第三十一章 攻防 Ⅰ
オンガルリ・リジェカ両国にタールコよりの使者が赴き。ソケドキア軍タールコの領土をおかしたりならば、約定どおり両国軍勢を派遣しソケドキア西方へ向かうべし。との獅子皇ムスタファーの意向を伝えた。
「やはりシァンドロスは攻めたか」
おおいなる野心を抱く男である。現状で満足するはずもなかった。
オンガルリ・リジェカの二ヶ国では、まだ復興がはじまったばかりなのに、という不満の声も出たが。
タールコと不可侵条約を結ぶ際、ソケドキアが攻めた場合は二ヶ国、ドラゴン騎士団、ソケドキアの西方に攻め入るべし、との条件を呑んだ。
条件を呑んだ以上は、ゆかねばなるまい。
オンガルリ女王ヴァハルラに、リジェカ国王モルテンセンは、約定である以上やむなしと、ドラゴン騎士団に出撃を命じた。
コヴァクスとニコレットに否やはなかった。
まずニコレットがオンガルリでのドラゴン騎士団の軍勢をまとめ、リジェカにてコヴァクスの率いるリジェカドラゴン騎士団と合流した。そこから、ソケドキアに攻め入った。
両国のドラゴン騎士団の軍勢、合わせて三万であった。オンガルリが二万、リジェカが一万である。この軍勢を出撃させるため、国は復興の最中ながら多大な負担を強いられることになったが、やむをえなかった。
山野を越えて進軍するオンガルリ・リジェカのドラゴン騎士団。そこに赤い兵団も加わっている。
出撃前、リジェカ王城にて軍議がひらかれたが。その席においてイヴァンシムは、
「タールコも強国ならばたとえ敗れても多大な犠牲を出すこともありますまい。我が軍は、国境を少し越えて、ソケドキアに睨みを利かせながら様子を見守る程度でよろしいのでは」
との進言を受け、ドラゴン騎士団と赤い兵団は国境を越える以上のことはせず、遠くの戦況をうかがうことにしたのだ。
そしてそのとおり、かつてダメドとの国境であったソケドキアの国境の山を越えて、その山のふもとで布陣しソケドキアに睨みを利かせた。
このことは、ソケドキア西方の守りを任されているべラードのイギィプトマイオスにも伝えられた。
イギィプトマイオスもすぐに軍備をととのえ、ドラゴン騎士団の布陣する国境地帯の山のふもとの手前まで来たが。相手が動かないのを見て、イギィプトマイオスも無理はせず、睨み合いをすることとなった。
「無駄なことを。ドラゴン騎士団もご苦労なことだ」
シァンドロスの秘策を知るイギィプトマイオスは、今ごろタールコ軍はどうしているか、ということを想像し、ほくそ笑む。
総力戦で戦っていたタールコ軍だが、シァンドロスの目的は他にあった。もうしばらくすれば、バヴァロン陥落の朗報が入ってくるだろう、とワインで喉をうるおしながら、ドラゴン騎士団との睨み合いの日々を過ごした。
一方のドラゴン騎士団や赤い兵団は、イギィプトマイオス率いるソケドキア軍と睨み合いながら、斥候を放って獅子皇ムスタファーとシァンドロスの戦いがどうなっているのか様子を探らせ、その報せを緊張の面持ちで待っていた。
やがて、バヴァロンの陥落とガルオデオンの戦いの様子が双方に伝えられ。イギィプトマイオスは手を叩いて喜び、
「さすが神雕王よ」
と部将たちとシァンドロスを賛美した。それとは対照的に、ドラゴン騎士団には悪い報せであった。
「策にはまって、バヴァロンを落とされたのか。獅子皇は、どうするか……」
コヴァクスとニコレットは赤い兵団のダラガナも交えて軍議をするも。良い案はすぐに浮かばないものである。
そもそも、約定がなければ軍勢を率い国境を越えることなどなかったのである。本来不必要な戦いなのである。
だから国境を越え、それ以上は踏み込まずに睨みを利かせる程度にとどめているのだ。
本音を言えば、本国に帰って、専守防衛につとめたかった。
そんなときに、タールコからの早馬が来て獅子皇ムスタファーの意向を伝えた。
「ドラゴン騎士団、ソケドキアと必ず一戦を交え領土を獲るべし。さればシァンドロスやむなく引き返さんであろう」
使者は獅子皇ムスタファーの書簡を読み上げた。
獅子皇ムスタファーはガルオデオンにてソケドキア軍に置き去りにされる格好になり。やむなくバヴァロン奪還に向かったという。
それに合わせて、ドラゴン騎士団はソケドキアを徹して攻めよ、というのである。
(これは、まるで臣下に向けてはなつものの言いようではないか)
不可侵条約を結び、その条件に事があれば軍を出すという約定も結んだ。そこへ、念を押されるというのは面白いものではない。
また、早馬で駆けつけた使者、名をラハントという者が軍監としてドラゴン騎士団の戦いぶりを監督するというではないか。
(獅子皇はよほど焦っているのね)
とニコレットは見た。
「以上が、獅子皇の意向でございます。私は軍監として、ドラゴン騎士団に同行させていただきますので、どうぞよろしく……」
ラハントは跪きながらも、しっかとコヴァクスとニコレットの目を見て言った。このラハント、精悍な顔立ちをし、戦場に出れば一騎当千の働きをすること容易に想像できた。
そのような者でなければ、他国において軍監をつとめることもできまい。
「獅子皇の言わんとすること、わからんでもない。しかし、我らは獅子皇の臣下ではない。そのことを勘違いされては困る」
コヴァクスは獅子皇ムスタファーが念を押したことが不服だった。バヴァロンを落とされたのは獅子皇ムスタファーの責任であり、ドラゴン騎士団のせいではない。
約束どおり軍を出し、ソケドキアを牽制しているだけでも感謝してもらわねばならないのだが、皇帝そのものの態度でソケドキアの領土を獲れ、など。獲った領土は分け与える、などとどこまで皇帝ぶるつもりか。
ラハントはコヴァクスに言われ、やや顔をしかめて、
「しかしながら、タールコの危機はオンガルリ・リジェカの危機でもあるのでは。ここは、獅子皇の言われるとおりになされれば、新たな領土も得られ、またタールコとの絆も堅固なものとなり永きにわたる三国同盟がなされるでござろう」
と言った。
どうしても、ドラゴン騎士団に実戦をさせたいと、引き下がらない。
「ドラゴン騎士団は他から奪うための戦いはせぬ。父であり、先代団長であるドラヴリフトは、自らタールコに攻め入ったことがあるか!」
コヴァクスは叫んだ。ラハントは、黙ってその言葉を聞いて。ニコレットにダラガナも黙って、ことの成り行きを見守っていた。
「ならば、いま対峙しているソケドキア軍が攻めれば戦うのでござるな」
「言うまでもない。降りかかる火の粉は、払わねばならん」
「わかりました……」
ラハントはコヴァクスと必要以上に争うのをよしとせず、やむなく引き下がった。内心では、対峙するソケドキア軍に攻め込んでほしがっているのは言うまでもない。
こうして、ドラゴン騎士団とソケドキア軍の睨み合いはしばらく続いた。
何事もない日が続けば、人の心は退屈をおぼえるもの。ことに自国側の勝利に気分をよくしているイギィプトマイオスは、ドラゴン騎士団と睨み合いをすることに飽き飽きしていた。
(タールコにおいて神雕王はバヴァロンを落とし、タールコ軍を翻弄したという。東征に行った者たちはさぞ恩賞にありついていることだろう)
つらつらと、幕舎の中でそんなことを考える。
(自分も、なにかひとつ手柄を立て、神雕王から恩賞をいただきたいものだ)
欲が、顔をのぞかせた、なにより、
(そもそもドラゴン騎士団は神雕王からの恩を仇で返し、拳を見舞ったではないか。ご寛大なる神雕王はお許しになったが、臣下としては、この暴挙やはり許しがたい。そうだ、ここで思い知らせてやろうではないか)
決意は固まった。イギィプトマイオスはべラードより率いる三万の軍勢を動かし、ドラゴン騎士団を追い返すことにしたのだ。
もっといえば、それによってシァンドロスから認められお褒めの言葉と恩賞をいただくのが、一番の目的だった。
双方とも三万の軍勢なのは、たまたまである。イギィプトマイオスはその気になれば五万の軍勢を動かせるのだが。ソケドキアは旧ヴーゴスネア地域を征服してまだ日が浅い。
守備にも気を使わねばならぬため、かつてヴーゴスネアの都で今はソケドキアの西方の都であるべラードに二万を残し征服に不満を持つ者たちも牽制せねばならなかった。
二十一年の内乱から国が分裂し、タールコに征服されたと思ったら、南方に興ったソケドキアに征服され。征服者の変わることまことにめまぐるしい。そのため、この地域の人々は自分がどこの国の人間であるかという自覚が非常に薄かった。
またなまじ戦争慣れしているため、なにかのきっかけで革命から内乱に及ぶ危険性もはらんでいた。
ヴーゴスネアは大陸の中央地帯からすぐ東にあたり、東西からの人の往来に混血も多い。
古代の西の大帝国が滅んで各地域が独立しさまざまな国が建国される中、ヴーゴスネア地域はつねに国の興亡を繰り返してきた。
そういった歴史を踏まえ、イギィプトマイオスも統治には慎重だった。
そのため、本来の目的の他に、ここで戦争に強いところを見せておくのも今後の統治のためになるだろう、という腹積もりもあった。
イギィプトマイオスはすぐに軍勢をまとめ。
「ゆくぞ。ドラゴンの牙をへし折り、故国に追い返してやれ!」
と軍を進ませた。それはすぐにドラゴン騎士団側も察知した。
「ソケドキア軍が来ます!」
との報せを受け、コヴァクスやニコレットは臨戦体勢に入り。無駄に動かず、相手が来るに任せた。
「イギィプトマイオスめ、ついにしびれを切らしたか」
敵軍を指揮するのはイギィプトマイオスなのはすでに調べがついている。
コヴァクスは馬上、風が頬を撫でるのを感じながらソケドキア軍の到来を待てば、土煙と軍靴、馬蹄響き。敵軍突進してくるのが肌で感じられる。
正直戦闘は避けたかったが、相手が仕掛けてくるのでは止むを得ない。軍監のラハントは内心ほっとしつつ、ドラゴン騎士団が勝てるかどうかの心配もしていた。
ここでドラゴン騎士団までが敗れれば、最悪ではないか。
しかし、と気になることもある。コヴァクスのかたわらには、白い衣をまとった黒髪の女がいる。彼女は何者だろう。
ふとふと、誰だったろう、どこかで見たことがあるような気がする。と思えば、
(あっ!)
と思い出す。そうだ、あの女はガウギアオスの戦いの折りに、突然乱入した女ではないか。めっぽう強く、幾人もの勇士がたばになってかかってもかなわず。そのため戦況は一変、コヴァクスと神美帝との一騎打ちを許してしまった。
そのきっかけをつくった女だ。
なんと、ドラゴン騎士団にいたのか。と、ラハントはしきりに驚く。よく見れば、この地域一帯の容姿ではない。昴の人間ではないか。
なぜそんな彼女がドラゴン騎士団に組するのか。
ともあれ、いまはソケドキア軍との戦いである。ドラゴン騎士団にいるのなら、前はともかく今は味方である。タールコに対して見せた強さを、ソケドキアに見せてやってほしいものだった。
軍靴、馬蹄の音響き。イギィプトマイオス率いるソケドキア軍三万、ついに姿を現す。
「よし、かかれ!」
コヴァクスは槍斧を掲げて、ドラゴン騎士団を進撃させた。ダラガナ率いる赤い兵団もそれに続き。白い衣の女、龍菲も槍を握りコヴァクスから譲り受けた龍星号を駆けさせ。
ドラゴン騎士団とソケドキア軍は激突した。