第二十七章 国を越えて Ⅴ
後退の指揮を執るコヴァクスのそばに龍菲。周囲から不思議そうなまなざしを受けつつ、コヴァクスを笑顔で見つめている。
ドラゴン騎士団は森林の火災のため、アニラスの高原から退いてゆく。
高原は広い。森のない、広々とした草原地帯まで来ると、そこで陣形を整えなおしタールコ軍にそなえた。
空からは風に乗って灰が飛んで、降りそそいでいる。
ドラゴン騎士団の騎士や兵卒たちは、やられた、見破られた、と悔しそうに空に舞う灰を見上げていた。
今度は軍勢を半分にわけて、左翼をコヴァクス、右翼をニコレットが率いる。龍菲は周囲からの眼差しなど意に介さず、当然のようにコヴァクスのそばにいる。
「でしゃばるつもりはなかったの。でも、仕方がなかったわ」
「森が燃えているのをみつけてくれたのは、君か?」
「そうよ。ニコレットに教えてあげたの」
「そうだったか。おかげで早くその場から脱することができた。ありがとう」
コヴァクスのありがとうという言葉を受け、龍菲は嬉しそうに笑顔で見つめる。
「気にしなくていいわ。わたしこそ、フィウメにいなきゃいけないのに、こっそりとつけてきて、ごめんなさい」
ごめんなさいと龍菲に言われて、コヴァクスの顔がやや赤らむ。その目は、龍菲を引き付ける要因となっている、見たことのない目の色だった。
コヴァクスのそんな目の色を見ると、龍菲は嬉しくなるのだった。
「小龍公」
ジェスチネだった。コヴァクスのそばに来て、龍菲を不思議そうに見つめている。ガウギアオスの戦いの折りに、白い衣の女が突然戦場に飛び込み、助太刀をしてくれたことはもちろん知っている。それからドラゴン騎士団についてきて、行動をともにしている。
敵ではないし、味方になって力を貸してくれているようだが。
自分たちにはよく紹介されたわけではないし、なにより得体の知れぬ体術を使うため、不思議な印象は消えない。
「龍菲殿、といいましたな。このお方は何者です。よければ我らにご紹介を願いたいのですが」
ジェスチネに言われて、そういえばこの慌ただしい毎日で近しい者はともかく、他の将兵たちに紹介していなかったことを思い出し、よい機会だと、
「そうであったな、この方は……」
と、昴人であることと、前々から危機の際に姿を現して助太刀してくれたことを語った。
「彼女なくば、ドラゴンの夜もなかった」
「そうでしたか。いや、そのような頼もしい女性とは。それがしはジェスチネ、以後お見知りおきを」
「こちらこそ」
龍菲は左手で右手の拳を包むようにする、包拳礼という昴の作法でジェスチネに挨拶をかえした。
ジェスチネはコヴァクスの話を聞き、龍菲に好意を持ったようである。なにより、彼女の美しい容姿をながめて、いたくご機嫌のようだった。
遠くから、そのやりとりをながめるニコレットは、ふう、とため息をつき首を横に振る。
味方をしてくれるのはありがたいが、どうも、兄は彼女に心奪われているようだった。それが気がかりである。
コヴァクスはそのことに気づいているかどうか。彼女を見つめながら、コヴァクスはオンガルリ人、ひいてはオンガルリを建国したマジャクマジール民族に思いをはせた。
マジャクマジールはもとは東方の草原や砂漠の遊牧・騎馬民族であった。それが西方に進出して、西方の民族と交わりながらオンガルリを建国した。
マジャクマジール人は髪と目ともに黒かったというが、西方の人々との混血を繰り返し、他の色も加わるようになった。
ニコレットの金の髪に、色違いの瞳はそれを象徴していた。
もしマジャクマジール民族が西方に出ねば、オンガルリはなかったといっていいだろう。
(東方世界か)
それはどのような世界なのだろう。シァンドロスは東方世界に興味を持ち、東西にまたがる大帝国を築き上げることを夢見ているが。
コヴァクスは、東方世界のことを思うと胸がうずくのを覚えた。
(できれば、先祖がかつていた世界を、その向こうの世界も、見てみたいものだ)
知らずに、そんなことを考えていた。
「して、龍菲殿をどうなさいます。我が軍にいてもらうのですか」
「そうだな、ここまで来た以上、ともに戦ってもらおうと思う。森が燃えているのを見つけたのも、彼女であるし」
ジェスチネの問いかけに、コヴァクスはそう答えた。
それを聞いた龍菲は顔を輝かせて、
「いいの? ならあなたのために、力の限り戦うわ」
と言った。
カンニバルカ率いるタールコ軍は、森を燃やし。炎は森を飲み込み、燃やし尽くす勢いで広がっていった。
燃える森を、カンニバルカは見据え、ほくそ笑んだ。
幸いにも、風は南から北へと吹いている。風上からの火責めに、ドラゴン騎士団は驚いたことだろう。
「よし、ではゆくぞ!」
号令をくだせば、タールコ軍は炎を横目に迂回してアニラスの高原に向かった。
高原につけば、そこには誰もいない。予想どおり、ドラゴン騎士団は撤退したようだ。
地面を見れば、馬蹄や軍靴の足跡がたくさんつけられている。ドラゴン騎士団はたしかにいたようだ。
「やつら、火責めに驚き逃げ出したぞ」
カンニバルカがそう言えば、部将や兵卒らは「おお」と声をあげた。ドラゴン騎士団がこちらの計略にかかって逃げ出したのは、なんにしても嬉しいことだ。それで、士気があがった。
東と南の森は、まだ燃えている。灰が風に乗って空を飛ぶ。
消火はしない。燃えるにまかせるまま。
斥候から、その向こうにも陣を敷けるだけの広い草原があると聞いた。ならばドラゴン騎士団はそこに陣を敷きなおしていることだろう。
「正面からの真っ向勝負になるか」
火責めをして、士気もあがった。突然の火責めに驚き、慌てて退き、後方に下がって陣を敷きなおしているだろうが。さてそんなドラゴン騎士団の士気はどうであろうか。
ある程度は状況を有利にできたかどうか、それは前進すればわかるだろう。
タールコ軍は燃え盛る炎を背に、進んだ。
進めば、彼方に見える陣。左右二手に分かれて、タールコ軍を待ち構えていた。
右翼側には、紅の龍牙旗。
「ドラゴン騎士団だ」
兵卒の誰かが声をあげた。
雑然としているかと思われたドラゴン騎士団だが、整然と並んで、いつでも来いと言わんがばかりだ。
(火責めに早く気づいて、早めに陣を敷きなおしたか)
カンニバルカは舌打ちをする。
タールコ軍来たることは、ドラゴン騎士団からも見えた。
「タールコ軍が現れたぞ。構えよ!」
鞘から剣が抜かれ、槍や槍斧を突き出し、突撃の構えがとられる。
陣の前方では弓が引かれる。
コヴァクスは得物を槍斧にし、強く柄を握りしめる。
カンニバルカは大剣を使う。それに対抗するために、自分も大きく破壊力のある得物にしたのだ。
「構えよ!」
カンニバルカの号令がとどろき、部将や兵卒らは剣や槍を構え、弓が引き絞られる。
(こりゃいよいよ真っ向勝負じゃ)
ドラゴン騎士団の士気はさほど下がってはいないようだ。当てが外れた思いだった。が、それならそれでやむなしとカンニバルカは考える。
両軍の距離は徐々に縮まる。とともに、矢が両軍から放たれる。
「かかれ!」
号令くだり、両軍は矢の降りしきる中を駆け出し。ぶつかり合った。
駆けながら矢にたおれる者が出る。それらを踏み越え、ドラゴン騎士団とタールコ軍は刃をまじえた。
「我が死ぬか敵が死ぬか。ふたつにひとつ! 者ども、命を捨てて戦え!」
大剣を振るいながらカンニバルカは叫んだ。竜巻のように大剣は唸りを上げて、ドラゴン騎士団の騎士や兵卒らを薙ぎ倒し血祭りにあげてゆく。
その戦いぶりに、タールコの部将や兵卒も感化され、勇を鼓してドラゴン騎士団に立ち向かった。戦うほどに士気は高まってゆく。
「うむ、やるな、カンニバルカ!」
コヴァクスは槍斧を振るい、タールコの兵卒らを粉砕してゆく。ニコレットも剣をひらめかせ、よく戦い。ドラゴン騎士団の騎士たちに赤い兵団らはふたりの勇戦に奮い立ち、果敢にタールコ軍に立ち向かう。
両軍一歩も退かぬ激突だった。
(あの大将を討てば、あとは雑魚も同然)
龍菲は得意の掌で兵卒を打ち倒しながら、カンニバルカを見据えた。大剣を自在に操り、立ちはだかる者ことごとくその餌食になってゆく。
「強い」
ぽそっとつぶやく。
カンニバルカ奮い、タールコ軍もそれに引っ張られて果敢なものだった。
本当なら自分はでしゃばらず、コヴァクスやニコレットがカンニバルカを相手にどのように戦うのかを遠くから見届けるつもりだったが。成り行きで自分がいることが知られ、コヴァクスは驚きつつも、一緒に戦っていいと言ってくれた。
龍菲には、それがとても嬉しかった。今まで、後ろめたい者ばかりに使われた暗殺者人生だったが。コヴァクスのような勇士に必要とされるのは、初めてのことだった。それが、とても嬉しかった。
自分がひとりの人間として認められたようで。
「カンニバルカを討たねば」
コヴァクスは槍斧で敵兵を薙ぎ倒しながら、必死で道をこじ開け、カンニバルカに立ち向かってゆく。ニコレットも勇戦し、カンニバルカのもとへと向かおうとする。
だがカンニバルカはどちらにも目もくれず、まっすぐに突き進んでゆく。その勢いは増して、ドラゴン騎士団を突き抜けんがばかりだ。
「突っ切れ!」
数人薙ぎ倒すと、途端に速度を上げて駆け抜けようとする。タールコ軍もそれに続く。
「なんのつもりなの」
タールコ軍の動きを見て、ニコレットは合点がいかなかった。が、しばし考えて、
「あッ!」
思わず声をあげる。
先の戦いでドラゴン騎士団が敵中突破をしたのを真似ているのか、カンニバルカ率いるタールコ軍は、同じように敵中突破をしようとしていた。
左右から迫るコバクスとニコレットの間を抜けて、カンニバルカは馬を飛ばす。
「待て!」
急いでグリフォンを反転させてコヴァクスはカンニバルカを追った。ニコレットも同じく追った。
まさかかつて自分たちがしたことを相手がしようなどと、思いもしない。一体何のつもりだろうか。
「まさかオレたちを振り切って、そのままフィウメにいくつもりか」
そんなことができるのかどうか。だがなんであれ、止めねばならない。
意表を突かれたドラゴン騎士団は相手の動きにやや戸惑い、その隙にカンニバルカはついにドラゴン騎士団を突破した。それに続け、とタールコ軍の兵卒も次々と突破を果たし、そのまま駆けてゆく。
「我らを振り切ってフィウメにいくか。させぬ!」
コヴァクスはグリフォンを飛ばし、カンニバルカを追った。
足で駆ける龍菲だったが、さすがに馬脚にはかなわぬ。馬がほしい、と思ったとき、丁度主をなくした馬が戦場を彷徨っているのを見つけ、急いでこれに飛び乗った。
「いくわよ」
龍菲は手綱を操り、馬を飛ばした。ドラゴン騎士団や赤い兵団も、自分たちを振り切ろうとするカンニバルカ、タールコ軍を追った。
敵中突破をするタールコ軍だが、まだすべて突破できたわけではなく、後方の者たちは捕らえられ、刃にかけられてゆく。龍菲もタールコ騎士をひとりしとめるとともに、槍を奪い取って我が得物にした。
駆けるカンニバルカであったが、後ろを振り向きドラゴン騎士団が追って来ているのを見て、ほくそ笑んだ。
「右に回れ!」
途端に右に回り始め、タールコ軍もそれに続く。
仲間をも追い越し追い抜き、カンニバルカを追って先頭に立ったコヴァクスも続いて右へまわった。
(まだまだ若いわい)
コヴァクスが味方まで振り切って自分を追っているのを見て、カンニバルカは勝機を掴んだと思った。
「あの若造を囲め!」
大回りにぐるりとコヴァクスの周囲をまわったカンニバルカに続き、タールコ軍もぐるりとまわる。それは、コヴァクスと他数十名を、あっというまに数百名で囲むかたちとなった。他のタールコ軍も大きな輪を描いてコヴァクス、カンニバルカを取り囲み。
外からドラゴン騎士団がコヴァクスを助けに行くのを足止めする。
「しまった!」
カンニバルカを追うことに夢中で、味方を引き離してしまい。そこを咄嗟にカンニバルカらに取り囲まれてしまった。
ニコレットや赤い兵団はコヴァクスを助けに行こうとするが、鉄壁の守りを成すタールコ軍に足止めされてなかなか進めない。
その間にカンニバルカは大剣かかげてコヴァクスを始末しようとする。
周囲にいた騎士や兵卒らは続けざまに討たれ、あっという間に、コヴァクスを含めて七名にまで減ってしまった。
血気に逸ったコヴァクスは、その血気のためにカンニバルカに包囲され殲滅されそうな事態に歯軋りするしかなかった。