第二十六章 故国奪還 Ⅴ
故国奪還なる。
コヴァクスとニコレットは民衆の熱烈な歓迎を受けて、入城した。
城内にいたタールコの官人は戦いに敗れたことを受け入れ、抗うことなくコヴァクスとニコレットを迎え入れた。
官人のひとりが、うやうやしくコヴァクスとニコレットの前に進み出て、王城内の宮殿につれてゆく。
そこは王の座と女王の座があった。そこは空席で、タールコの官人がならんで跪いていた。
「我らかくなるうえはオンガルリを引き払い、タールコに帰りましょう」
官人のひとりが、そう言うのを聞いてコヴァクスとニコレットは頷き。
「そのお気持ちに、感謝しよう」
と返した。
オンガルリとタールコは長らくの宿敵とはいえ、必要以上に敵対することは双方ともよしとしなかった。
コヴァクスとニコレットは宮殿の扉の前に立ち、そこから中には入ろうとしない。まずは、王族を招き、王族から宮殿に入ってもらうのだ。王の座にはカレル、女王の座にヴァハルラが座してくれればよいのだが、さて複雑な心境のヴァハルラは女王の座につくだろうか。
ともあれ、故国の奪還はなったのだ。
そのころにイクズスも入城し、郊外の軍勢が戦いに敗れて、タールコへの帰り支度を順調に進めている旨を、コヴァクスとニコレット、そしてタールコの官人らに告げた。
城外は、民衆が集まって。オンガルリがオンガルリに戻ったことをひらすら喜び。
「万歳、万歳、万々歳!」
の大合唱だった。
やはり、民衆としてもオンガルリはオンガルリであったほうが嬉しいようだった。
合唱の轟きは城の壁越しからも、響くように聞こえる。どれほどの人々がこのことを喜んでいるのだろう。
タールコがオンガルリを支配下に置いたときは、こんな歓迎はなく。淡々と成り行きを見守っていたというのに。
イクズスは官人たちに混じり、自身も跪き。壁越しに響く万歳の合唱を耳にしながら、おのずといたたまれぬ気持ちになってゆく。
彼自身オンガルリ人とて差別せず、タールコ人と接するがごとくオンガルリに接しオンガルリの「地域」を統治してきたという自負があった。その自負があったればこそ、潔く負けを認めて撤収するのだが。
結局民衆がオンガルリの統治に馴染む前に、ドラゴン騎士団に国を奪還されてしまった。それを跳ね返せなかった己の器量が、悔やまれて仕方ない。
ドラゴン騎士団、コヴァクスとニコレットが騎士道にのっとりイクズスをぞんざいに扱わなかったのが、せめてもの慰めであった。
コヴァクスとニコレットは、跪く官人たちを見つめて。あることが頭に浮かんだ。だがそれはまだ口にはしない。
民衆の万歳の響きに、自身も胸踊り上気するのを禁じえないのだが。それをおさえて、謙虚にタールコの官人と接する。
「我らはヴァラトノにある王族の方々をお迎えにゆく。それまでに、そこもとたちは支度をととのえ、国に帰られよ」
「仰せのとおりにいたします」
官人を代表し、イクズスが投げキッスを送りながら深く頭を下げ跪く。タールコにおける最上位の敬意の表明である。
コヴァクスとニコレットは、イクズスをはじめとするタールコの官人たちを見つめて、トンディスタンブールの天宮におけるシャムス皇后との出会いを思い起こしていた。
彼女は皇后としての威厳をたもちつつ、潔くガウギアオスの戦いの敗北を認め、リジェカ・ソケドキア連合軍を受け入れて。
自らは人質にもなる覚悟であったのだろう。
そんな皇后にコヴァクスとニコレットはもちろん、尊大な態度で彼女と接していたシァンドロスでさえ心を動かされて、皇后を捕らえることはせず、無事エグハダァナへゆかせた。
「オンガルリにとどまるうち、愛着を感じるようになり、残りたいと思う者もあろう。私としても、オンガルリの民となるのならば、それを受け入れてもかまわぬが。民衆の心はいま大きな喜びに包まれている。だがそれは、裏返せばタールコ憎しということでもある」
やわらかな、それでいて敢えて厳しい口調でニコレットは言った。
「無理に残れば、心無き民衆に危害を加えられるかもしれぬ。残念だが、タールコの官人は皆帰るのがよいと思われる。どうかわかってほしい」
「お心遣い、感謝いたします。戦いに敗れたとはいえ、ドラゴン騎士団に敗れたのなら、悔いはありませぬ。それがしが先頭に立ち、タールコの軍勢、官人を皆故国に帰るよう、責任をもって取り計らい。王族が入城されるまでに、ここを引き払いましょう」
イクズスがそう言うと、コヴァクスとニコレットは頷き、宮殿をあとにした。
ドラゴン騎士団は半分を都に残し。半分はヴァラトノにゆき、王族を迎えにゆくことになった。
ヴァラトノ行きの前に、コヴァクスとニコレットはマーヴァーリュ教会に赴き。筆頭神父ルドカーンとの面会を望んだ。
取次ぎの若い神父は興奮気味に、承知しましたと執務室へと駆けていった。
神父でさえこのように興奮しているのだ。オンガルリが、オンガルリに王国に戻ったことをコヴァクスとニコレットは痛く実感していた。それは賭けでもあっただけに、喜びもひとしおだった。
またこれを進言したイヴァンシムには、感謝してもしきれるものではない。
が、これで終わりではないのだ。まだまだやることがある。
オンガルリ復興の次は、リジェカの復興である。
リジェカには、あの強敵カンニバルカがいる。オンガルリ奪還はカンニバルカの留守をついたからこそできた所業であり、さてそれができないリジェカはどのようにして奪還すればよいのだろうか。
故国奪還としての喜びはあくまでもオンガルリに限った話で、まだリジェカがあると思うと、大きな喜びと大きな悩みを同時に抱かざるを得なかった。だから、民衆のように手放しで喜びを表現するにできなかった。
(思えば、はからずもふたつの国に仕えることになってしまった)
なにもかもが、はからずも、とはいえ。思えばあのクンリロガンハでの事変ののち異国へ流れ、自然すら敵に回るような苦難を乗り越えながら、なんのさだめか、シァンドロスと出会い、龍菲と出会った。
やがて、ドラゴンの夜と後世に語られる革命を経て、モルテンセン王を立て新生リジェカ王国を樹立させ。厚い信頼を受けて、リジェカにてドラゴン騎士団を再編することもでき、軍まで託された。
「オンガルリが復興されれば、リジェカとオンガルリはよき同盟国としてともに共存共栄をしてゆきたいものだ」
モルテンセンみずから、そう語ったこともあった。
コヴァクスとニコレットが王族、とくに王女と王子のことを語るとき。モルテンセンとマイアは、目を輝かせて話を聞き、またみずから尋ねることもあった。
王、王女といってもまだ幼い。きっと、あたらしい友達ができる、という無邪気な期待と喜びがリジェカの王と王女である幼い兄と妹の胸の中にあったことだったろう。
しかし、せっかく新生したリジェカは……。
(なんとしても、リジェカも復興させねばならない)
コヴァクスとニコレットは、モルテンセンとマイアを思い起こし。次なる志に燃えていた。
そんな考え事をしているとき、取次ぎの神父から、執務室においでください、と言われて、執務室に向かった。
戦いの直後なので、兜こそ脱いでいるものの、帯剣に鎧姿である。無礼と思いつつ、急ぐこともあるので、やむを得ぬと神に詫びる。
「お久しゅうござます。小龍公、小龍公女」
ルドカーンはうやうやしく、執務室にコヴァクスとニコレットを迎え入れた。
コヴァクスとニコレットは久しぶりに会うルドカーンのあたたかな笑顔に、我も笑顔となって、久方ぶりの再会を喜び。うやうやしく跪き。まずコヴァクスから口を開いた。
「こちらこそ、ご無沙汰しておりました。そうそう、筆頭神父より託されたクネクトヴァは、リジェカ王の侍従として、元気に仕えております」
「それは、よかった。彼のことも、かたときも忘れたことはなかった」
ルドカーンはクネクトヴァのことを聞き、わずかに目を潤ませた。やはり弟子はなによりもかわいいものらしい。
「幾多の苦難もあったでしょう。リジェカでのこと、私も聞き及んでおり心配しておりました。だが、逆境に負けぬあなたたちの働きのおかげで、オンガルリ王国が復興される。一国民として、感謝してもしきれぬ思いです。きっと、天国のお父君とお母君もお喜びであろう」
ルドカーンのねぎらいの言葉に、コヴァクスとニコレットは救われる思いだったとともに、次なる志に向けて闘志もより固くなるというものだった。
ニコレットは笑顔で、
「これも、筆頭神父の教えと祈りのおかげでございます」
とこたえた。
「なんの。いかに心を尽くして教えを与え祈りを捧げたとて、挫折してしまう者もある。神の教えはあくまでも道理。残念ながら『艱難汝を珠にす』は希なことです。それだけに、あなた方の心の強さにより、神の守りも強くなったのでしょう。心こそ大切なれです」
「筆頭神父よりのお褒めのお言葉、恐縮です」
ルドカーンには人を威圧するような押しの強さはないが、会えば思わず心やわらぎ、かしこまってしまう。いわゆる、威厳があった。それは、シャムス皇后と同じようなものかもしれなかった。
動のドラヴリフト、静のルドカーンと、国で人気を二分するのも頷けるというものだった。
「王族をお迎えにゆく前に、筆頭神父のご尊顔を、と思い立ち寄らせていただいた次第ですが。お会いできて、ほんとうに嬉しく思います」
そうニコレットが言うと、ルドカーンはふたりの目を見つめて、言った。
「次は、リジェカでございますな」
「はい」
思わず、ふたり同時に返事をした。ルドカーンは、兄と妹の戦いはまだまだ続く、と見ていた。ふたりが、ふたつの国に忠誠を誓っていることも。
「神は、一見この奇妙とも思えるさだめを、あなた方にお与えになったものですな」
「なぜ神は、このように我らを導かれたのでしょう」
コヴァクスは疑問を口にした。二国に仕える、などいままで考えもしなかったことだった。
「それは、あなた方に使命があるからでしょう」
「使命……」
ニコレットは、もっと答えを求めるように、色違いの瞳をルドカーンに向ける。
「いま、歴史は大きく動いております。三百年以上続いたオンガルリ王国も、一旦その歴史が閉ざされ。また、ヴーゴスネアの戦乱から新たな勢力が興り、ついにタールコの帝都まで征したではありませぬか」
ルドカーンの言葉を、コヴァクスとニコレットはじっと聞き入っている。
「おそらく人の世は、動乱期に入ったのでしょう。そうなれば、もはや国の一国や二国の問題ではなくなる。ならばこそ、神は、あなた方に国を越える働きをするように、導かれたのでは、と」
ルドカーンは、じっくりと考え、言葉をつむぎだし。兄と妹に、啓示を与えるように語った。
「あの、カンニバルカとてなんらかの使命あって、この世に出たのでございましょう。それは魔の使いかもしれませぬが、逆に考えればカンニバルカはどうしてもあなた方が乗り越えねばならぬ試練なのかもしれません」
「まさに、正念場ということですね」
「そうです、小龍公女。神も嘆かれる乱世、ならばこそ、善につけ悪につけ、この世に出る者もあるというもの。小龍公、小龍公女がこの世にお生まれになったのも、その使命があってのこと」
「そして試練を乗り越えよ、と神は申されるのですか」
「左様、小龍公よ、そのとおりです。これはご神託のみならず、人々からも託されているものと考えた方がよろしいかと」
「だから、使命なのですね」
ルドカーンが語るのを聞いて、己の身に、いかに重いものを背負わされているのかと、痛感させられる思いだった。
これから逃げようと思えば逃げられよう。しかし、逃げたとて、その先に何が待ち構えているというのか。
「神のご加護を」
その言葉をかわして、コヴァクスとニコレットはルドカーンと別れた。
ヴァラトノへ、出発である。
都にとどまるドラゴン騎士団をたばねるのは、もはや長老の風格さえ出始めてきたマジャックマジルである。
紅の龍牙旗は、コヴァクス自らが掲げた。
己こそがドラゴン騎士団であり、オンガルリ王国、王族に仕える臣下である。という自負の現われだった。
コヴァクスとニコレットが都ルカベストからヴァラトノへと向かおうというときも、民衆の熱は覚めやらず。
故国を奪還したドラゴン騎士団、小龍公コヴァクス、小龍公女ニコレットはまさに英雄であった。
老いも若きも男も女も、コヴァクスとニコレットを先頭とする隊列を挟み、熱いまなざしを送っている。
そのまなざしはドラゴン騎士団の隊列が郊外に出て、見えなくなるまで、そそがれた。