第四章 彷徨 Ⅰ
ドラゴン騎士団の残党狩りの熱気もどこへやら。
カンニバルカがイカンシの首を跳ね飛ばし、さらにその首を蹴飛ばし。一瞬にして、周囲の空気は凍りついた。ドラヴリフトの首を預かったイカンシの近習も、魂が抜けたように呆けている。
おのれ、という喚き声が響き。ドラゴン騎士団の残党に向けられていた剣が、カンニバルカに向けられた。
バゾイィーは、身も心も凍りついたように、馬上でかたまったまま動かない。あまりの事態の急変に、ついていけなかった。だがそれは、他の将卒らも同じようで、見えない幽霊に抱きしめられているかのように、ぽかんとカンニバルカを眺める者も多かった。
「王よ」
己に凍りついた視線と殺意のこもった視線が混ざり合って、そそがれているのを感じながら、朱に染まった己の姿で王に迫り、カンニバルカは咆えた。
「もうオンガルリは終わった。潔くタールコに膝を屈するしか、道はござらぬぞ!」
バゾイィーは、わなわなと震えている。
震えながらも、うすうすと、内実をさとりつつあるようだった。
(予は、イカンシにそそのかされて、国を誤まったのか……)
その通りであった。
イカンシにそそのかされて、国防の要であるドラゴン騎士団を壊滅させたのだ。これが、どういうことか。
「貴様、ふざけるな!」
と大喝し、槍を振るってカンニバルカに猛然と迫る騎士があった。これなんフェニックス騎士団の団長にして、イカンシの腹心であったウドジカであった。イカンシによく仕え、勇猛果敢な男であった。
主が討たれ、その仇を討たんと蹄の音を響かせて腹の底から轟く怒号を発し。馬上よりカンニバルカの顔面めがけて槍を繰り出す。
が、カンニバルカ、かっと目を見開いたかと思えば、鼻先まで迫った槍の穂先を流れるようにしてさらりとかわしざま。空いた左手でその槍の柄をつかむや、
「えい!」
怒号を発しながら槍を力任せに引っ張り、ウドジカを馬上より引き摺り落とした。
わっと声を上げて地に叩きつけられたウドジカは、体勢を立て直そうと慌てて起き上がろうとするが。眼前に剣が閃いたかと思う間もない。その顔面に剣が叩きつけられて、血を撒き散らしながらのけぞり、仰向けにたおれて。そのまま動かなかった。
あっという間に、ドラヴリフト、イカンシ、ウドジカといった、内情はともかくとして、オンガルリの主要人物が三人も死んだ。それも、同国人同士で戦った果てに。
王は、衝撃が心を強く打ちつけ。それまで中天に昇っていた太陽が、真っ逆さまに地上に墜落したような気持ちだった。
もはやカンニバルカが、どういった人物なのかという疑問も、心の外に吹っ飛ばされていた。
「静まれ!」
得体の知れぬ恐怖が周囲を駆け巡り。恐慌をきたした者が続出し、その場から逃げ出そうとしていた。彼らがさっきまで討っていたドラゴン騎士団の残党のように。
カンニバルカは、それらに「静まれ!」と叫ぶ。
そうすればほとんどの者が死神に襟首をつかまれたかのように、走るのをやめてその場にへたりこむ。
その中には、王の姿もあった。
カンニバルカはイカンシの首をにらみつけ。
「馬鹿一人のために、よくぞここまで国をめちゃめちゃにしたものだ。王よ、イカンシが国を売ろうとしていたのを、ご存知なかったか!」
「……」
バゾイィー、言葉もない。やはりそうだったのか、という不安が的中して、凍りついた心は砕けそうだった。
が、それでも気力を振り絞って。
「それならば、なぜうぬは予にそのことを告げなんだのか。なぜ今になって、イカンシを討った」
と返すも、カンニバルカは不敵な笑みを浮かべ。
「王がいつイカンシの正体を見抜くか、待っていたのよ。また、イカンシのような男はオレも嫌いだが、恩人ではある。ある程度役に立ってやってから、討ったのよ」
と言い、さらに。
「奸臣を見抜けず、忠臣を退ける。ふん、国が滅ぶときの、君主の振る舞いそのままだな」
と言うと、大槌で頭を打たれた衝撃だった。王は、強い衝撃を立て続けに受け、崩れるように馬から降りて、へたりこんだ。
このとき、カンニバルカが容貌魁偉ながら教養のある人物であることをさりげに見抜いた者もいないではなかった。教養のない、粗野な人物であるなら、そんなことを言うことはまずない。
王は衝撃のあまり気付くことはなかったが。
なにより、王の五万の軍勢は、たった一人の人物によって身動きを封じられてしまっていた。
遠慮なく、カンニバルカは続けた。
「その器では、ドラゴン騎士団があろうとも、いずれタールコに負けるは必定。いっそ、早々に神美帝に使者を送り、従属の誓いを立てるより生き残る道はなし。いかがか!」
オンガルリの歴史がはじまって以来、ここまで堂々と王にタールコに屈せよと言った人物はいないであろう。だがそういう人物が出ることをゆるしてしまうということは、確かにオンガルリは終わろうとしていることなのかもしれない。
バゾイィーの目から、とめどもなく涙が溢れた。もはや一国の王ではなく、ひとりの男の姿であった。
だが不思議なことに、なぜか胆も据わり。無言で愛馬にまたがったかと思うと、ドラヴリフトの首とカンニバルカを交互にひと睨みして。
「このたびのことで、予の器がよくわかった。潔く、この首をドラグセルクセスにくれてやろう」
予期せぬ言葉に、将卒らは声を失った。カンニバルカに好き放題言われてすごすご都に帰るのかと思っていただけに。
「ほう」
カンニバルカは、少し見直したようにバゾイィーを見た。バゾイィーは、もはやカンニバルカなど眼中になさそうであった。それどころか拳を振り上げ、
「だが、ただではやらぬ。予にも誇りがある。タールコの者どもを道連れにして、今ごろ地獄の番犬になっているであろうドラヴリフトの餌にしてくれよう。カンニバルカとやら」
「なんじゃ」
「うぬは只者でないと見た。あとのことは、頼んだぞ」
カンニバルカは、王の言葉を聞き、不敵に笑った。
「王よ、あんたは存外面白い御仁だな」
「なんの、お前には負ける」
涙で濡れた顔を天に向け、バゾイィーは高笑いした。乾いた中にもほどよい湿り気をおびた、なんともいえぬ哀愁と潔さのこもった笑い声であった。
「ああ、そうそう。ドラゴンスレイヤーの称号を、そなたに与える。これが、お前にしてやれる、王としてのささやかな心遣いじゃ」
「痛み入る」
この時になって、カンニバルカは王にうやうやしく一礼した。
王はいつしかすっきりした顔になり、周囲を見渡す。
「命が惜しいものは好きにせよ。物好きは、予に続け」
そういうと、馬を返してどこへともなく駆けてゆき。あとに「物好き」な者たちが、少数ながら続く。それらの中から、王の命を受けて、バゾイィーからの挑戦状をドラグセルクセスに叩きつけるための使者がさらに馬を飛ばして、王に先んじてタールコに向かった。
遠ざかる王の影を見送り、カンニバルカも周囲を見渡し。
「これより、ドラゴンスレイヤー・カンニバルカが陣頭指揮をとる。不満のある者は立ち去れ! なんなら、剣をもって訴えるのもよいぞ」
雷鳴のような怒号であった。
一体、このカンニバルカは何者なのであろう。
オンガルリ王国は、柱を立て続けに失った。敵国からの侵攻をふせぎ、国も安定し内乱もなかった。にもかかわらず、わずかな人間の心があらぬ動きを示したことにより、国は背骨を抜き取られた。
意気軒昂に敵国の侵攻を防ぎ、反逆者を討ち取った五万の軍勢はいまや、腑抜けた烏合の衆となりはてていた。
いかに人を集めようとも、集まって何をなすか、という意義や大義がなくば、烏合の衆でしかなかった。今の彼らは、まさにそうだった。
となれば、王にあとのことを託されたカンニバルカに従うしかないであろうが。ドラゴンスレイヤーのこの男は、オンガルリ王国をどうするつもりであろうか。
「まったく、面倒をすべてオレに押し付けて、王もいい気なものだ」
とつぶやいたかと思えば、大きく息を吐き。
「全員整列!」
と天地揺らす雷鳴のような大喝を発し、軍勢に電撃ほとばしるような衝撃が走ったか、馬蹄に足音地に響き、鎧兜のゆれる金属音も撒き散らしながら、カンニバルカの前に整列し、馬上の者は下馬した。
その内意はともかく、軍勢の指揮全権は完全にカンニバルカがにぎって。誰もそれに逆らえなかった。
武勇も教養もあり、軍隊を引っ張る力もある。かつて流浪の旅人であったはずのこの男、軍人として軍隊を率いたことがあるのか。それも相当の。そうでなくば、どうして王の軍勢が、言うことを聞いてしまうのか。
「まずは、都にかえるぞ! あとはそれからだ!」
「は、ははぁ!」
戸惑い気味に、全軍返事をし、隊列を整えルカベストに帰還する。その先頭に、誇らしげにカンニバルカ。
そして、捕虜となったドラゴン騎士団の騎士たちも、力なく歩みながらその隊列の中にくわわって、ともに王都ルカベストに向かっていた。
陽は雲をも紅に染めながら、反対側に見える月に光を当てつつ、そびえ立つ山々に沈もうとしていた。
夕陽照らすどこかの峠道。三騎、影をながく落としながら蹄の音もけたたましく駆けている。
まさか王の軍勢に異変が生じたなど知らぬコヴァクスにニコレット、ソシエタスは遮二無二に馬を駆けさせ、できるだけ遠くへ逃げようとしていた。
軍としての統率はなくなり、ドラゴン騎士団は支離滅裂。それでも百騎ほどは着いてきてくれるかと思っていたが……。
気がつけば、誰も着いてきていなかった。
追っ手がないのを確認して、すこし速度を緩める。
「誰もいないのか」
コヴァクスはうめくようにつぶやいた。今そばにいるのは、妹のニコレットにその副官ソシエタス。それぞれの背中にしがみつく、クネクトヴァにカトゥカの五人だった。
さっきまで一万を越える人数の中にいたというのに。
「小龍公、追っ手はまいたようです。馬を休めましょう」
駄馬ではない。それぞれが良馬を愛馬としているが、休みなく走らせていたので、息も上がり力強さがない。これ以上無理をすれば、つぶれてしまう。
それは人間も同じだった。コヴァクスはもちろん、ニコレットにソシエタスも、追っ手をまいたと思った途端にどっと疲れが溢れたのだから、クネクトヴァとカトゥカの疲労おして知るべきであった。
手綱を引き、ニコレットは馬を止めた。背中にしがみつくカトゥカは全身でぶるぶる震えていた。いかにおてんばであろうと、突如戦乱に巻き込まれれば、有無を言わさぬ恐怖に身を縛られるのはどうしようもない。
それはソシエタスの背中にしがみつくクネクトヴァも同じだった。
やむをえん、とコヴァクスも馬を止めて下馬した。
辺りを見回す。どこをどう走ったか、覚えておらず、周辺に見える山野の様子から位置を探ろうとしたが、咄嗟にはわからなかった。
どっかと、腰を下ろし、肩で息をし。深くため息をついた。
ソシエタスとニコレットは、背中にしがみついていたクネクトヴァとカトゥカの手を取りながら、馬から降ろしてやってから、自分が降りた。
疲労に襲われながらも、地べたに座り込みうつむくコヴァクスを、四人はいたたまれなさそうに見つめた。
(なぜこんなことに)
問答無用の怒りと哀しみが、コヴァクスの肩をぶるぶると強く震わせて、拳はかたく握りしめられていた。
つい先日まで、ドラゴン騎士団は王国のために命がけで戦ってきたというのに。その報いが、反逆者として討伐されることとなろうとは。
ニコレットも、ふっと崩れて膝と手を地に着け四つんばいになり、身体中を震わせていた。色違いの瞳から、涙が溢れ出て、地に落ちしみこんでゆく。
最年長のソシエタスはさすがに落ち着いたものだが、それでも衝撃は隠せなくて。沈む夕陽に目をやり、拳を握りしめて、心で夕陽に何かを訴えかけているようだった。
クネクトヴァとカトゥカは、呆然と立ちすくんで、へなへなと地べたにへたりこんだ。
ドラゴン騎士団の小龍公コヴァクス、小龍公女ニコレットといえば、オンガルリの若者の憧れのまとであり。少年はコヴァクスを、少女はニコレットを慕い、その活躍を聞くたびに、我が事のように胸を弾ませていたものであったし。
幼い子どもたちは、コヴァクス、ニコレットを勝手に名乗って戦争ごっこもしていたし。ふたりの活躍を尾ひれをつけて、これまた己を誇るように語り合ったものだった。
その小龍公と小龍公女が、見るも不憫な、いやもっと率直に言って無様な姿をさらし、涙を流している。
こんな姿、今まで考えたこともなかった。
なにより、ドラゴン騎士団が、大龍公ドラヴリフトが反逆者として王から討たれようとするなど、もっと夢にも思わなかった。
(オンガルリ王国は、どうなってしまったのだろう)
と思っても、十四の少年少女にわかるはずもない。ただひとつわかることがあれば、今日を境に国が変わり、これからどうなるのかわからない、ということであった。
三頭の馬は、寄り添い合って静かに疲れを癒していた。
「やむをえません。今夜はここで野宿をし、明日新たな行き先を求めることにしましょう」
追っ手の心配もあるが、馬も人も疲れきっているためこれ以上進むのは無理だったが。幸い身を隠す森がそばにあるので、そこに身を潜め夜を明かそうとソシエタスは言った。
コヴァクスとニコレットは力なくソシエタスの言葉に従い、馬の手綱をとって森の中に入り。そこでまたへたりこんでしまった。
まるで魂が抜けているようだ。
(大龍公のご遺志を託されているというのに……)
兄と妹の様子を見て、ソシエタスは内心穏やかではない。それに、なによりも現実的な問題もあった。
秋も深まり冬が刻一刻と迫りつつある。我が身を包む夜気のなんと冷たいことか。この天地には春夏秋冬の四季があり、冬の寒さは肌を裂き空は灰色に染まり白い雪を降らせて地を埋める。
うかうかしていれば、王に討たれずとも雪に埋もれて凍え死ぬことすら考えられた。
(まずは、冬をどう越えるかが問題だ)
大龍公ドラヴリフトの遺志は一朝一夕に成し遂げられるものではない。おそらく十年は覚悟せねばなるまい。遺志の完遂を思えば、自然という困難にも打ち克たねばならなかった。
「これが敗残者というものか」
ドラゴン騎士団ありしころ、いかに冬を越えるかなどどこまで真剣に考えたかわからない。むしろ冬は休養の季節であった。
いかにタールコがその野心を燃やそうとも冬に降り積もる雪までは溶かすことかなわず。主要道もまた雪に閉ざされているため、進軍を控えて春の訪れをまたねばならなかった。
冬の雪は国を閉ざすとともに、外敵よりの侵攻を防ぐ天然の防壁でもあった。その間、自身の鍛錬に専念できるし。なにより暖炉の燃える火を眺めながら、暖かいスープを飲み、窓越しに見える白雪の銀世界を眺めながら、雪化粧した山野を愛でながら、春の息吹を心待ちにしていたものだった。
ドラゴン騎士団があったころは、それができた。
それらを失った今、天然の防壁が、自分たちを生き埋めにしようとしている、と考えただけでも恐ろしい。
まさに敗残者にとっては、敗残者になった瞬間から、人はおろか自然までが敵に回るのだ。
思えば、恵まれていた。
色々と考えるが、やはりソシエタス自身も大変疲れている。ふう、とため息をつき、戸惑うクネクトヴァとカトゥカをともない森の中に入り。
やがて身を縮めて、夜闇に包まれて眠りをむさぼった。