第三十三章 西方戦線 Ⅵ
ドラゴン騎士団本隊ともいう、紅の龍牙旗はためく手勢はまず最初の二万のソケドキアの手勢を打ち払い。つづいて、後続の一万にも迫ろうとする。
しかし、その一万の手勢は二万の手勢が敗れて散り散りになるのを見て駆ける勢いが殺がれた。
「なんという凄まじい勢いだ。これがドラゴン騎士団か」
一万の手勢を率いる部将は紅の龍牙旗はためくのを見て、にわかに恐れをなしてしまった。急に東へと駆けたのは逃げたのではなかったのか。
「しまった、奴ら自らを囮として我が軍勢をばらばらにするつもりだったのか」
そう察して、部将は慌てて、
「とまれ、反転してイギィプトマイオス殿の本隊と合流するのだ」
と号令をくだした。
一万の手勢は急いで反転しようとするが、予期せぬ反転のため統率がとれず兵卒らはてんでばらばらに動き、自軍内で兵士や馬同士ぶつかりあう有様だった。
そんなことをしているうちに、コヴァクスとニコレット率いるドラゴン騎士団は迫り。一万の手勢とぶつかり、突っ切ろうとする。
統率のとれない手勢では、勢いに乗るコヴァクスとニコレットの手勢の相手がつとまるわけもなく。
あっという間に、打ち砕かれるように散り散りばらばらになって、兵卒らは逃げ惑った。もはや立ちはだかる者なしがごとくであった。
逃げ惑う兵卒らは、紅の龍牙旗が突っ切ってゆくのを恐れをもって見送るしかなかった。
こうして、ソケドキア軍五万のうち、三万があっけないほどに打ち破られてしまったのだった。
そのままコヴァクスとニコレット率いるドラゴン騎士団は駆け抜け、イギィプトマイオスのソケドキア本隊に迫ろうとする。
ソケドキア本隊はいま赤い兵団とジェスチネ率いるドラゴン騎士団と渡り合っている最中だった。
イギィプトマイオスも勇士である。剣を振るい立ちはだかるドラゴン騎士団の騎士や兵士を打ち倒してゆくが、彼ひとり勇戦したところでまるで意味はなさず。
五万の軍勢のうち三万は勝手な動きをしたうえに撃破されて逃げ惑い。残るはイギィプトマイオスの本隊二万のみとなり。それもいまは交戦中である。
そこへ、ドラゴン騎士団本隊が迫る。
「なんということだ」
剣を振るいながらイギィプトマイオスは苦虫を噛み潰すようにつぶやいた。
「ええい、かくなるうえはやむをえん。退け……」
退け、と号令をくだそうとしたとき。ダラガナ率いる赤い兵団はたくみに戦場を駆け巡り、ソケドキア軍本隊の背後に回って退路を断って、そこからソケドキア軍将兵の背中めがけて刃を振りかざした。
セヴナも得意の弓矢でソケドキアの将兵をしとめてゆく。
イギィプトマイオスは退けと言いかけて、知らぬ間に背後に回られて自軍が混乱しつつあることに気づかざるを得ず、思わず絶句してしまった。
(数にまさる我が軍が、ここまで……)
ドラゴン騎士団や赤い兵団の巧妙な戦いぶりには、ただただ舌を巻くばかりであった。
だがいつまでも絶句するわけにもいかない。
「ひ、退け、退け!」
どうにか声を出し、退却の号令をくだす。このままここにいれば、全滅させられるおそれもあった。そこまでドラゴン騎士団と赤い兵団は勢いづいていた。
紅の龍牙旗が迫ってくる。
イギィプトマイオスは紅の龍牙旗が来ぬうちに、急いで戦場を脱した。ここでコヴァクスやニコレットに、あの奇妙な体術をつかう龍菲と渡り合えば無事ではすまないだろう。
(神雕王、申し訳ありませぬ!)
イギィプトマイオスは心でシァンドロスに詫びながら、戦場を脱して駆けてゆく。総大将が逃げたとなれば、下々の者たちも続いて戦場を脱しようとする。
「追え、逃がすな! 討てるだけ討ち取れ!」
ジェスチネやダラガナは叫んで逃げ惑うソケドキア兵たちを追い、討ってゆく。二度と攻め込もうと思わせないようにするために、敢えて、情けをかけたり容赦することはしなかった。
ソケドキア軍が算を乱して逃げ出したとき、コヴァクスとニコレット率いる紅の龍牙旗はためくドラゴン騎士団本隊が迫り来て。ソケドキア軍にとどめを刺そうとする。
あわせて三万となって、二万ばかりのソケドキア軍はいいように討ち取られてゆくばかり。
紅の龍牙旗はためくそのもとで、コヴァクスは槍斧を振るい。ニコレットは剣を閃かせ。龍菲は槍を繰り出し、ソケドキア兵を薙ぎ倒してゆく。
ソケドキア軍はもう軍隊の体をなしていなかった。まさに、烏合の衆として逃げ惑うばかり、討ち取られてゆくばかり。
イギィプトマイオスは自軍の兵卒らが討ち取られてゆく様を振り返って眺め、悔しさのあまり頭が爆発しそうだった。
シァンドロスの下で戦い、ここまで完膚なきまでに負けたことがあっただろうか。人生で初めて味わう惨敗に、胸が張り裂けそうだった。
「おのれ、おのれ、おのれぇー!」
イギィプトマイオスは天に向かって叫んだ。そしてひたすら馬を駆けさせた。
背中を打つ戦場の喧騒が、遠ざかってゆく。敗残兵の悲鳴が迫ってくる。
「追え、逃がすな!」
コヴァクスは槍斧を掲げ、イギィプトマイオスを追った。
いつもなら、敗残兵など追わぬのだが。事情が事情である。二度と攻め込む気にさせぬためには、徹底的に叩いておく必要があった。
「おおぉー!」
ドラゴン騎士団、赤い兵団は雄叫び上げて、逃げるソケドキア軍を追った。
「さすがね。私がでしゃばるまでもなかったわ」
龍菲はこの快勝に微笑んでいた。かつてはコヴァクスらが危機に陥ったときにあらわれて、武功をもって手助けしていたのだが。今回はその必要はなかった。
知らぬうちに、龍菲はコヴァクスのそばにいることに、面白さ、楽しさを感じるようになっていた。