第二十七章 国を越えて Ⅳ
両軍、進軍して。
カンニバルカ率いるタールコ軍一万は、まっすぐにフィウメを目指し。
ドラゴン騎士団こと、オンガルリ・リジェカ連合軍はタールコ軍が通過するであろうと思われるアニラスの高原にて敵軍を待ちかまえた。
軍は二手に分けられ。コヴァクス率いる八千が高原にとどまり。ニコレット率いる四千五百は高原の東にある森に身を潜めた。
タールコ軍を挟み撃ちにする策だ。以前ニコレットがそれにやられて、意趣返しといったところであろうか。
なんにせよカンニバルカは強敵である。真正面からまともにぶつかり合えば、勝ったにせよ被害は大きかろう。その被害を最小限度に食い止めるためには、なんらかの策が必要だった。
が、カンニバルカも馬鹿ではない。敵に策があることは予想しているであろうし。向こうも何らかの策はたてているだろう。
斥候が引き返し、タールコ軍間近に迫るとの報せをもたらす。
「いよいよだ」
コヴァクスはぽそっとつぶやいた。
高原の東の森の中。ニコレット率いる別働隊のほかに、戦況を見守ろうとする瞳。それは龍菲だった。
彼女は今度もこっそりと後をつけたが、自分はしゃしゃりでるつもりはなかった。
コヴァクスは、
「自分たちの手で決着をつけないといけないことだ」
と言った。
男として騎士としての誇りが、コヴァクスにそう言わせたのか。ことにニコレットは龍菲の密かな暗躍を喜んではいなかった。そこらへんの意識的な差は、暗殺者として育った龍菲は最初わからなかった。
が、今は、なんとなくだがわかる。
「そうか、コヴァクスは武侠の士だから」
故郷の昴には侠という概念がある。そこに武力が加われば「武侠」となる。
己の信念をもって戦う者を、昴ではそう呼んでいた。自分の戦いはあくまでも自分で決着をつける。
そう思えば、自分が手出しをするのが好ましくないとわかる。
ガウギアオスではコヴァクスの勇気に共感し、また乱戦の真っ只中だったので飛び入ることもできた。
しかし六魔との戦いのときは、
「私がいなければ、殺されていたわ」
と、龍菲は思っている。恩に着せるつもりはないが、彼女が危機に際してコヴァクスとニコレットを助けたのは確かだった。
そのうちコヴァクスは、見たことのない目の色で龍菲を見つめるようになったわけだが。
ともあれ、ここは見守るだけにしよう、と龍菲は気配を殺して高原にある紅の龍牙旗とコヴァクスを見つめていた。
タールコ軍にも、進路であるアニラスの高原にてドラゴン騎士団待ち構えるの報せがもたらされる。
東の森に別働隊が控えているところまでは、斥候は見られず。全軍高原にいるものと思い込んでいたが。
「ほう、やつら余裕だな」
カンニバルカはそう言いつつ、斥候に高原のことを聞いた。軍を隠せるような森はないか、という風に。
「そういえば、東に森がありました」
「ふむ」
カンニバルカの脳裏に閃くもの。
「やつら、きっと森に別働隊を隠しているぞ」
馬を進めながら、部将たちを自分の周囲に集めて言った。自身も挟み撃ちという手を使った。あのときは隠れる場所はなかったので、別働隊には迂回をさせて。本隊が敵軍とぶつかり合ったのを合図にして、突撃せよと命じていた。
ただでさえ必死で頭の回転が鈍り気味だったニコレットは相手が全軍だと思い込んでいたため、まんまと挟み撃ちを食らい散々に敗れた挙句に、忠実な副将ソシエタスを失うことになった。
挟み撃ちは作戦の常道でもあるが、あのときの意趣返しもあるだろう。
(わかりやすいことをするもんだのう。まだまだ若いわい)
見事オンガルリでの革命を果たしたドラゴン騎士団の小龍公と小龍公女とはいえ、やはりまだ若さがあると思うと可愛くも感じるものだった。
敵が挟み撃ちの策を講じていると大将が言えば。当然、ではどうなさるので、という部将の応えがかえってくる。
「そうじゃな」
しばし考えて、カンニバルカはにやりと笑った。いい考えがある、と言い、思いついたことを部将たちに語れば。
「なるほど、それはいい」
と部将たちは喜んだ。
「止まれ!」
カンニバルカは進軍停止の号令をくだすと、武装や備品の確認をさせた。
確認が済み、カンニバルカに報告が伝えられる。
「うむ、よかろう」
報告を聞いたカンニバルカはうんうんと頷き、軍勢にある準備をさせた。
しばらくして、準備が済んだ、という報告があがる。
「よし、進軍だ」
カンニバルカは得意気に号令して。
アニラスの高原向けて、タールコ軍はふたたび進軍をはじめた。
高原にコヴァクスの手勢。森の中にはニコレットの手勢。そして龍菲。
まだかまだか、とタールコ軍の到来を待っている。
高原に着き、タールコ軍を迎え撃つ備えをしてから、一夜を過ごした。
朝を迎えて、陽が昇り始め、二時間ほどしたときのことだった。
戦いはまだかと龍菲は木に登り枝の上からコヴァクスを見つめている。
「え……」
鼻に何か触れたようだった。
「なにかしら……」
龍菲は気になって森の奥へ、方角にして南の方へと枝と枝を飛び移りながら移動する。
ゆけばゆくほど、鼻に何か触れる感触が強くなってゆく。それはにおいだ。
木や葉、土のにおいではない。なにか別のにおい。やがては何か弾ける音も聞こえている。
「あっ!」
龍菲は飛び移った木の枝の上で立ち止まった。
「森が燃えている」
轟々と炎をあげつつ、森が燃え。煙が龍菲を包み込む。鼻に触れるものは木の燃える煙のにおいだったのだ。
炎は木から木へと燃え移り、森を飲み込もうとしていた。
炎の向こうに見えるのは、タールコ軍。なんとタールコ軍は木に油をかけ、そこに火をかけ。あるいは森に火矢を放っているではないか。
森を燃やし尽くす気か。
「待ち伏せが気づかれた」
龍菲は急いで引き返す。
炎を引き離しながら、枝から枝へと猿のように飛び移る。
「ニコレット、大変よ!」
森の軍勢が見えて、龍菲は大きな声でニコレットを呼んだ。
「え、なに、龍菲?」
ニコレットはいないはずの龍菲の声がして、驚いてあたりをきょろきょろと見回す。その声は軍全体に聞こえて、他の騎士や将卒もきょろきょろしていた。
「上よ!」
と言うので上を向けば、そばの木の枝には龍菲。
「あなた、いたの!」
またこっそりとあとをつけてきたのか、と呆れるやら驚くやら。しかし、切羽詰ったように自分を呼んだのはただごとではなさそうだ。
「一体何の用なの?」
「森の待ち伏せが見破られたわ。森が燃やされているわ!」
「なんですって?」
まさか、と思ったが。嘘をついて自分たちをからかっているのかと、少し思いもする。
「それはほんとうのことでしょうね」
「嘘だと思えば、見にいけばいいわ」
と南を指差す。
森は南と東へ向けて奥まっている。
森の中にも道はあるが、森を避けようと思えば南西方向から迂回せねばならない。タールコ軍は森の中の道にいて、火を放っているのだ。
ニコレットは龍菲がそこまで言うならと、二騎引き連れて森の中の道を駆けた。
走るにつれて、鼻を突くにおいがし、目がぼやけてくる。
(これは、煙!)
風向きを読めば、あろうことか南から北へと風はそよいでいるではないか。まさかほんとうに、と思いつつさらに駒を進めれば。
煙は濃くなり、目も突いてきて。炎が轟々と音を立てて、森を燃やしているではないか。その向こうは炎と濃い煙で見えないほど燃え盛っている。
「いけない!」
ニコレットと二騎は急いで引き返す。二騎は森の中の軍勢に、ニコレットはコヴァクスにその旨伝えに駆けた。
「お兄さま、一大事!」
言うのと同時に、風に運ばれた灰になった葉の破片が風に運ばれて飛んでくる。
それを見てコヴァクスら騎士や兵卒たちは、何事が起こったのか胸の中で嫌な予感が閃く。
「ニコレット、これは……、まさか」
丁度コヴァクスは灰となった葉の破片を掌で受け、駆けつけたニコレットに見せる。
「そのまさかです。森の中の待ち伏せが見破られて、森が燃やされています!」
「なんだとッ!」
伏兵見破られて森燃やされるの報せはまたたく間に全軍に伝わり、にわかに騒然としはじめる。
空を見上げれば、太陽に向かって煙がもうもうと空へとのぼっていた。
「森が燃やされているの!?」
セヴナは呆気に取られながら空へのぼる煙を見上げる。こうしている間にも、火は迫ってきている。タールコ軍を待ち構えながら消火作業などできるわけもない。
「伏兵を森から出せ」
指示するまでもなく、ニコレットの引き連れた二騎から森の火災を聞いた伏兵は急いで森から出てゆく。龍菲も一緒に出る。
風は南から北へ。
風向きは、まるでタールコ軍に自然が味方をしているようではないか。
「やむをえん、一旦退くぞ」
伏兵が森から出終わって、全軍一堂に来た道を戻り始める。それと時を同じくして、炎はさらに勢いを増して、木の上にまるで龍の舌のように炎の先端が見え隠れするようになり。風に乗って、北へ進み。
ついには、伏兵の潜んでいたところまで迫った。
龍菲が気が付くのが遅ければ、火災の発見が遅れて指揮も遅れて統率もあまりとれぬままに慌てて森から逃げねばならなかったかもしれない。
そう思うと、龍菲に複雑な気持ちを持つニコレットでも、さすがにありがたさを感じないわけにはいかなかった。
ドラゴン騎士団はやむなく森から遠ざかるように来た道を戻らざるを得なかった。その最中、すでにニコレットにいることを知られてしまった龍菲は開き直って、ちゃっかりとコヴァクスのそばまで来て、
「あ、龍菲、来てたのか!」
とたいそう驚かせたものだった。