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第四章 彷徨 Ⅱ

 幸い追っ手に発見されることなく朝日を迎えられ、三騎は再び旅に出た。

 あてどもない旅ではあるが、まず第一に、国を出ねばならぬことははっきりしていたが。国を出るといっても、どの方向から出るか、それが問題であった。

 どの方角にゆくかが決まらぬためか、蹄の音は重く、その歩みは遅い。いたずらにうろうろして、追っ手に見つかれば何にもならないので、やむなく森の中に身を潜めて思案に暮れねばならなかった。

 越冬の問題はコヴァクスもニコレットも考えていた。

 クネクトヴァとカトゥカも考えるものの、こちらも名案は浮かばない。

 コヴァクスはかなり苛立っているようだ。脳天がきしむような思いに駆られながら、檻の中の豹のように、眉をひそめ腕を組んで森の中をぐるぐる回る。かと思えば、森の木を思いっきり蹴飛ばし苛立ちをあらわにする。

 コヴァクスは何度も木に蹴りをいれ、そのたびに木は音を立ててゆれ、蹴られて痛くて泣くように、葉を落とす。

「お兄さま、追っ手に見つかっては一大事。ここは落ち着いて」

 とニコレットがなだめれば。かっと目を向いて妹の色違いの瞳を睨み据える。

「オレに命令するな!」

「なんですって?」

「妹の分際ででしゃばるな、と言うんだ」

 ニコレットは絶句した。

 これまで兄妹きょうだい喧嘩はあったが、そんなことを言われたのは初めてだった。どんなに怒っても、相手の尊厳を傷つけることは言わない兄だったのに。

 遺志を受け継ぐ心はあるといっても、やはりそこはまだ人生経験の浅い若者であった。それに対しどう対処してよいのかわからず、精神が迷子になってしまっているようだった。

「いっそイカンシを斬りに、王都へゆくか」

「それは危険です。みすみす死ににいくようなものです」

 とソシエタスがたしなめた。

 昨日のことを思えば、オンガルリ王国においてドラゴン騎士団は完全に反逆者となり、居場所が失われたどころか。ドラゴン騎士団の残党を狙って、各地に探索の兵が練り回っているのは容易に想像できた。

 そんな中、何の根拠もなくただルカベストに赴きイカンシの首を求めたところで、ソシエタスの言うとおり、みすみす死ににゆくようなものだ。

 それでは、遺志を託された意味がなくなってしまう。

「ソシエタス、お前、臆病風に吹かれたか」

 と、コヴァクスは目を血走らせ、剣を抜き。カトゥカはにぶい光を放つ剣と、そのあまりの形相に、きゃあ、と思わず悲鳴を上げてクネクトヴァの後ろに隠れ。

 ソシエタスは、無言でコヴァクスの剣を見据えている。

「臆病風に吹かれたから、剣でどうするおつもりなの」

 と言うはニコレットであった。

「どうもこうもない。臆病者は邪魔になるだけだ。そんな足手まといになる者は、斬る」

「小龍公、何を言われる。お考え直しを」

 ソシエタスは驚きコヴァクスをいさめる。しかし、

「お前逆らうか!」

 と剣を握りしめ、聞かない。

「臣下の分際で……」

「直言こそ臣下の名誉。主が道を誤られようとしているのを、どうして黙って見過ごせましょう。ことに大龍公よりのご遺志を託されたお方ならば、なおさら」

 ニコレット見かねて、

「そうよ、ソシエタスの言うとおりよ。ここで血気にはやったところで、無駄死にをするだけ。お兄さま、どうかお考え直しを」

 と間に入って言う。

「ニコレット、お前……。どいつもこいつも!」

「足手まといは斬る、だなんて。お父さまが、そんなことを教えてくれたの? 足手まといになる者こそ、守れ、というのが、お父さまが教えてくださったことでしょう」

 とニコレットは言うが、

「教えは教え、現実は現実だ! この餓鬼どもも……」

 とクネクトヴァとその背中に隠れるカトゥカを指差し、

「邪魔となれば、斬る!」

 と咆えた。もし追っ手が近くにいれば、その声が聞こえそうだった。

「なにが小龍公よ! がっかりだわ!」

 と叫ぶのはカトゥカだった。びっくりしてクネクトヴァはおろおろしている。

「お、おいカトゥカ」

「あんたの言ってること、結局ただの餓鬼大将だわ。こんなのが小龍公だなんで、笑っちゃう。これならあたしやクネクトヴァがドラゴン騎士団の団長になった方が、まだましな気がするわ!」

「な、なに。赤毛の餓鬼、オレを愚弄するか!」

「愚弄なんていっちょまえに小難しい言葉使って、やーね! あたしはただほんとのことを言っただけよ。ねえニコレット姉さん、そうでしょ」

 突然振られてニコレットは苦笑するが、うろたえる兄の姿に、カトゥカと同じように軽蔑の念を抱いていた。

 彼女自身もうろたえていたのは同じで、コヴァクスが先に無様な姿をさらしたものの、それより先に自分が無様な姿をさらしたかもしれないのだ。

 ニコレットは兄が先にうろたえて、それを見てかえって落ち着きを取り戻し。兄が爆発してカトゥカやクネクトヴァに斬りかかったときのために、すかさず、その前に立ち、コヴァクスを見据えている。

「残念だけど、カトゥカの方が正しいと思うわ」

「ニコレット、お前までオレを愚弄するか」

「誰もお兄さまのことを馬鹿にしていないわ。お兄さま、どうか落ち着いて話し合いましょう」

「話し合いなど生ぬるい! 我らは剣に生きる者。舌先三寸で、剣が振るえるか!」

 剣を握りしめ、一歩踏み出すコヴァクス。このままでは、ほんとうに斬ってしまいそうで、ソシエタスははっとしてこちらも一歩踏み出す。

「斬るなら斬ればいいわ。私を斬って、お兄さまの勇気を証明すればいいわ!」

 ニコレットは叫んだ。その背中の後ろにかばう少年と少女も、瞳を揺らしながら、コヴァクスと剣を見据えていた。

 ニコレットの黒い左目と、碧い右目の瞳が、コヴァクスを映し出す。

 色違いの瞳に映し出されて、コヴァクスは両親にも見られているような思いに駆られた。

「くっ……」

 剣を鞘におさめ、どっかと座り込む。

 無様な姿をさらしたことを、恥じているようだった。

「お兄さま……」

 ニコレットは兄のそばに駆け寄り、肩に手をかける。言葉はない。

 クネクトヴァとカトゥカは気まずそうにしていたが、

「ぐぅ」

 とふたりして腹の虫がないてしまい、顔を真っ赤にした。


「そういえば、何も食べておりませんな」

 と言って、ソシエタスは場の空気をほぐす。が、たしかに、何も食べていない。

 その何にも食べていないことを、いま思い出した。それほどまでに、皆切羽詰っていた。

「それなら僕に任せてください」

 とクネクトヴァは言うと、手ごろな小石を拾い、ひゅっと風を切るように石を投げれば。木の上にとまっていた小鳥が、ぴっと悲鳴を上げて落ちてくる。それに続きカトゥカも同じように小石を投げれば、また小鳥が落ちた。

 機転を利かせたソシエタスは木の枝を拾い集め、懐から火打石を取り出し火をつける。

「あなたたちって、狩りが上手ね」

 とニコレットは感心しきりだ。狩りの経験はあるものの、それは弓矢を用いてのこと。いま誰も弓矢をもっておらず、小鳥を捕らえることはかなわない。たとえ猪や鹿があらわれて、それを剣でしとめようとしても、逃げ足早く逃してしまうだろう。

「まあそりゃ、お腹が空いたらこうしていたんだ」

 腕白な、そして満足に食うことが出来なかったふたりは、郊外の森に出てはこうした狩りで空腹をしのいでいた。

 孤児院はもちろん食事は出たが。朝昼晩の三度だけ。おやつやおかわりはない。

 ルドカーンがけちなのではなく、孤児の皆に平等に食を与えるために、節制せねばならなかったのだ。

 が、腕白ざかりの子どもには足りず。ふたりは、自らの努力で食を得る必要性を幼いころから心に叩きつけられ、またその技も身につけていた。

「父上は言っていたな。なまじ恵まれると、自分の足で歩くことも出来なくなる、と」

 コヴァクスは、恥じるとともに、最初足手まといと思っていたクネクトヴァとカトゥカがこんなところで優れた手腕を見せたので。しみじみと、父の教えを思い出していた。

「オレはそうなるまいと心がけていたが。いざとなれば、お前たちの方が便りになりそうだな」

「いやあ、そんなあ」

 とクネクトヴァとカトゥカは、コヴァクスとニコレットに感心されて、照れ笑いをしている。まさか憧れの小龍公と小龍公女から、こうして褒めてもらえるなんて夢にも思わなかった。

 ともあれ食の問題は、まずは問題ない。が、冬はそうもいかない。

 このまま手をこまねいていては、行き場なく雪に埋もれてしまう。

 ソシエタスは眉をひそめながらも、何か思いついたようだった。それを察したニコレットは、

「何か考えがあれば言ってちょうだい」

 とうながし、ソシエタスは迷い気味に、では、と口を開いた。

「オンガルリより南西方向の、旧ヴーゴスネアにゆこうかと、思っておりました」

「ヴーゴスネア」

 オンガルリ王国の南西に、ヴーゴスネアという国があった。タールコとも国境を接し、オンガルリと同じように敵対関係にあったが、内乱が起こり今は七つの小国に分裂している。

 この内乱は別にタールコが何かをしたわけではなく、ヴーゴスネア国内での権力闘争が高じて内乱となり、国を七つに分けへだててしまった。

 その七つの国は互いに反目しあい、今も内戦が絶えず、各地で毎日のように戦火があがっているといる。

 そのため人心は荒み治安も悪化。内戦のどさくさに紛れて白昼堂々と盗賊山賊のたぐいが暴行略奪をほしいままにし、旧ヴーゴスネアの地は、混沌としているという。

 またタールコも、オンガルリという優先事項もあり、旧ヴーゴスネアの七つの国が結託してタールコに敵対することもないので混沌とするにまかせて、手を出していないという。

「ヴーゴスネアか……」

 とコヴァクスがつぶやく間に、火の燃える熱気が肌に触れるとともに、肉の焼ける煙も触れ、香ばしい匂いも鼻に触れる。

「危険は多けれども旧ヴーゴスネアにゆくより他に道はなしと思います。北方は、冬の厳しさを思えばゆくべきではありませぬし、東と南はタールコの支配下に置かれ。オンガルリより西方諸国は安定し、かえって我らの居場所はないでしょう」

「どうして西には私たちの居場所がないの?」

 とニコレットが問えば、ソシエタスうなずいてこたえる。

「西はオンガルリがタールコよりの侵攻を防ぐ防壁の役目をなした甲斐あり、平穏な暮らしを享受していると聞きます。これからどうなるかわかりませぬが、ドラゴン騎士団が反逆者として討伐されたという話は、いずれ西方にも広まるでしょう」

 コヴァクスとニコレット、クネクトヴァとカトゥカは、肉を手にしたまま押し黙って聞き入っている。

 西方にはかつて西の大帝国の属州であった地域がそれぞれ独立し大小様々な国家郡をなしている。これらの中の隣接する国々はタールコよりの侵攻を防いでもらいたいがために、オンガルリと同盟関係にあった。

「となれば、平和な暮らしを壊されたくないと、タールコとの戦いを避け和平案が起こり。あるいは我らを災いの種と忌み嫌い、捕らえようとするかもしれず。またこれに抗い流血の沙汰になれば、怨みが残りオンガルリに対しての印象も悪くなり。西側に新たな敵ができるとなれば大龍公のご遺志を遂げても意味がないというもの」

 ソシエタスの話を聞き、コヴァクスはうーんと考え込む。

「でもウィーニアやソルティエヴルグ、ヴゥルノはやはり同盟国。真実を語れば、受け入れてくれるかも」

 とニコレットはもっともな疑問を呈した。同盟国である。実際に行ってみなければわからないではないか、と。

「その疑問はごもっとも。希望もあるでしょう。ただそれだけに、失望もありうるのです。大龍公のご遺志を、いちかばちかの博打のように扱うわけには、まいらぬのです」

「むしろ混沌としたヴーゴスネアにゆき、どさくさに紛れて新たなドラゴン騎士団をつくりなおす方が、確実性はあるな」

「小龍公の言うとおりです!」

 ソシエタスはコヴァクスがうまく自分の考えを察してくれて、顔をほころばせた。コヴァクスも汚名返上ができたと、すこし自信を取り戻した。

「どうせ危険は避けられぬ。ヴーゴスネアに跳梁跋扈する盗賊どもを退治するなどして、その地の民や王に恩を売れば、重くもちいられ、一兵団でも貸してもらえるかもしれないな」

「あるいは、我らの剣にかけて義勇兵をつのることもできましょう。それらを訓練し、新生ドラゴン騎士団とできる望みもあります。それも混沌としているがゆえに、できることなのです。なにより、冬を過ごす場所もみつかるやもしれません」

 幸いに、というのも妙な話だし、他国の不幸につけ入るようでもあるが、その方が確実性があり、またそれゆえに希望の光も強く輝くように感じられた。

「ただ……」

「まだなにかあるの?」

 ニコレットはコヴァクスとソシエタスの言葉を聞き、色違いの瞳を輝かせていたが。踏ん切りのつかないようなソシエタスにやや苛立ったようだ。

「まあ、ふたりをどうするか、という問題もありまして」

 とクネクトヴァとカトゥカを見つめた。

「この旅は危険極まりなく、まだあどけない少年と少女に耐えられるかどうか」

 なるほど、とコヴァクスとニコレットもふたりを見て。見られるクネクトヴァとカトゥカは、気まずそうにうつむいているが。

「連れて行ってください!」

 とふたりそろって言った。

「私はルドカーン様から使命を託されたそのときより、すべて覚悟の上です」

「あ、あたしは、どうせ居場所なんかないし」

「居場所がない、というだけでは、連れてゆけぬよ」

 ソシエタスはカトゥカに優しく諭す。クネクトヴァはともかく、どうしてこの赤毛の少女はついてゆきたがるのだろう。危険がよくわかっていないのか。

「で、でもお願い! 連れて行ってください! 足手まといになりませんから……」

「そう言われても……」

「住み込みで働いているところのご主人さまは意地の悪い人で、いつもあたしを棒でぶって、それに、もっと大きくなったら身売りさせる、って」

「なんだって!」

 声を上げたのはクネクトヴァだった。ある商人に孤児院から引き取られて、住み込みで働いていたのだが。

「お前、どこかに売られちゃうのか。人をもののように売るなんて、なんてひどいんだ」

 身売りというのは、おそらく男を相手の商売をさせるつもりなのだろうが、まだ幼いクネクトヴァには、そのことがよくわからなかった。単にどこかの店の働き手として売り買いされる、というくらいにしか想像できなかった。

 そんなクネクトヴァに苦笑しつつ、仮にも王都最大の教会管理の孤児院の孤児を引き取りながら、そんな下卑たまねをしようとする輩がいることが、コヴァクスとニコレット、ソシエタスには衝撃的だった。

(教会の権威も、地に落ちつつある)

 思えばイカンシが王に近づいてから、妙に都の雰囲気がかわった。柄が悪くなった、というか。

 大きな教会管理の孤児院の孤児が引き取られる場合、しかるべきところが引き取り、大切に面倒を見るのが通例であった。それが教会への帰順の意思表示でもあり、神の教えが浸透しているという証しであった。

 が、それが崩れつつあるようだ。

 もともと欲深なイカンシは厳格な教会とはそりがあわず、もっぱら商人たちと、それもあまり根性のよくない商人とばかり付き合って、金銭や高価な品々を仲間内で増やしながら流し合っていたようだ。

 その中には、人身売買をする者もあったろう。

 最初こそはそれは隅っこに少し浮かんだ染みのようなものだったろうが、イカンシが商人たちとともに欲を満たすにつれて、染みは商人からその使用人、労働者などの裾野に広がり、王都を侵蝕しつつあったようだ。

 クネクトヴァは知らなかった。ルドカーンは孤児が根性のよくない引き取り先により不当に売買されている実態を掴んで、その保護や対応に苦慮していたことを。

 弟子の少年に伝えるのは、俗すぎるため、伝えられなかったのだ。

 またその取り引き先がイカンシとつながりがあることも、うすうすながら勘付いていた。

 そういうこともあって、エルゼヴァスの悪魔祓いの儀式のときに、疑惑は確信へと変わり。ドラゴン騎士団に危機を知らせられたのだ。

 まったくイカンシという者は、何を望んで生きていることやら、である。

「ここで見放されたら、あたしは、身を売るか流れ者になるかの、どっちかしかないんです。だから、連れて行ってください……」

「わかったわ」

 とニコレットは言った。同じ女性の身だから、というのもあるだろうが、クネクトヴァ同様狩りもうまく、またコヴァクスにきっぱりと啖呵を切ったりする気風のよいところがあるのも気に入った。

「お兄さま、ソシエタス、この子は私が守りますから。一緒に行ってもいいでしょう?」

「わかった。好きにしろ。ただそう言う以上は責任を持てよ」

「もとより承知ですわ」

 兄と妹のやりとりを聞き、カトゥカは涙を流してニコレットの手を握り、

「ありがとう、ありがとう、コヴァクス兄さま、ニコレット姉さま」

 と何遍も礼を言った。

 それを微笑ましげに、あるいはすこしもの悲しげに、コヴァクスとソシエタスは見つめていた。

 危険に飛び込むのだ、よかったと言い切れるものではない。かといって、このまま帰しても結局は不幸な人生しかない。

 この世には、そんな選択肢のない境遇に置かれた人もあることを、カトゥカを見てて改めて思い知ったのだった。

 ともあれ、話は決まった。

 善は急げで五人は旧ヴーゴスネア目指し南西の方角へと駆けた。

「しばしの別れだ」

 コヴァクスは切なそうに山野にささやき。ニコレットはふるさとを思い出していた。

 秋深まり冬迫り、山野の木々は常緑樹を押しのけるようにして紅く染まりつつあった。やがて木の葉も落ちつくした裸木の上に、分厚い雪が覆って、雪化粧の銀世界を織り成すようになる。

 そんな少し先の冬の景色を脳裏に描きつつ、頭上の太陽に見守られながら、五人はオンガルリの山野に対し、しばしの別れ、とつぶやきあっていた。

 まだ短い人生とはいえ、思い出のいっぱいつまった故国の山野を目にするのは、これが最後になるかもしれずとも。

 しばしの別れであった。


 さてカンニバルカ。

 オンガルリに急転、激変をもたらしたこの容貌魁偉な男は王の軍勢をまるで我が軍勢のように従えて、王都ルカベストに帰還したものだから。

 その混乱は容易に想像できた。

 国防の要ドラゴン騎士団は実は反逆者だった。と、王はこれを討伐したはいいが。いや実はそうではなく、あれは下心あったイカンシのでっちあげだったという新事実が都を駆け巡った。これだけでも混乱ものなのに、さらに、イカンシは軍勢を従えて帰還したカンニバルカという謎の男によって討たれ。

 王といえば己の器量を思い知って、あとのことはすべてカンニバルカにまかせて、物好きを引き連れドラグセルクセスへ首の押し売りにいったという。

 マーヴァーリュ教会のルドカーンもさすがにこの急転ぶりには目が回る思いだった。

 ドラゴン騎士団の捕虜からことの次第を聞いたカンニバルカが、教会に赴きルドカーンに面会を求めた。

 その容貌魁偉さに驚きつつ、只者ではないことも見抜き、ルドカーンは覚悟を決めてカンニバルカと会ったが。

「餓鬼どもはしぶとく逃げた。死者の葬儀を頼む。また、以前のまま、民に安らぎを与えよ」

 と、まるで王のように命じながらも、その一言だけで終わったので拍子抜けする思いでもあった。

 が、運ばれてきたドラヴリフトの変わり果てた姿には、さすがに涙はこらえられず。妻エルゼヴァスと同じ墓所に手厚く弔うとともに、コヴァクスとニコレットの無事を、弟子のクネクトヴァの活躍を祈らずにはいられなかった。

 イカンシは、これもやはり手厚く弔った。奸臣であったとはいえ、死者に鞭打つは人のすることではないと。

 オンガルリ王国の運命の歯車は大きく動いていた。

 女王ヴァハルラは、カンニバルカと会い、事の次第を打ち明けられると卒倒し、侍従たちは大慌て。

 無理もないことであった。

 王のことはもちろん、カンニバルカはドラゴン騎士団なきオンガルリ王国の無力さを説き、神美帝ドラグセルクセスに臣従を誓う使者を出すように言ったのだから。

「もはやこれより他に道はありませんぞ」

 と、カンニバルカは確信をもって言った。さらに、

「かつてのドラヴリフト卿の所領を所望したい」

 とまで、ぬけぬけと言った。

 どうにか気を取り直した女王は、完全に心を挫かれ。

「王にすべてを託されているのなら、お好きなように」

 と投げやりなことを言って、奥へ引っ込んでしまった。

 早速カンニバルカは王宮を取り仕切り、タールコへ使者を派遣し。自らは、文官につくらせた任命書を片手に、かつてのドラヴリフトの領地である、ヴァラトノに向かった。

 ヴァラトノはルカベストよりおよそ百キロの西南方向にある地域で、ヴァラトノ湖という大きい湖を擁して風光明媚な、漁業の盛んな地域であった。

 ヴァラトノには、湖は人にすべてを与える、という箴言があり。人々は湖とともに生きてきた。

 ドラヴリフトはこの地を治める貴族であり、私兵を持つことを許されこれを訓練し、ドラゴン騎士団を結成した。

 ここにマジャックマジルというドラヴリフト配下の将校が代官として、少数の留守居役の兵士とともにヴァラトノを治めていた。無論彼はドラゴン騎士団の団員であり、代官を任せるだけあり、良識と勇敢さを兼ね備えた初老の人物だった。

 余談ながら、マジャックマジルは、珍しい名前であった。

 というのも、オンガルリ王国は建前こそ西の大帝国のもとの属州であったが、そこに住む人間ははるか東方より来たりて土着した遊牧民族、マジャクマジール族とする言い伝えがあった。

 土着といっても、現地人を征服しての侵略であったかもしれないが……。

 ともあれオンガルリ人は民族的にはマジャクマジール族を称しており、このドラヴリフトの代官は民族名をもとにした名前をつけられていた。

 といっても、それから長い年月が経ち、ニコレットの瞳がしめすように異民族との混血も多々あり純血が残っていることはまずないだろうが。

 オンガルリ王国を祖国とする者は、マジャクマジール族を称するのであった。

 小さく質素ながら、小奇麗な湖畔の館が、行政庁舎をつかさどり。またそこはドラヴリフトの棲家であった。

 その館にて、マジャックマジルはカンニバルカがヴァラトノに来て、任命書を突き出すのを見て。

「ついにこの時が来たか」

 とため息をつき、女王と同様、

「お好きなように」

 と言った。

 ドラゴン騎士団の壊滅は、すでに聞き及んでいた。その時点で、自分の人生も終わったと覚悟を決めたが。

「じいさん、あきらめるのは早い。小龍公と小龍公女は、まだ死んでおらん」

 とカンニバルカは何を思ってなのかそういった。

 小龍公と小龍公女はまだ死なずとはいえ、死なずだけでは気休めにもならないと、憮然としたが。

「お前さん、付き合いが長いのに、ふたりを信じておらんのか」

 などと言うものだから、開いた口がふさがらなかった。

 この男、何を考えているのやら、皆目見当がつかぬ。

 そのとらえどころのなさに、マジャックマジルは当惑し、歴戦の勇士らしからず怖さまでおぼえた。

「オレは、小龍公と小龍公女には、けっこう期待しておる。何かをしでかすかもしれぬ、と楽しみにしている」

 人の気も知らずのん気に笑うカンニバルカは、マジャックマジルの肩をぽんぽん気安くたたき。

「その何かが出るまで、ここで厄介になる。じいさんには、是非とも統治の仕事を手伝ってもらいたい。頼んだぞ」

 と言って。

 マジャックマジルはまさに夢の中にいるような心地で、地元にいながら、心の方は、知らない土地を彷徨っているようだった。

 いや、それはオンガルリ王国の人民すべてが、そうであったかもしれなかった。

 短い間に、王が、ドラゴン騎士団が、まるで悪魔に連れ去られたように消え去り。入れ違いに得体の知れぬ男があらわれて、王国を我が物顔で闊歩する。

 そんなことは、三百年以上続くオンガルリの歴史はじまって以来はじめてのことで。その歴史は、もうすぐ閉ざされようとしている。

 我が道をゆくカンニバルカはやはりというか、人々の心が彷徨うのを横目に、館のベッドの上でさっそくいびきをかいていた。

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