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第三十二章 報復と反逆 Ⅳ

 突然のことに、止める間もなかった。

 エスマーイールは胸に剣を貫き、鮮血に染まりながらたおれてゆく。

 獅子皇ムスタファーはエスマーイールを抱きかかえるが、剣は心臓を貫いており。即死だった。

「エスマーイール、エスマーイール!」

 何度もその名を叫んだが、返事はない。死したエスマーイールの目には、涙が溢れていた。

「エスマーイール……」

 獅子皇ムスタファーは人目もはばからず、涙した。

 周囲は鎮痛な面持ちで、これを眺めていたが。

「ええい、侍女ひとりになんという未練がましい」

 と言うのはイルゥヴァンであった。

「ここは、よくぞ死んでくれたというべきであった。なのに、獅子皇はその死をひどく悲しんでおられる。これは、マルドーラ様やガーヌルグ殿が正しかった」

「うぬ、何を言う!」

 イムプルーツァは帯剣のつかに手をかけ、イルゥヴァンに詰め寄った。彼の侍女パルヴィーンは口を手で覆い、この悲劇に涙していた。

 反乱を知らせた騎士も他の臣下もイルゥヴァンと同じ考えのようで、獅子皇ムスタファーに冷たい視線を送っている。

 沈黙から一転、殺気が立ち込める。一触即発の雰囲気であった。

「イムプルーツァ、お前の忠誠は見上げたものだ。しかし、ものごとにはことわりというものがある」

 獅子皇ムスタファーを前にして、イルゥヴァンは臆せず批判的なことを言った。もはや、忠誠などなかった。

「オレは、マルドーラ様につくぞ。ソケドキアも憎いが、こうなっては一旦エグハダァナに引き返し、マルドーラ様に指揮をとっていただこう」

「貴様、獅子皇を捨てるというのか」

「そうだ。ふしだらな獅子皇などに誓う忠誠はない!」

 イルゥヴァンは獅子皇ムスタファーに失望してしまっていた。よき皇子でありよき皇帝であると思っていたが、侍女エスマーイールへの入れ込みようを知って、その忠誠も吹き飛んだ。

 だから本人を前にして、堂々と批判をすることができた。獅子皇ムスタファー、イムプルーツァから見れば反逆だが。イルゥヴァンはそう思っていない。

 獅子皇ムスタファーと言えば、エスマーイールのなきがらを抱きかかえて、呆然としている。魂が抜け落ちたように。

 イルゥヴァンが自分を批判するのも、耳に入らない。

(堕ちたものよ)

 イルゥヴァンは軽蔑の眼差しを獅子皇ムスタファーとエスマーイールのなきがらに送った。

「ゆくぞ!」

 イルゥヴァンは回れ右し、他の臣下とともにどこかへとゆく。ゆくぞ、とはどこへゆくのだろうか。

「全軍に伝えよ。都エグハダァナにて弟君と宰相、獅子皇ご乱心のゆえにやむなく立ち上がったと」

 イルゥヴァンや他の臣下らは事情を部下に話し、これを全軍に伝えるよう命じた。そうすれば、案の定軍勢はざわつきやや混乱をきたした。

「獅子皇が侍女に入れ込んでいた、だと」

「己の立場もわきまえずに、そのようなお人であったか」

「侍女にそそのかされて、愛欲におぼれてしまったのだろう」

 などなど、事情が伝えられると兵士たちは口々に獅子皇ムスタファーに失望し批判をはじめた。

 そして挙兵したマルドーラやガーヌルグこそが正しい、という結論にいたった。となれば……。

「こうなれば是非もない。ふしだらな獅子皇など捨て、一旦はエグハダァナに引き返すぞ」

 との号令がくだり。アーベラの要塞を囲んでいた十万の軍勢は帰り支度をはじめた。

 兵士たちもソケドキアは憎いが、ふしだらな獅子皇の下で戦うのはもっといやだった。

 タールコ軍の様子に変化があったのは、城砦の三階からも見ることが出来た。シァンドロスは興味津々とそれを眺めている。

「これは、いかがいたしたのでしょう」

 そばにひかえるペーハスティルオーンは不思議がった。要塞を取り囲む殺気は潜まって、タールコ軍は帰り支度をしているではないか。

 一体タールコ軍に、タールコに何があったのだろう。

「さあ、知らん。だが、やはり神はオレに味方したのだ。加護を与えたのだ」

 確信をもって、シァンドロスは言った。運試しに勝った、とさらに己の強運を信じるようになった。

 わずか一万の兵で要塞に立て篭もって、十万の軍勢に包囲されてしまえば、勝敗は明らかであるが。

 タールコ軍が追撃の疲れを癒すため、一晩休養をとり。その間に何かの事件があって、引き返そうとしている。

 まさに端から見れば、神がシァンドロスに味方しているように見えるだろう。

「いかがなさいます。要塞から打って出ますか」

「いや、それには及ばん。このまま帰してやれ」

 さすがに十倍の軍勢を相手に戦いを挑むほどシァンドロスも蛮勇ではない。それに、この絶対的に有利な状況を捨てるようなことがタールコに起こったとなれば、急がずともことはソケドキア有利になってゆくだろう。

 シァンドロスにはそんな確信があった。

 多くのかがり火が焚かれ、要塞の周囲は昼のように明るかった。その中で、タールコの騎士や兵士たちは仲間たちと雑談をしながら、帰り支度をしていた。

 それも、かなり真剣な顔つきで。これはタールコ国内に大きな事変が起こったのかもしれない。そのため、タールコ軍は引き返すのを余儀なくされているようだ、とシァンドロスは見た。

「これから面白くなってくるぞ」

 シァンドロスは夜空を見上げて、自分に言い聞かせるように言った。

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