第三十一章 攻防 Ⅳ
「少しでも神雕王のお逃げする時間を稼ぐのだ!」
ガッリアスネスは叫びながら、追う獅子皇ムスタファーの軍勢に突っ込んでいった。
カンニバルカも大剣をひっさげ、ガッリアスネスに並んで突っ込んでゆく。それに続く兵は五千あるかないかだった。
タールコ、獅子皇ムスタファーらが憎しみをこめて蛮族と呼ぶソケドキアにも、人物はいるもので。彼らはシァンドロスのために命を賭けて戦おうとしていた。
だが数が違った。
獅子皇ムスタファーやイムプルーツァ、イルゥヴァンらタールコの勇士が引き連れる軍勢はすぐ後ろに二万おり。そのしばらく後ろから、八万からの軍勢が軍靴、馬蹄を響かせて、空をも埋めるほど土煙を上げて迫ってきている。
だがガッリアスネスは怖れなかった。自分には、ソケドキア神雕王シァンドロスに仕える忠臣であるという誇りがあった。その誇りは、死の恐怖をも払いのけていた。
「馬鹿者め」
ヤッシカッズは馬首を返し、一応腰に帯びている剣を抜き弟子のもとまで駆け寄ろうとした。彼は文官である、戦場では何の役にも立たない。それでも、弟子を思い我知らず剣を掲げて、しんがりの軍勢にくわわろうとしていた。
「おう、蛮族にも勇者がいるか。望みどおり地獄へ送ってやろう!」
獅子皇ムスタファーはイムプルーツァに一万を率いさせ、ガッリアスネス、カンニバルカ率いるソケドキア軍のしんがりに当たらせ。自身は一万を率い、シァンドロスを追い続けた。
ガッリアスネスは、肝心の獅子皇ムスタファーが自分たちを無視し、臣下を差し向けようとしているのを見て、慌てて獅子皇の真正面に立とうとするが。
それよりも早く、イムプルーツァ率いる一万がしんがりの軍勢にぶつかった。
「ひとりも生きてかえすな!」
イムプルーツァは苛烈な号令をくだし、自らも剣を振るいソケドキア兵を薙ぎ倒してゆく。騎士や兵士ひとりひとりも、ソケドキアのしんがり兵を討ちまくった。
が、それに対してもしんがりの軍勢はよく戦った。ことに、ガッリアスネスにカンニバルカゆくところ、竜巻が巻き起こったかのようにタールコ兵は吹き飛ばされてゆく。
ことにカンニバルカの大剣、まさに竜巻のようで立ちはだかるタールコ兵は木っ端微塵に打ち砕かれてゆく。
「この裏切り者、カンニバルカの首を獲る勇者はおらんか!」
など、挑発的なことを叫び、敵兵を薙ぎ倒し、吹き飛ばしてゆく。
その猛勇、数の不利を多少でも跳ね返し。カンニバルカの前は、切り開かれたように空いてゆく。
ガッリアスネスもカンニバルカの猛勇に勇気を分け与えられた思いで、勇戦していた。
「うむ、さすがソケドキアの勇者よ。やるではないか」
イムプルーツァは手勢が押されていることを見て、多少の感心はしめす。だが、それで憎しみが萎えるわけでもなかった。
「我こそはタールコのイムプルーツァ、ソケドキアに勇者あるならばこの首獲ってみないか」
と叫んで剣を振るい駆け回った。これを聞いたガッリアスネス、ならば、いざ、とイムプルーツァに立ち向かっていった。
「我が名はガッリアスネス。イムプルーツァとやら、ソケドキアの底意地というものを見せてやろう」
「おう、見せてみよ」
激しく刃ぶつかり合い、イムプルーツァとガッリアスネスはたちまちのうちに十数合渡り合ったが、互角の戦い、いずれに勝利あるか。
カンニバルカも大将、イムプルーツァの首を狙っていたが先を越されたため、こちらは雑魚を相手にひたすら大剣を血に濡らしていった。
「ガッリアスネス、ならぬ、逃げよ!」
イムプルーツァとの一騎打ちの最中にそう叫ぶのは、師匠のヤッシカッズであった。なれぬ剣を振るいどうにか討たれずにはいるものの。身体中傷だらけで、タールコ兵からひたすら逃げ回りながら、弟子に逃げるよううながしていた。
「師匠、口出し無用!」
ガッリアスネスは聞く耳を持たない。彼はヤッシカッズの弟子であるとともに、ソケドキアの勇者という誇りがあった。雄敵と渡り合っているのを、途中でやめられようか。
激しく剣を交えることさらに十数合。互角の戦いを繰り広げている。だがヤッシカッズは気が気でなかった。
(聞き分けのない奴め)
できることなら力づくでもやめさせたいが、残念ながらヤッシカッズは文筆の士であり、戦場の勇士ではない。こうして戦場の真っ只中に飛び込んだだけでも、もちうる勇気を振り絞ってのことであった。
だがそれが命取りであった。やはり文筆の士が戦場にいたところで、何にもならぬわけであって。弟子ガッリアスネスに、逃げよと呼びかけているところを、タールコ兵の剣に襲われ、慌てて自分の剣で跳ね返そうとしたが。剣は空振りして、タールコ兵の剣が肩を斬りつけた。赤い血が溢れた。
「しまった」
急いで逃げようとしたが、肩を斬られてうまく力がはいらず、手綱を操れない。これが歴戦の勇士ならば片手、あるいは足だけでも馬を御せるものだが。文筆の士であるヤッシカッズには、できないことだった。
「師匠!」
ガッリアスネスはヤッシカッズの危機を見て、イムプルーツァとの一騎打ちを放り投げて急いでそのもとへ駆けつけてかばう。
「逃げるか、卑怯者めッ!」
イムプルーツァは逃がさじとガッリアスネスを追った。そこへ駆けつけたのはカンニバルカであった。
「わしの方がもっと面白いぞ!」
大剣唸りを上げてイムプルーツァに迫る。
「おう、お前は裏切り者のカンニバルカ!」
イムプルーツァはガッリアスネスを相手に戦うときよりも怒りと憎しみをこめて、カンニバルカを見据えた。
唸る大剣を受け流し、すかさず刺突を送る。だがカンニバルカは大剣でそれを弾き返す。
剣を弾き返されても、ふんばり。また剣を叩き込む。その戦い十数合に及ぶ。
「うむ、このしんがりは無意味だったか……」
ガッリアスネスは師匠のヤッシカッズをかばいながら、周囲を見渡す。
少しでもシァンドロスの逃げる時間を稼ぐためと、しんがりに立ったのはよいが。獅子皇ムスタファーは腹心イムプルーツァにしんがりを任せて、自身はシァンドロスを追った。
後続からはさらにタールコ軍が迫り、もう目と鼻の先だ。このままでは、しんがりの手勢は全滅だ。
「やむをえぬ」
ガッリアスネスは唇を噛みしめ、
「退け、退け!」
との号令をくだした。
「なに、退くのか」
カンニバルカは舌打ちし、イムプルーツァとの一騎打ちをやめ、さっさと逃げ出す。いかに己だけが猛勇を奮っても、ひとりだけ頑張ったところで意味はない。
「おのれ、ソケドキアの蛮族どもは逃げてばかりか!」
タールコへの憎しみがこもっているイムプルーツァは立て続けに一騎打ちの相手が逃げ出したことで罵声を浴びせ、逃げるソケドキア兵を追いつつ、打ち倒してゆく。
そうするうちに、後続の軍勢も加わり、しんがりの手勢はその怒涛に飲み込まれるようにして取り囲まれ。一気に数を減らしてゆく。
ガッリアスネスにカンニバルカは必死になって血路を切り開き、逃げ出そうとする。
だがいかに血路を切り開こうとも、怒涛のようなタールコ軍に飲み込まれて、活路を切り開けそうになかった。
「もはやこれまでか」
ガッリアスネスとヤッシカッズは覚悟を決めた。が、カンニバルカはそうではなかった。
「死ぬのはつまらんぞ」
と大剣を振るいまくって立ちはだかるタールコ兵を薙ぎ倒しに薙ぎ倒してゆく。
そしてついには、カンニバルカの前に立ちはだかる者はなく。一気にこの乱戦から脱出する。
それに続いてガッリアスネスとヤッシカッズらしんがりの手勢が脱出をはかった。
「雑魚など捨て置け! シァンドロスを追うぞ!」
イムプルーツァはしんがりの手勢に戦意がなくなったのを察するとそれを捨てて、シァンドロスを追撃しようとする。
イムプルーツァの判断とカンニバルカの働きによってしんがりの手勢はどうにか全滅を免れたものの、その数は半分以上減って、千五百あるかないかだった。
シァンドロスは逃げる。獅子皇ムスタファーは執拗に追う。
その距離はなかなか縮まらない。
「逃がすな、なんとしてもシァンドロスを討て!」
獅子皇ムスタファーは叫んだ。帝位を継いで早々に攻め込まれたばかりか、重要都市バヴァロンを破壊され多くの民衆が殺戮された憎しみは増すばかり。
なんとしてもシァンドロスの首を獲らねば、この憎しみはおさまらなかった。
追われるシァンドロスは後ろを振り返り、立ち込める土煙を見て、
「しつこい奴らよ」
とひとりごちる。不敵な笑みは消えていなかった。むしろ、この危機さえ楽しんでいるかのようだった。
「さあ天上の神々よ、このシァンドロスをどうする!」
天に向かって叫んだ。己に神の加護があれば助かり、なければ……。
この逃亡の最中にあって、シァンドロスは不敵な笑みを浮かべ、己の運を試しているようだった。
もう少し駆ければ、アーベラという要塞だ。バヴァロン入りの前にタールコから奪い取ったものだが、そこで篭城し、本国からの救援を待つことを考えていた。
ゴッズはよく駆けた。
将卒もよく着いてきていた。が、脱落がなかったわけではなく、シァンドロスに付き従いともに逃走する軍勢の数は五万ほどにまで減っていた。
駆けるうちにアーベラの要塞が見えてきて、最後の一駆けとゴッズはさらに速度を増した。
アーベラの要塞は中央に三階建ての城砦が築かれ、その周辺に二重の壁が築かれ、さらにその外側に空堀がほられ回りこんでいるつくりだった。
「開門、開門!」
要塞には五百ほどのソケドキア兵がいたが。シァンドロスがタールコ軍に追われているのを見て、急いで要塞の門を開けた。
ゴッズは主を乗せ、飛び込むように門の中に駆け込んだ。それに続いて、ペーハスティルオーンにバルバロネら近しい臣下らがどっと要塞に駆け込んだ。
しかし、いつまでも門を開けるわけにはいかなかった。タールコ軍が迫っている。
要塞、といってもさほど大きいものではなく、いっぱいに詰め込んでも一万がせいぜいだった。のこりはやむなく締め出し、本国まで逃げるように言った。
その通り、入りきらなかった分はさらに駆けて本国まで逃げなければならなかった。
獅子皇ムスタファーは本国へ逃れようとする分を捨て置き、アーベラの要塞を取り囲んだ。
一気に攻め立てようとしたが、追撃で兵士たちも疲れている。ここは一晩休ませ。明朝から一斉攻撃をすることにした。
夜の帳が落ちて、かがり火が炊かれる。
イムプルーツァ率いる後続も加わって。かがり火はさらに数を増し。夜を昼にするほどにアーベラの要塞周辺は明るく。
要塞は闇からすくい出されるように、かがり火に照らされてその姿を浮かび上がらせていた。
要塞にいるシァンドロスは城砦の三階の窓から、かがり火を見下ろし。
「さて、神はオレをどうするだろう」
と夜空の月に向かってうそぶいていた。