回したものだった。
バルバロネもペーハスティルオーンも、
「獅子皇がふしだらなら、新皇帝は臆病者!」
とわめき散らしたものだった。ソケドキア神雕軍の兵士たちも、あらん限りの声で新皇帝は臆病者だと喚声をあげていた。
(こ、この予を臆病者などと。奴ら好き放題言いおってからに……)
新皇帝マルドーラはイルゥヴァンの助言を受け、この屈辱に耐えていたが。耐えれば耐えるほど、身体の震えはひどくなってくる。
もうどうにも止められないでいた。
「皇帝よ、どうかお忍びを」
イルゥヴァンは何度も新皇帝マルドーラに言い聞かす。だがその新皇帝は、歯を食いしばりしきりに身体を震わせている。
やんごとなき若君として育った新皇帝マルドーラにしてみれば、ここまで侮辱されたのは生まれてはじめてのことだった。それだけに、抑え難い怒りの衝動が胸を突き上げてくるのを、必死になって抑えていた。
が、それも限度があった。
「もう我慢ならん。奴らをことごとく殲滅してくれん」
新皇帝マルドーラはついに切れて、
「全軍突撃!」
の号令をくだした。
「皇帝、どうかお考え直しを」
イルゥヴァンは必死にいさめるが、新皇帝マルドーラは聞く耳をもたぬ。
「黙れ! お前は、予がここまで侮辱されてもよく平気でいられるものだな。お前、まこと予に忠誠があるのか」
「それは、もう」
「ならば、お主も続け!」
もう問答無用だった。新皇帝マルドーラが全軍突撃の号令をくだせば、屈辱に身悶えしていた将卒らは、待ってましたと怒りを解放させるため喚声あげて駆け出した。
新皇帝マルドーラは馬を遮二無二に駆けさせ、
「かかれ、かかれ!」
と叫んでいた。
タールコ軍本陣、ついに動くを察し。シァンドロスの笑みの不敵さはさらに増した。
「カンニバルカ!」
「はっ!」
「お主に一番手柄を立てる機会をくれてやる。あの、お坊ちゃま皇帝を、お前の手勢で片付けてみよ!」
「承知!」
シァンドロスの指示を受けカンニバルカは、
「我に続け!」
と手勢を率い、新皇帝マルドーラ率いるタールコ軍本隊に突っ込んでゆく。その数は三万である。十万の軍勢の相手をするには、少なすぎる、とはカンニバルカは思わない。むしろ挑発にまんまと乗ってしまった新皇帝の悪あがきで、十万の軍勢を率いることなど出来ないと確信していた。
「や、新皇帝が動かれたぞ。我らもご加勢せねば」
ギィウェンにヨハムドはソケドキア神雕軍と渡り合いつつも、どうにか戦場を脱し新皇帝マルドーラ率いる十万と合流しようとしたが。
ゆかせぬ、とシァンドロス率いる七万の軍勢が立ちはだかる。
「邪魔するな!」
ギィウェンにヨハムドは叫び、血路を切り開こうとするが。ソケドキア神雕軍しぶとく立ちはだかり、なかなか前に進めなかった。