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第三十四章 東征 Ⅰ

 タールコの西方、いや、いまやソケドキア領というべきか。アーベラの要塞の周辺において、十万の軍勢が集結し。

 いつでも東征に向かえるよう準備が整えられていた。

 城砦から、シァンドロスはそれを満足げに見つめていた。

 彼の脳裏には、はるか東方の大地が、大きく広がるソケドキアの版図が描き出されていた。

 タールコはおろかタータナーノをも征服し、マオにまでいたる大帝国をきずきあげることが、シァンドロスの夢であり壮大な野望であった。

 臣下のペーハスティルオーンが来て、軍勢の軍備ととのい。いつでも出兵できることを告げた。

「よし、わかった。で、タールコの新皇帝の動きはどうだ」

「は、都エグハダァナにて出兵の儀式を執り行い。二十万の軍勢を編成し、こちらに向かい出陣した模様です」

「で、あるか。さぞ大仰な出兵式であったろうな」

「斥候の話によれば、エグハダァナ中が沸きに沸き、帝都一体となって打倒ソケドキアを叫んでいた模様でございます」

「なるほど。ひどく憎まれているものだな」

 不敵に、ふっとシァンドロスは笑った。

 敵から憎まれることは、シァンドロスにとって讃えられるのと同じように、名誉なものであった。

「それで、我が方はいかがいたしますか」

「我が軍は、ここでタールコ軍を待とう」

「待つとは、篭城するのでございますか」

「そうだな。それもいいが、真正面からぶつかり合うのもいい」

「なんと、敵は二十万ですぞ」

「獅子皇が率いれば強敵となろう。しかし、新たな皇帝に二十万もの軍勢を率いられるかな」

「……」 

 ペーハスティルオーンは、すこし黙った。神雕王シァンドロスは新皇帝マルドーラなど、まるで歯牙にもかけていない。

 さて、それはそれとして。西方の戦線はどうなったであろう。シァンドロスはそれも気になっていた。

 イギィプトマイオスが五万の軍勢を率いて、ドラゴン騎士団と渡り合うのだが。その勝敗は、どうなっているだろうか。

 シァンドロスは、イギィプトマイオスならうまく新しい征服地を治めると信頼しているが。ドラゴン騎士団と戦うともなれば、すこし心もとないと思っていた。

 だが、こうせよああせよと、いちいち細かく指図するような王ではなかったシァンドロスは、イギィプトマイオスの好きにさせていた。

 そんなことを考えているときに、臣下がやってきて西方の戦線を伝えた。

「イギィプトマイオス殿から使者がやってまいりましたが、敢え無くもドラゴン騎士団に大敗を喫したということでございます」

 それを聞いたシァンドロスの目つきが鋭くなった。

 負けた、それ以上の大敗という。

「……。で、イギィプトマイオスはどうすると言ってきている?」

「は……。神雕王のご判断に全てをゆだね、どのような責めも負うと申しております」

「潔いよいことだな」

 西方におけるドラゴン騎士団との戦いは、大敗を喫してしまったという。ならば損害も大きいであろう。案の定、イギィプトマイオスはドラゴン騎士団に敗れてしまった、ということだ。

「領土は奪われてはおらぬか」

「はい。旧ダメド地域を奪取するものかと思われましたが、ドラゴン騎士団は勝利をおさめたあと、陣を引き払いリジェカ国内まで戻ったとのことでございます」

「ほう」

 獲ろうと思えば獲れるものを獲らず、引き返したのか。いかにもドラゴン騎士団らしい。これにはシァンドロスも少し感心したようだ。

「無欲なことよ」

 ぽそっとつぶやく。

 さて、イギィプトマイオスへの沙汰であるが、どうするべきか。

 ペーハスティルオーンは固唾を飲んでシァンドロスの判断を待っていた。

(しくじったな、イギィプトマイオス……。どうなっても知らんぞ)

 ともすれば、死罪か。軽くとも降格どころか、一兵卒に落とされるかもしれない。シァンドロスの怒りに触れて無事であった者がいただろうか。

 だが意外にも、

「敗れたものは仕方がない。このことに関しては、責めぬ。だが、守りを堅め自ら打って出るような真似はせぬよう、固く申し付けておく。三度目の敗戦などがあれば、そのときこそ厳罰をもって処すると、イギィプトマイオスに伝えよ」

 という、寛大な処置だった。

 ペーハスティルオーンに臣下は感心し。臣下は安堵しながら、シァンドロスの告げたことを使者に伝えにさがった。

 ドラゴン騎士団、いやオンガルリとリジェカに領土拡大の野心がないのなら、無理にこちらから攻め込む必要はないだろう。不可侵条約の条件ゆえに出兵したドラゴン騎士団だが、二度ソケドキア軍を破ったことで、つとめは十分果たしたと思い引き返したのだろうし。

 シァンドロスも、同じように考えていた。

 しかし、負けの報せを聞くのは気分のよいものではない。不敵な笑みは消え、瞳は不気味に鋭く、光り輝いている。

「いつかは、オレ自ら西方に赴かねばなるまい……」

 城砦から十万の軍勢を見下ろしながら、シァンドロスはつぶやいた。

 東征に関しては、強敵はいなくなった。だが反対側の西方に、強敵がいる。これがなにかのきっかけで、ソケドキアの脅威となって背後を突くことがないとは言えないだろう。

 それにしても、思った以上に強くなったものだ、ドラゴン騎士団は。内心で、どこか侮っていたところがあった。それがこのようなかたちで、あらわされようとは。

 責めるとすれば、コヴァクスとニコレットを侮っていた己自身を、シァンドロスは責めていた。

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