第三章 クンリロガンハのわかれ Ⅴ
無理もない、とドラヴリフトは歯噛みをした。が、伝えねばならない。
手紙を掲げて、
「マーヴァーリュ教会の筆頭神父ルドカーン殿が弟子の少年に手紙を託し我らに伝えてくださることを、いま一度言う」
と言う大龍公のその言葉に、周囲に緊張が走った。
「この手紙には、あろうことか、王はイカンシにたぶらかされて、我らドラゴン騎士団を反逆者とみなし、親征軍をもって討伐に向かわれている。手遅れにならぬうちに、逃げよ。としたためられている」
「王が?」
「私たちが反逆者ですって!」
コヴァクスにニコレットは信じられないと声を上げた。信じられないことで、どう反応してよいかわからない、そこへ、
「さらに、エルゼヴァスは魔女の嫌疑をかけられ。もはや逃げられぬと自害をしたという」
と、さらに信じられないことがたたみかけられる。
母が、自害? まさか。
「なきがらは、マーヴァーリュ教会管理の墓地にて手厚く葬られるということだが、王はそこに我らも加えようとお考えであることも、したためられている」
「馬鹿な!」
コヴァクスが叫んだ。
「ルドカーン様も、こんなときに下らぬ戯言を」
「口を慎め!」
「しかし」
「ルドカーン殿が、戯言を言うようなお方か」
「でもお父さま、そんなこと、いきなり言われても、信じられません」
ニコレットは色違いの瞳を揺らして父に訴える。だが、父は無情にも、
「これは事実だ。実際に、手紙を託されたこの少年は王の軍勢を見たという」
と、クネクトヴァを指差した。
クネクトヴァは、一万を越えるドラゴン騎士団に威圧され、金縛りにあってしまっている。それはニコレットのそばにいるカトゥカも同じだった。
噂に聞き憧れもしたドラゴン騎士団であったが、今のこのただならぬ雰囲気に飲み込まれてしまった。
「では、我々はどうすればよいのでしょう」
と言うのはソシエタスであった。
王がドラゴン騎士団を討伐するという、それがいかに信じがたいことであっても事実というなら、その対処はどうすればいいのだろうか。
刃を交えるのか。しかしそれでは、反逆者であることをこちらから認めてしまいかねない。
ならば、このまま討たれるというのか。
騎士団に影か覆う。
死すはいとわず。いや、死ぬのが怖くないといえばうそになる。だが、なにより怖いのは、わけもわからぬうちに反逆者にされて討たれるということだった。そこに何の意義があるというのだろう。
意味も意義もなく死ぬのは、ドラゴン騎士団ならずとも、人間ならば一番の恐れとすることだった。だがそんな理不尽な死を押し付けられることは、この長い歴史の中で数え切れないくらいあることだ。
人はそれを悲劇といって涙を流す。
それが己の身に降りかかったとき、南方エラシアのポリス(都市国家)郡に伝わる悲劇物語に感動するような気持ちになるだろうか。
重い沈黙が立ち込める。いかなる強敵に出会うとも、太陽のごとく光り輝いていたその瞳は、勇姿は、今は影を潜めていた。
「コヴァクス、ニコレット、来なさい」
というと、我が子を引き連れ、己の幕舎へとゆく。ふたりの子は、互いに目を合わせながら、父についてゆく。
幕舎に入る。他の者はいない。
「お父さま……」
ニコレットは声が震えている。
「お母さまが自害なされたのは、まことでしょうか」
「まことだろうな」
色違いの瞳が揺れ、溢れる涙が頬をつたう。コヴァクスは奥歯を噛みしめ拳を強く握りしめている。
うそなのか、ほんとうなのか、わけがわからなかった。
「まあ、落ち着け」
という父の目にも、涙が浮かんでいた。苦楽をともにした妻の、突然の訃報。いかに大龍公ドラヴリフトといえど人の生き血をすすっていきているわけではなく、やはりひとりの人間であることを、その涙は物語っていた。
ドラヴリフト涙を打ち払い、我が子コヴァクス、ニコレット呼び寄せて。
「父は死ぬであろう」
と言った。
王に討たれよう、というのだ。
さらに言う。
「お前たちは、故郷へ帰れ。と言いたいが、これではそれもままなるまい。皆と力を合わせて国を出よ」
「父上、何を言われます」
「お父さまに見捨てられ、どうしてわたしたちだけがのうのうと生きながらえましょう」
「我ら年は若くとも、ドラゴン騎士団として、父上とともに死ぬ覚悟です」
父とともに死出の旅という我が子らを、ドラヴリフトは鋭い眼差しで見据えると。
「お前たちに国を出よと言うのは、我わたくしのために言うのではない。私が死なねば、世は奸臣のままにされてしまう」
もしこのままおめおめと討たれれば、オンガルリ王国は奸臣の好きなままにされてしまう。
大龍公ドラヴリフトは、我が命を賭けて王への忠誠を示すとともに、その死に様をもって、王をたぶらかした奸臣に痛恨の一撃を食らわせようというのか。
では残された者たちには、どうせよというのか。
「国を出て、春の到来を待つ冬の木々や草花のように風雪をしのび、機を見てオンガルリへ舞い戻り、奸臣を討ち王を立て、国をただせ」
コヴァクスとニコレットは、目に涙をたたえて父を見つめるだけであった。
「まだわからぬのか。奸臣のために王は道を誤り国を滅ぼし、愚君のそしりも免れまい。またこれまで、国のために、何人の者が死んだのか。お前たちのような数多の若者もまた、国のために戦って死んだ。ここで我らすべてが死ねば、死んだ者たちの名誉もどうなる。未来永劫、愚君、反逆者の烙印をおされ続けられてもよいのか。それを挽回するのは、生ける者しかおらぬ。またそれは若者に託すしかないのだ」
その、意志を託す若者のためにも、ドラヴリフトは命を捧げるという。
そこまで言われて、コヴァクスにニコレットもなにも反論はできなかった。
涙を呑んで、父の遺志を受け継ぎ一時の恥をしのぶ道を選んだ。
ドラヴリフトは幕舎の奥にある執務用の机のそばに立っている龍牙旗を手にし、コヴァクスにそれを差し出す。
「これは、バゾイィー国王陛下が我らのために特別に仕立てられた旗だ。お前たちに託そう。これを旗印に、また勇気と忠誠の証しとし、志を完遂せよ」
その龍牙旗は前線に出す他の龍牙旗と違い赤く、ドラゴン騎士団の象徴である龍の牙が銀糸によって刺繍さて、赤い地の旗の中で厳かな輝きを放っていた。
ドラヴリフトはこれを傷つけまいと前線には出さず、つねに後方に置いて護衛をつけて、あたかもそこに王がおわすがごとく守ってきた。
いままで何度も目にしたものの、今こうして眺めていると、赤い龍牙旗の赤は、まるでいままで国のために戦って死んだ者たちの血で塗られたように赤く。銀の龍牙はその赤い血に浮かんでいるようだ。
コヴァクスとニコレットは、自身の命もまたこの龍牙旗のように、オンガルリ王国はじまって以来の勇者たちの血の上に存在するのだと、そこはかと思わざるを得なかった。
コヴァクスは鋭い眼差しを旗に向け、もの言わず受け取った。かたわらのニコレットは、旗を保管する長箱を素早く用意し蓋を開ければ、コヴァクスは丁寧に旗を竿に巻いて箱に入れた。
そして親子三人幕者を出、将卒らにドラヴリフトは己の意を伝えた。
大龍公の意志を聞き、騎士団は騒然となったのは言うまでもない。中には、
「もしそれが事実なら、そんな王に従う義理はない」
とまで言う者もあった。しかしドラヴリフトは、
「なら貴様一人でそうせよ」
と言って突っぱねた。
動揺は隠し切れず、騎士団を包み込んでいた。国を出るといっても、どこへゆこうと言うのだ。ソシエタスも、知恵を絞りこれからのことを懸命に考えているようだ。
クネクトヴァもカトゥカも、無言で成り行きに任せるしかなかった。年少の自分たちに、何が出来るというのだろう。
「一旦は国を出、よい場所を見つけ、騎士団をもって集落をつくり新天地を開拓してゆくがよい。必要ならばタールコ以外の国に傭兵として雇われてもよい。無論、騎士としての誇りは捨てぬうえで」
とドラヴリフトは言ったが、動揺はおさまらない。妻子をもつ者もいる。これまでの生活を捨てるなど、はいそうですか、とできる相談ではなかった。
ドラゴン騎士団にいるからこそ、名誉も与えられ、それとともに安定した生活も保障されてきたのだ。だからこそ、命を賭けて戦えた。
人は夢や理想だけで生きることは出来ない。いや、夢や理想をみなもととし、現実の生活を築き上げてゆく。そのせっかく築き上げた現実の生活は今、音をたてて崩れ去ろうとしている。
騎士団の動揺を見てドラヴリフトは、やはり、と言いたげにすこしため息をついた。毀誉褒貶は世の常とはいえ、いざそれが自身に迫ってきたとき、人はどうなるか。
そのときだった。
天より雷響くような軍楽の音が鳴り響いたかと思うと、天まで届けと言わんがばかりな雄叫びと馬蹄の音が、地と空を揺らした。
それはバゾイィー率いる親征軍だった。
見慣れていながら、心を打ち砕くものが、目に飛び込む。
親征軍はオンガルリ王国の紋章旗を高々と掲げるとともに、女性のドレスをも先頭に掲げられていた。
「お、おお……」
ドラヴリフトが不意に声を漏らした。それに続き、
「あれは、あれは……」
「お、お母さま!」
コヴァクスもニコレットも絶句した。いや、ドラゴン騎士団すべてが絶句した。
先頭に掲げられるドレスは、エルゼヴァスのドレスだった。それが、見せ付けられるように、紋章旗とともに掲げられている。
エルゼヴァスは討った、次はお前たちだ、と。
それまでタールコに向けられていた刃は、まさにいまドラゴン騎士団に向けられていたのだ。
不審者の発見の報告を聞いたバゾイィーは進軍速度をはやめたのであったが、まさに王よりの沙汰が討伐であると信じられなかったドラゴン騎士団は、クネクトヴァに託された手紙にしたためられた旨が事実であったことにより、ひどい衝撃に襲われ、対応も遅れた。
「それ、反逆者どもを討ち取れ!」
馬上剣を采配にして配下の軍勢を叱咤するバゾイィー。ことに直属の親衛隊、フェニックス騎士団は王を守りながら龍牙旗目掛けて突撃をしかける。
進軍中に急ごしらえではあるが、白地に金糸で刺繍されたフェニックスの旗がひるがえり、龍牙旗を押し倒す勢いで向かっている。
王もさるもの、不審者の報告を聞き進軍速度をはやめるにおいて、ドラゴン騎士団の不意を突けたこと用兵の心得十分にあることを実証した。
これはドラヴリフトから学んだことであったが……。
「王が我らを討つというのは、まことであったか」
「なぜ、我々が討たれる?」
ただでさえ動揺していた騎士団の将卒らは、ここに来て完全に精神の破綻をきたしてしまい、おろおろする間に親征軍やフェニックス騎士団は、ドラゴン騎士団と激突し。またたく間に剣戟の響き野獣にも似た咆哮が響きわたり、流血が地を染め上げてゆく。
五万の軍勢である。いかにドラゴン騎士団といえど、不意を突かれたことにくわえ数の不利もあり、たてつづけに討たれてゆき、屍をクンリロガンハの野にさらしてゆく。
「私から離れないで!」
咄嗟にニコレットはカトゥカの手を掴み、愛馬向かって駆け出し。コヴァクスは反射的に剣を抜き、反撃に出ようとした。しかし、
「刃向かうな!」
という大龍公ドラヴリフトの怒号。
「刃向かいせず、逃げよ!」
ひたすらそればかり繰り返す。不意に、ソシエタスが視界に入る。大龍公の言葉をよく聞き、剣を抜き馬上の騎士と渡り合っているが防戦一方で相手を傷つけようとはしない。が、ドラヴリフトの視線を感じてその方に振り向けば。
「ソシエタス、子どもたちを頼む!」
頷くソシエタスは、相手の騎士の足をつかんで引き摺り下ろし、
「ごめん」
と相手の顔面に蹴りを入れ気絶させる。それを尻目に、まずコヴァクスのもとに向かった。
コヴァクスは三騎の騎士に囲まれ、馬上からの攻めをかわしたり受け流したりしていた。そばにはクネクトヴァがいる。腰が抜けて動けなさそうなのを、コヴァクスが必死にかばっていた。
これにソシエタスが助太刀に入れば、「許せ」とまず一頭の馬脚を斬ってたおし。わっと悲鳴をあげて騎士が転び堕ちる。その間にコヴァクスはさっきのソシエタスのようにひとりの騎士の足をつかんで引き摺り下ろして、顔面に蹴りを入れた。
残る一騎は、小癪なと叫びながら鋭い斬撃を繰り出すも、コヴァクス難なくかわしざま、剣を持つ手を掴んで引き摺り下ろし。仰向けにたおれたその腹を思いっきり踏みつけ悶絶させる。
その気になれば斬れるのだが、そこまではせず、せいぜい骨折で済むよう苦心しながら手加減した抵抗は、思った以上に神経を使い、相手を討つ以上にしんどいものだった。