第三十四章 東征 Ⅱ
都エグハダァナにて盛大な壮行の儀式を執り行った新皇帝マルドーラは、帝都の民衆とともに打倒ソケドキア、シァンドロスを叫び。
二十万の軍勢を率いて出陣した。
宰相ガーヌルグが留守を預かる。
地を埋め尽くすかと思われるほどに結集した二十万の軍勢は、一路アーベラの要塞に向かった。
新皇帝マルドーラの甲冑は黄金に輝く。帯剣は、太陽のかけらを鍛えたと称されるほどの名剣で。斬れぬものなしというほどの切れ味をもち、鞘に柄も黄金仕立てだった。
この豪奢さは、見た目よりも実用性を重視し質素で簡潔な甲冑を好んだ兄ムスタファーと対照的だった。
イルゥヴァンにヨハムド、ギィウェンらの部将もマルドーラによく仕え、二十万の軍勢をまとめるためによく働いた。
その進軍中、西方におけるオンガルリ・リジェカとソケドキアの戦いの報せがもたらされる。
ラハントの遣わした使者は、ドラゴン騎士団は二度ソケドキア軍の攻撃を撃破したものの、旧ダメド地域の奪取はせずにリジェカ国内まで引き返してしまった、いかがいたしましょう、という内容のものだった。
「なんとドラゴン騎士団めらめ、詰めの甘いことをする」
戦いに勝ちながら、領土を奪わぬ無欲さにマルドーラは感心せず、苦々しくラハントのしたためた書簡をながめていた。
旧ダメド地域の奪取はタールコとしての要請でもあったのだが、ドラゴン騎士団は奪うための戦いはせず、という。ラハントは戦勝の喜びより、要請が蹴られたことの怒りをこめて、書簡をしたためたのだった。
「オンガルリ・リジェカの二ヶ国との間には不可侵条約がある。しかし、この様子では、いつその条約を蹴り飛ばすかわかったものではない」
奪うための戦いをせぬ、というなら、オンガルリ・リジェカからドラゴン騎士団が攻め込むことはないだろうが。
いつぞやのように、再び征服してタールコ領にせねばなぬであろう、とマルドーラは考えた。
要請が蹴られたことは、新皇帝として沽券にかかわることだった。が、いまはソケドキアにシァンドロスである。
「オンガルリ・リジェカのこと、ソケドキアとの戦いのあと、追って沙汰する」
ということを、使者に伝え、リジェカのラハントのもとに遣わした。
それから、斥候がアーベラの要塞におけるソケドキアの情勢の報せをもってきた。
ソケドキア軍はアーベラの要塞周辺に結集し、その軍勢の数は十万ほどであり。タールコ軍向かうを察し、要塞にて待ち構えているという。
「十万か、我が方の半分だな」
マルドーラはソケドキア軍の数を聞いて、ほくそ笑んだ。
「皇帝、戦は数ではありませぬ。かつての、ドラヴリフトありし日のドラゴン騎士団は劣勢ながら神美帝の軍勢を散々に悩ましたものでした。また、ガウギアオスがその最たるものでしょう。それゆえ、敵の軍勢少なしといえど侮るべからず、とよくおおせられておりました」
と言うのはヨハムドであった。自身も、数に劣るドラゴン騎士団に打ち負かされた苦い経験があるうえに、ガウギアオスの戦いもあって、慎重な姿勢をマルドーラに求めている。
「ふむ、獅子は兎といえど持ちうる力すべてをもって狩るという。それであるな」
「はい。そのとおりでございます」
「父の遺言。心しておこう」
改めてマルドーラは心を引き締め、全力でソケドキア軍に当たることを天の父に誓った。
タールコ軍がアーベラの要塞向けて進軍し、日に日に近づいて来ていることが斥候のもたらす報せでソケドキア神雕軍に伝えられる。
この軍勢、神雕王を名乗るシァンドロス自ら率いるので、神雕軍の呼称で呼ばれていた。
要塞にこもれるのは一万たらず。のこり九万の軍勢は要塞の前方、にひと塊になって陣を布いていた。
堀と防壁とりかこむ城砦にて、シァンドロスはペーハスティルオーンにガッリアスネス、カンニバルカら近しい臣下をあつめ、軍議を開いていた。
「我らはかく戦えり……」
シァンドロスは、この要塞にてタールコ二十万の軍勢をどのように迎え撃つかを語った。カンニバルカは聞きながら、うんうんと頷いている。
「……。以上が、オレの考えだが。異議あらば、遠慮なく申せ」
「いや、神雕王のお考えに、異議などありましょうか」
ペーハスティルオーンは感心した様子で、シァンドロスに全面的に賛同した。ガッリアスネスも、異議なし、と言った。
「異議あり。神雕王よ、我が考えを述べてよろしいか」
と言うのはカンニバルカであった。うんうんと頷いていたが、全面的に賛同してのことではなかったようだ。
「おう、言ってみろ」
シァンドロスは不敵な笑みで、カンニバルカを見据えた。この男、己の出自など一切明かさぬが、一旦仕え、戦うとなればよく励むことに関しては、シァンドロスは信用していた。
裏切りといっても二通りある。やむにやまれず裏切るのと、己が欲のため裏切るのと。カンニバルカがタールコからソケドキアに鞍替えしたのも、やむにやまれずであったろう。
なにせ、勇敢な獅子皇ムスタファーをその弟や宰相が無思慮に排するような帝国であるから、とシァンドロスは見ていた。このままタールコについていれば、カンニバルカは馬鹿を見る思いをしたであろう。
カンニバルカの鞍替えは、本人がどういう意思であれ、帝国タールコのほころびが生じていることを象徴しているように見えた。
「神雕王よ、我を先頭にいたし給え」
「ほう」
シァンドロスはカンニバルカを先頭に立たせるつもりはなかった。別働隊でも率いさせようと思っており、先頭には自らが立って戦うつもりだった。
「その心意気はよし、だが、お前、オレを退けて先頭に立つ以上はわかっているのだろうな」
「もとより承知の上」
カンニバルカも、シァンドロスに劣らぬ不敵な笑みを浮かべていた。