第三十三章 西方戦線 Ⅲ
せめてもの抵抗として、他国国境を越えてすぐのところで布陣し、敵を待つ。
これもこれで、良心の呵責がないわけではない。他国なら戦場になってもよいなど、コヴァクスやニコレットは考えていない。
だが戦いは避けられない。だからこその、せめてもの抵抗なのだ。
斥候を放って、ソケドキア側の動きを探れば。ベラード郊外に五万の軍勢を集め、出陣の準備を整えつつあるというではないか。
「ソケドキアは、オンガルリ・リジェカも獲る気か……」
コヴァクスはつぶやく。
幕舎の中では毎日軍議が開かれ、いずれ来るソケドキア軍とどう戦うかが協議されていた。
いま我が軍、ドラゴン騎士団と赤い兵団あわせて三万である。それが、オンガルリ・リジェカの出せる軍勢のせいぜいなのだ。守備兵も残さねばならぬため、これ以上集めれば国の守りが手薄になってしまう。
もし、ソケドキア軍はドラゴン騎士団を打ち破れば、勢いにのってリジェカ・オンガルリにも乗り込み、征服することは火を見るよりも明らかだ。
西方の備えに歴戦の勇士イギィプトマイオスを配するのが、ソケドキアがリジェカ・オンガルリを狙っているなによりの証しだった。どうでもよければ、二線級の部将を配し、睨みを利かせる程度に済ませるだろうから。
なぜ西方にさほど興味を抱かぬシァンドロスがリジェカ・ソケドキアを狙うのか。それは、ドラゴン騎士団がいるからだ。
シァンドロスはドラゴン騎士団を雄敵として認めている。とともに、叩き潰すべき敵とも見ている。先の、ニコレットに再びの求婚をしたのも、ドラゴン騎士団がシァンドロスと共存共栄をする気があるかどうか、探りを入れるのも目的だった。
が、蹴られた。ということは、共存共栄はできない、ということだ、とシァンドロスは思っている。ならば、ドラゴン騎士団に対してすることはただひとつ。
潰す。
後顧の憂いを絶つ。
そのために、ベラード郊外に五万の軍勢が集められているのだから。
本国からの補給とともに、イヴァンシムからの書簡も届く。
書簡を手渡され、軍議の席においてコヴァクスはニコレットやダラガナらの前でじっくりと読み込む。イヴァンシムは何かを閃いたか、それを伝えようとしているようだ。
書簡には。敵兵数、我が軍よりも多きなりしと聞き及べば。正面からの戦いを避け、策をもちいる以外に打開はできぬものと、小生小才をもって考えうるに……。
と前置きがかかれ、それからのことを読めば。
コヴァクスは思わず頷き、
「そうだ、それしかないかもしれない……」
と言った。
「小龍公殿、一体なにが書かれていたのでしょう」
ダラガナも内容が気になっている。
「うん」
ここは、下手に自分の口で言うよりもじかに読んだほうがいいだろうと、まずダラガナに書簡を手渡し。それから、ニコレットへと回し読みをする。
なるほど、と一同頷く。
「敵の数は多い。かといって退くことはできぬ。もう二度と攻め込む気にさせぬためにも、ここで勝つ以外に道はないが。イヴァンシム殿はよいことを教えてくれた」
「さすがは、赤備えの勇士でございます」
ダラガナは師とも仰ぐイヴァンシムの立案におおいに感心していた。
早速、ソケドキア軍と相対したとき、どう動くかがこまかに全軍に伝えられる。
ジェスチネにアトインビーも、イヴァンシムの策を聞き、
「よしきた。さあ、いつでも来い」
と士気を高めたものだった。
龍菲といえば、少し離れたところで、ひとり空を眺めて過ごしていた。
ベラード郊外の五万のソケドキア軍は、ついに国境に布陣するドラゴン騎士団を討伐すべく、出陣した。
イギィプトマイオスの士気は高かった。先の戦いで敗れた悔しさは、胸の中で燃え盛り膨張するばかり。
神雕王シァンドロスに勝利の報告をするために、臣下としてさらに認めてもらうために、是が非でも勝つと必勝を期していた。
ことに、ドラゴン騎士団のコヴァクスとニコレットの兄妹、そのいずれかの首を獲ると、鼻息も荒い。
「大将首を獲った者は、褒美は思いのままであるぞ。一介の兵士といえど、私がシァンドロス神雕王にとりなし、一軍を率いる部将にしてやろう」
兵卒らの士気を高めるために、イギィプトマイオスは全軍にそう触れ回った。兵卒の大部分は、新たに征服した旧ヴーゴスネア五ヵ国の者たちが新規に編入された、悪く言えば寄せ集めの軍勢であった。
イギィプトマイオスも馬鹿ではない。自軍が寄せ集めであることは心得ている。だからこそ、褒美をちらつかせて士気を高め、一体感を出すようつとめているのだ。
彼らに、
「我はソケドキア兵士である」
という自覚を植えつけねばならないのだ。
これに関して言えば、ドラゴン騎士団や赤い兵団の団結力には及ばなかった。それをどう補うかが、一番の課題であった。
進軍中でも、士気を維持するためしきりに軍鼓管楽の音を響かせ、心を鼓舞させていた。
数はこちらが多い。勝てば恩賞も思いのまま。何段階も飛び越しての昇級も、働き次第ではありうる。
ソケドキア軍の兵卒たちを被征服者からソケドキア人にさせるためとはいえ、イギィプトマイオスは厚遇をもって兵卒らを扱い、励ましていた。
それは、ソケドキアという国自体が、新興国であり。建国者は一介の兵士であった先王フィロウリョウであることが、強く影響しているのは言うまでもなかった。




