第二十七章 国を越えて Ⅶ
タールコ軍との戦いに勝利し、ドラゴン騎士団は都メガリシを目指した。
降ったタールコ兵は捕虜として一時的に身柄を拘束しようかと思ったが、彼らはもはや戦意はなく、故国へ帰ることを強く願っている。
戦いが済めば敵であっても、人として扱う。それも父から学んだ騎士道のひとつであった。
そこで千五百の兵をつけたうえで、オンガルリを通らせて国境まで送ることにした。むろん武器は持たせないし、鎧も脱がせた。それでも抗うようであれば、やむをえない、容赦はしない。
降ったタールコの部将や兵卒はいたく喜び、コヴァクスやニコレットへの感謝の言葉は尽きぬほどで。別れ際には笑顔で手を振る者まであった。
これでリジェカにタールコの軍勢はなくなったが、カンニバルカはみすみすと逃がしてしまった。この男はどこを目指そうとしているのだろう。
またふたたび、なんらかのかたちでドラゴン騎士団の前に立ちはだかるのは、間違いない。コヴァクスもニコレットも、カンニバルカには悪運が強いというか、どこかしぶといものを感じるのである。
それとともに憂うのはリジェカの情勢だった。国は真っ二つに割れた上、そのどさくさに紛れてタールコの支配下に置かれた。
その戦乱に見舞われることオンガルリ以上であると言わねばなるまい。人々の心は、さぞかし荒んでいることだろう。
都を目指す途中、町や村を通り過ぎることもあった。紅の龍牙旗を目にした人々は、ドラゴン騎士団を歓迎するでもなく、憎むでもなく、淡々と通りすぎてゆくのを見守っていた。
静かだった。
町や村の長は、一応は、ドラゴン騎士団、モルテンセンへの恭順の意を示したが。さてどこまで本心なのか。コヴァクスもニコレットも、はかりかねた。
「人々が戦いではなく安穏を求めていることを、願うばかりだ」
コヴァクスはつぶやいた。
戦いには勝ったが、その進軍のさまは意気揚々とは言いがたい。喜びも束の間、途中通り過ぎる町や村の人々の目つきの冷たさに、ドラゴン騎士団の騎士たちと赤い兵団は、にわかに憂いを覚えるのだった。
ドラゴン騎士団進軍し、ついに都入りした。
都メガリシはにわかに騒然となった。
ドラゴン騎士団がタールコ軍を破ったことは都にも伝えられている。人々は家を飛び出し、都入りしたドラゴン騎士団を、複雑な表情で見つめていた。
そこには歓喜も悲哀もない。ただ、ざわめきがあった。
リジェカ人であるアトインビーにジェスチネは都の民衆の反応を見て、互いに目を合わせて頷き。コヴァクスを見た。
コヴァクスはふたりと目があったとき、うん、と頷き。笑顔で頷きを返したアトインビーとジェスチネは前に進み出て民衆に紅の龍牙旗を見せつけた。
「聞け、都の人々よ。リジェカよりタールコを打ち払い、国を取り戻したぞ!」
「新生リジェカ王国が再び誕生したのだ! モルテンセン王の治世が戻るのだ」
「もう国民同士で争うことはない。オンガルリと同盟し、タールコ、ソケドキアの脅威からは、我らドラゴン騎士団が守ってみせる!」
アトインビーとジェスチネは必死になって民衆に訴えた。
民衆は、近くの者と顔を突き合わせてこれからのことを語り合って、騒々しかった。
「モルテンセン王が戻られるのか」
誰かがそう言うと、ジェスチネとアトインビーは威風も堂々と、
「そうだ!」
と力強く応えた。
民衆はモルテンセンが王であったころを思い出す。
モルテンセンは幼いながらよく善政を布き、民草を慈しんでいた。
かつて異邦人、売国奴とされ虐げられた人々はモルテンセン王の治世を思い出し、
「モルテンセン王、万歳。リジェカ万歳!」
と万歳を唱え始めた。
モルテンセンが都に戻り、ドラゴン騎士団が守るとなれば、もうあんな愚かしい民族主義など起こることはないだろう。
万歳が起こると、かつて「目覚めた」人々は、いたたまれなかった。カルイェンの唱える民族主義に迎合し、我が世の春を謳歌したものの。春は短く、カルイェンのとなえるまことのリジェカ構想など、タールコにあっさりと打ち砕かれてしまった。しかも、神の火が嘘であったことが、かつて「目覚めた」人々に大きな衝撃を与えた。
我々は騙されて、無用の殺生にはしらされたのか、と。
「血筋や氏素性など、関係ない。リジェカ人として生きる者は皆ひとしく、例外なくリジェカ人なのだ。今こそ過去の宿縁を断ち切り、国民が一致団結するときではないのか」
アトインビーは紅の龍牙旗を掲げて叫んだ。ジェスチネは旗を指差す。
「この旗は、単にドラゴン騎士団の象徴ではない。皆の、リジェカ国民の誇りを象徴する旗である! この旗ある限り、リジェカがリジェカでいられるのだ」
ドラゴン騎士団は、はじめはオンガルリの騎士団であったが、いまはリジェカの騎士団でもあり、リジェカとも運命を共にするのだ、とジェスチネは力説した。
オンガルリ人であるコヴァクスやニコレット、あるいは出身地も様々な混成軍である赤い兵団ではない、リジェカ人のアトインビーやジェスチネが人々に訴えることで、都の人々の共感を呼び起こすことができる。
かつて「目覚めた」人々も、もうあんな馬鹿馬鹿しいことは繰り返したくないと、アトインビーやジェスチネの訴えに聞き入っていた。
やがて、リジェカ万歳の声がかつて「目覚めた」人々からもあがるようになった。訴えによって、「目覚め」から心が解放されたのだろう。
万歳の声は、都中に轟きはじめた。
が、その中の数百名の人々は、「目覚め」から解放されることがなく。冷たい眼差しでこっそりと都を抜け出してゆく。
悲しいかな、その人々はまことのリジェカ構想に触発され、民族意識と手厚い保護が忘れられないでいた。だから、この今の事態を受け入れることができなかった。
その人々は行く当てもなく、都を抜け出し。リジェカ国内を彷徨うことになる。
そういった人々を除いて、民衆は覚めた状態から一変して、再びモルテンセン王の治世が戻ることに嬉しさを爆発させて、その熱気、沸きに沸いた。
ドラゴン騎士団は半分を都に残し、半分はフィウメに赴きモルテンセン王らを迎えにいった。
コヴァクスとニコレットはアトインビーとジェスチネら数名の騎士をともない王城に入り、中を見て回った。
龍菲といえばいつもの放浪癖を出し、都メガリシをうろうろとさまよい。適当な家屋を見つけると屋根の上に飛び乗り、空を見上げるのであった。
コヴァクスとニコレットは王城に入ったが、そこまでついてゆくほど龍菲もちゃっかり者ではない。自分の出る幕は、最低限でも心得ているつもりだ。
城の中にはタールコの官人が十数名のこっており、自分たちがどうなるのかと不安を抱きつつコヴァクスとニコレットを跪いて出迎えた。
赤い兵団とリジェカドラゴン騎士団は王城の近くに陣取り、治安の維持に当たる。
「あなたたちは、タールコの人ね」
「はい、カンニバルカ殿とともにリジェカ入りし、代官代理として都を統治しておりました」
カンニバルカはリジェカを征服し、その功績からリジェカを治める代官の任を命じられた。が、内乱があったことを踏まえ各地を巡回し睨みを利かせていた。その間、都の統治はこの代官代理がつとめていた、ということだ。
「かくなるうえは、覚悟はできております。できることなら、ひとおもいに……」
かつてカンニバルカのはからいで、反乱でにわかに王となったカルイェンに異端審問官のヴォローゾに、それに仕える尼僧ふたりが、神の火によって火刑に処せられた。
その様子を見ていたタールコの官人は、ひとおもいに死ねぬ処刑の恐ろしさをまざまざと見せつけられ、恐怖したものだった。
そしてタールコ軍が敗れドラゴン騎士団が都メガリシ入りしたとき、タールコの官人はあの恐怖を思い出し。どうせ処刑されるなら、苦しまずに処刑してほしい、とコヴァクスに懇願するのであった。
「処刑など、そんなことはしないわ」
ニコレットは官人に語った。
いわく、不必要な殺生はしない、と。
「あなたたちがいた間、なにか騒ぎはあった?」
「いえ、カンニバルカ殿がよく働きましたおかげで、騒動はなく。都は静かなもので、他からも反乱の起こることはありませんでした」
話を聞くと、カンニバルカやこの官人らはよくリジェカを治めていたようだ。だが、カンニバルカは逃げた。タールコ軍も戦いに敗れて、もうリジェカにはドラゴン騎士団以外にまとまった軍勢はない。
「そなたたち、国へ帰りたいか」
コヴァクスは問えば、官人らはしきりに首を縦に振る。
「それは、もう。帰れるものなら、帰りとうございます」
「そうか……」
故国を思う気持ちは、誰にでもある。
コヴァクスとニコレットは官人らの気持ちを汲み取り、国に帰ってよいという旨を告げれば、官人らはいたく喜んだものだった。
「まことでございますか。それは、まさに望外の喜び。どうお礼を述べてよいのやら」
「礼はよい。そなたたちが国をよく治めてくれたおかげで、ドラゴン騎士団も都入りできたようなものだ。その労に報いようというのだ」
「あ、ありがたき幸せ」
官人らは跪く姿勢でさらに深々と頭を下げた。
「早速支度をするがいい」
「は、はは!」
タールコの官人らは厚く礼を述べ、支度のためその場を離れていった。
それから、アトインビーにジェスチネら数名の騎士とともに王城を回った。幸いにも荒らされることなく、きちんと清掃もされて、そのままモルテンセンを迎え入れられそうだった。
(オンガルリに続き、リジェカも……)
コヴァクスとニコレットは、国を越えて二ヶ国のための戦いを遂げたことに感慨深かった。
同時に、脳裏にある考えを現実にすることも可能になったのだった。
ドラゴン騎士団が都メガリシに入り、しばらくの日数を経て、モルテンセンに妹で女王のマイアに、イヴァンシム、クネクトヴァとカトゥカが都入りした。
モルテンセンはいつしか語ったとおり、都メガリシに帰ってきたのだ。
民衆は王を万歳をもって迎えた。
それと入れ違いに、タールコの官人は都メガリシを離れ、故国を目指して旅立った。彼らの顔は安堵と期待に溢れていた。
モルテンセンは王城に入り、宮殿の王座に座す。その横には、女王のための座もあり、マイアはそれにちょこんと腰掛けた。
一段高いところから、コヴァクスにニコレット、イヴァンシムにダラガナ、セヴナ、そして侍従のクネクトヴァに女王お気に入りのメイドカトゥカらが、一斉に跪いていた。
「再び王座につけたこと、そなたたちの働きのおかげだ。王として、そなたらに感謝してもしきれるものではない」
「もったいないお言葉でございます」
コヴァクスとニコレットは深々と頭を下げた。
「私にも、戦場で剣を振るうくらいの力があればよいのだが。悲しいかな、そのような力はない」
「王よ、そのようなことは我らにお任せあれ。慈愛をもって国を治めることは、我らよりも王ならばこそできるもの」
「左様か……。そう言ってもらえるのはありがたい。しかし」
モルテンセンはやや言葉を詰まらせしばし沈黙した。
「リジェカは乱多く、数多の命が失われた。王として、まずは死した者たちの冥福を祈るための慰霊祭を執り行いたいと思うが、どうであろう」
「よいお考えです。王自ら慰霊祭を執り行えば、家族を失った民らも、慰めを得ましょう」
イヴァンシムはモルテンセンの考えに賛同の意をしめした。
こうして、慰霊祭が執り行われることが決まった。その段取りを考えねばならぬのだが。コヴァクスは、王にどうしても伝えたいことがあった。
「よろしいでしょうか」
「コヴァクスか、何なりと申せ」
「はい。オンガルリとリジェカがともに再興され、新しき国造りを進めねばなりませぬが。それとともに、なすべきことがあると存じます」
「それは、なんだ」
「それは、タールコとの和睦でございます」
「タールコとの和睦……」
思わぬ言葉に、モルテンセンは一瞬言葉を失った。他の者たちも、コヴァクスの思いがけぬ一言に言葉を失った。
が、イヴァンシムはすぐになにか閃いたようだった。
「なるほど、タールコは先のガウギアオスの戦いに敗れ帝都も陥落。さらに征服した地域も奪われる有様。そのことは、タールコに少なからぬ衝撃を与えていることでござろう」
「されば。オンガルリ、リジェカの二ヶ国再興したとて、その力にはまだまだ限りがございます。しかし、タールコとて敗北が続きすぐには戦をしかけることはできぬでしょう。ならばこそ、今の機を逃さず、ともに和睦し不可侵条約を結ぶのです」
「そうか、そうすることで、タールコの脅威をなくし、ソケドキア一国の備えに専念できるのだな」
「御意。王のご明察、まこと感服いたします」
コヴァクスの進言にモルテンセンは感心し、今後の方向性を見出したようだった。
そして早速慰霊祭に和睦の使者を立てる段取りが進められるのであった。