第二十八章 不可侵条約 Ⅰ
都メガリシにモルテンセンが入り。新生リジェカ王国は復興への道のりをあゆみはじめた。
それとともに、リジェカは国をあげての慰霊祭を王城前の広場で執り行い。モルテンセンをはじめとして女王のマイア、ドラゴン騎士団に赤い兵団らも参列していた。
「無念のうちに涙を呑んで死した者たちよ。安らかに眠れよかし。過ちは繰り返さぬゆえに……」
モルテンセンは神父に付き添われて、天に向かい死者への言葉を語った。
その一方でオンガルリ王国に使いを送り、正式に同盟の調印をする旨を告げるとともに。二国間でタールコとの和睦、不可侵条約を結ぶ旨も伝えた。
王が行方不明であるオンガルリは女王のヴァハルラが臣下たちの助けを借りながら国を治めていた。
リジェカとの同盟は、承知のことだったが。タールコと不可侵条約を結ぶことは予想外だった。しかし、悪い考えではない。タールコは大国である。その気になれば無尽蔵にオンガルリやリジェカに兵を送れる。
それをさせぬためにも、タールコの敗北の続いた今だからこそ、不可侵条約を結ぶことができるのではないか。
使者はモルテンセンの署名と蝋印のある書簡を差し出し、ヴァハルラはそれをよく読みこんでいた。
「あいわかりました。オンガルリとリジェカはよき同盟国として、共存共栄の道を歩んでまいりましょう」
ヴァハルラは書簡に署名し、蝋印を押し。正式に調印をなし、同盟が決まった。
タールコへの不可侵条約の使者であるが、これは二ヶ国から数名ずつ選出して派遣されることになった。
リジェカはその支度も整え、まず使者はオンガルリの都ルカベストに向かい。そこから合流してタールコの現在の都であるエグハダァナに向かう。
使者とともに、ニコレットはオンガルリへ向かっていた。
コヴァクスはリジェカに残る。
ドラゴン騎士団はオンガルリとリジェカ、二ヶ国に仕える騎士団となっているのだ。そこで、コヴァクスとニコレットは一ヶ月交替でリジェカとオンガルリを行き来することにし、両国の国防のために働くことになった。
使者とともにニコレットが王城に入れば、ヴァハルラに女王アーリア、オラン、末っ子の王子カレルはことのほか喜んで出迎えたものだった。
やはり、ドラゴン騎士団にはオンガルリにいてほしいのだった。
それから、オンガルリとリジェカの使者、合わせて十名はタールコの都となっているエグハダァナへと向かった。
さてタールコであるが、ガウギアオスで敗れ帝都はおろか、せっかく征服した地域も奪われ、天が落ちてくるかのような不安と動揺に悩まされていた。
かつて威光を誇った神美帝ドラグセルクセスであるが、あれ以来精気が乏しくなったように感じられる。
皇后シャムスが無事にエグハダァナへとたどり着いたことには、喜びを示したものの。それ以上に、帝位について、いや、生まれてこのかた経験したことのない敗戦続きに打ちひしがれたようだ。
皇帝としての公務はおざなりにされ、食事の量は減ったにもかかわらず酒の量に、睡眠時間も増え。臣下や皇后、獅子王子・ムスタファーがいかに心配し気遣いをしようとも、いっこうに治る気配がない。
「神美帝の時代は終わるのであろうか」
誰彼ともなく、そんな言葉がエグハダァナの宮廷内で密かにささやかれるのであった。
オンガルリとリジェカから不可侵条約を結ぶための使者が訪れたのは、そんなときだった。使者はオンガルリの南東に位置するオンロニナ平原から国を出て、トンディスタンブールの北にある黒湖の北岸沿いを通って、エグハダァナへとたどり着いた。
ソケドキアが領土に組み入れたのはあくまでもトンディスタンブールであり。黒湖以北はまだタールコ領である。
使者を広間に迎え、ドラグセルクセスは気だるそうに玉座に座し、使者の言葉を聞いている。
「我ら貴国と必要以上の争いを好まず。また野心もなし。これまでの歴史を顧みて、相互の平和と繁栄のために貴国と不可侵条約を結びたし」
リジェカのモルテンセン王にオンガルリのヴァハルラ女王からの書簡を、十名の使者の代表は読み上げる。アスラーン・ムスタファーは整列する臣下たちに混じって、使者の語るのを聞き、拳を握りしめていたが。
神美帝ドラグセルクセスは、うつろな目をしていた。となりの皇后の座のシャムスは使者の話を聞きながら、夫の様子が気になって仕方がない。
「ドラゴン騎士団は……」
「は、はい」
ドラグセルクセスは条約への返答ならぬことを口走り、使者を困惑させる。
「ドラゴン騎士団は、いまだ健在か」
「は、健在でございます」
「左様か……」
ドラグセルクセスの脳裏には、己に立ち向かうコヴァクスの姿が描き出されていた。その青年の小龍公と、妹の小龍公女は、見事オンガルリとリジェカ再興のために戦い抜いた。ということは、タールコの征服地を奪い返した、ということであり。
仇といってもよい。
(もしや神美帝はドラゴン騎士団を恨みぬき、条約を結ばぬつもりか)
使者は冷や汗の出る思いだった。
不可侵条約が不都合なのは、アスラーン・ムスタファーもであった。この若い皇太子は、ドラゴン騎士団を宿敵と見定め、雌雄を決したいと強く望んでいる。もし不可侵条約など結ばれれば、ドラゴン騎士団と戦えなくなる。
人材の豊富なタールコである。なぜこの期に及んでオンガルリとリジェカの二ヶ国がタールコに対し不可侵条約を結ぼうとするのか、見抜けぬ者がいないわけではない。
タールコは敗北続きである。その衝撃も大きい。かくなるうえは、無駄な争いは避けて、国力の回復に専念するほうがよいのだ。そんなときに、タールコから征服地を奪い返したオンガルリ、リジェカ両国から不可侵条約の案をもってこられては。
これを蹴ってもよいが、勢いに乗るオンガルリとリジェカが、ならばとタールコに侵攻すれば。はたして返り討ちにできるかどうか。ことにドラゴン騎士団はタールコにとって、悪魔のような存在であった。
だがそれでも不可侵条約を結ぼうというのは、使者の言うとおりオンガルリとリジェカには余計な野心はなく、国を保つことだけを考えている、と思ってよいだろう。
アスラーン・ムスタファーは拳を握りしめ、不可侵条約をどうにかしたいと思っているが。国のゆくすえを決める権限はいまだ父である神美帝ドラグセルクセスが握っている。
皇太子の一存で、国のゆくすえは決められない。なにより、ドラゴン騎士団と戦いたいというのは、私情である。
「貴国らの言い分はよくわかった。少し、考えさせてくもらえぬか。明日には、答えを出そう」
そう言うと、ドラグセルクセスは玉座から立ち上がり、さっさとその場を離れてしまった。
皇后シャムスをはじめとする一同は、呆気にとられてドラグセルクセスを見送るしかなかった。
その夜、ドラグセルクセスは寝室にて、天蓋つき寝台に腰掛け、思案にくれているようであった。
「ドラゴン騎士団、ドラヴリフト……」
ぽそっと、こればかりつぶやいている。
その一方で、アスラーン・ムスタファーは腹心イムプルーツァを私室にまねき、不可侵条約について語り合っていた。
それぞれのそばには、侍女のエスマーイールにパルヴィーンがしとやかに控えて、ふたりの酌み交わす酒をついでいた。
「オレは、反対だ」
「そうでございましょうな」
「たとえオンガルリとリジェカか手を結んでも、オレが返り討ちにしてやろうものを」
「お気持ちはわかりますが……。ソケドキアのシァンドロスもおります。これらに一斉に攻められては、ひとたまりもないでしょう」
「シァンドロスはドラゴン騎士団と組まぬことは、とうに調べがついている。」
「その、シァンドロスが厄介でございます。どちらか一方が攻め込めば、それに乗じなし崩し的に共同戦線をはるおそれもあるかと」
「まるで、タールコが必ず負けると言いたいようだな」
「これは、言葉がすぎました」
イムプルーツァもドラゴン騎士団を雄敵を見ている。できれば不可侵条約など結びたくない。しかし、さっきも言ったとおり、シァンドロスの存在がある。東征のための支度を着々と進めているのは、調べがついている。
否応なく、ソケドキアとは戦わねばなるまい。ならば、オンガルリとリジェカ両国と不可侵条約を結べば、備えはソケドキア一国に専念でき、タールコにも有利なのだ。
「しかし、オンガルリとリジェカ両国にも有利だ。ことにソケドキアと国境を接せぬオンガルリはリジェカをソケドキアへの盾にでき、不可侵条約で攻め込まれる不安もなく、国力の増強に専念できる」
(よほどドラゴン騎士団と雌雄を決したいのだな)
イムプルーツァはアスラーン・ムスタファーの様子を見て、つくづくそう思った。さてなにかよい案はないかと、頭をめぐらせれば。
はっと思い浮かぶものがあった。
「条件を出すというのは、どうでござろう」
「条件?」
「そうです。我が国は特にソケドキアに狙われていますが。聞けばオンガルリとリジェカをも狙っているとか」
「そうだな。シァンドロスにとって両国は後顧の憂いとなろう」
「ならばこそ、オンガルリとリジェカ両国とソケドキアを戦わせるのです」
「どうやって」
アスラーン・ムスタファーはイムプルーツァの言うことがいまいちよくわからない。両国とソケドキアを戦わせるといっても、どうやって戦わせるのだ。それに万が一両国が、ドラゴン騎士団が敗れた場合は。
と、問えば。
「さ、そこでございます。不可侵条約を結ぶ。そのかわり、タールコに代わってソケドキアを攻めよ、ともちかけるのでございます。両国は拒むかもしれません。が、それでよいのです。どうせオンガルリとリジェカはタールコと戦争をするつもりがないのがほんとうなら、攻め込むこともないでしょうから」
「なるほど……」
「条件を飲んで、ソケドキアと戦うことになれば、さてこればかりはそれがしにも見当はつきませぬ。ドラゴン騎士団がどうなるのか、すべてを神に託すしかないでしょう」
「奴らが負けるとは思いたくないが、シァンドロスが相手ではな」
シァンドロスの手強さはアスラーン・ムスタファーも心得ている。おそらくどちらが勝つにせよ負けるにせよ、甚大な被害は免れないであろう。
「どちらが勝つか賭けになりますが。条件をもちかけられたオンガルリとリジェカは、タールコを少なからず憎むでございましょう。ならば、なにかのきっかけで不可侵条約も反故になるのでは」
「なるほど、そうか!」
アスラーン・ムスタファーはおおいに納得し、よく思いついてくれたと、イムプルーツァの手を強くにぎった。
「よし、父にこのことを進言してこよう」
興奮気味に、アスラーン・ムスタファーは侍女と腹心を私室に置き去りにして早足で神美帝の寝室へと向かった。