第二十六章 故国奪還 Ⅳ
夜が明け、朝日が昇るとともに紅の龍牙旗を先頭にしたドラゴン騎士団がルカベスト郊外にあらわれた。
「きました!」
タールコ軍は騒然とし、剣を抜き突撃体勢をとる。
それはドラゴン騎士団も同じで、斥候の報せどおりルカベスト郊外まで来てみれば、タールコ軍が陣を敷いて待ち受けていた。
「都を戦場にせず、郊外で戦おうというのか」
コヴァクスは自分たちに痛いほどの視線を向けるタールコ軍を見据えて言い、内心安堵する。どうしても、という場合であろうとも、都が戦場になるのはいやなものだった。
「抜剣!」
ニコレットの号令で、騎士や兵卒らは剣を抜き槍や槍斧をかまえ、こちらも突撃体勢をとった。
周囲に緊張が駆け抜ける。
イクズスははためく紅の龍牙旗を見据えている。
タールコ軍はかき集めるだけかき集めてその兵力は二万。数はやや少ない。しかし、奇をてらわず正面からの真っ向勝負で挑む。
「意気に感ずれば神も助けたもう。者ども、死ぬ気でドラゴン騎士団と戦え!」
イクズスは叫ぶ。タールコ軍も昨夜大飯を食わせて鋭気がつちかわれたか、
「応!」
と刃を掲げて勇ましくこたえた。
「かかれ!」
わっ、とタールコ軍はドラゴン騎士団に向かって駆け出した。
「かかれ!」
タールコ軍が来るのを見て、コヴァクスとニコレットも自ら先頭に立ち突撃を開始した。
双方真っ向からぶつかり、激しく刃を交えた。
コヴァクスとニコレットは、いままでの鬱憤を晴らすかのように、剣を振るいタールコの兵卒を薙ぎ倒しながら戦場を駆け巡った。
紅の龍牙旗を掲げるマジャックマジルも老骨に鞭打ち、コヴァクスとニコレットのそばを離れず戦場を駆け巡った。
イクズスも剣を振るいよく戦った。
まっすぐにコヴァクスとニコレットを見据え、その方へまっしぐらに駆けていた。大将同士、一騎打ちで雌雄を決しようとするのか。
というとき、かたわらの将校が、
「げえっ」
という悲鳴を上げて馬から崩れ落ちた。と思えば、白い衣をまとった女がいつのまにか戦場にまぎれこんでいるではないか。
「なんだこの女は」
イクズスは驚き、女を見据えた。そしたらば、女もこちらを見据えている。
「おのれ」
と兵士が女に刃を振りかざすが、
女は軽やかな身のこなしで刃をかわし、おかえしとばかりに掌を兵士にぶつけた。
兵士は血を吐き、吹き飛ばされて絶命する。掌をぶつけられた箇所は、砕かれていた。
「よ、妖術か」
掌でどうやって相手の身体を砕くのか。そんな技を見せられてイクズスは仰天したが、同時にはっとした。
「女、ファハールとアサデを暗殺したのはうぬか!」
だが女はこたえない。
この女が、龍菲であるのはいうまでもなかった。
そう、龍菲はルカベストに先回りし、指揮官ふたりを前もって暗殺したのだ。
戦場を駆け巡るコヴァクスとニコレットは敵の大将を求めて、ひたすらに血路を開いていった。
タールコ軍も背水の陣に追い込まれているだけあって、必死に戦ってい健闘していた。一進一退の互角の戦いである。
かくなるうえは、大将首を、とコヴァクスとニコレットは大将らしき豪奢な装いをするイクズスに向かって駆けようとしていた。
だが、その大将に女が飛び掛って、掌をぶつけようとするのが見えた。
(あれは!)
「殺すな! 龍菲」
コヴァクスは咄嗟に叫んだ。それが聞こえたのが、女はぶつけようとした掌を外して。着地し戦場の混乱の中に溶け込んで姿を見せなくなった。
「あれは、龍菲だったのか……」
咄嗟にその名を呼んだとはいえ、はっきりと見たわけではないのでそう言い切れる自信はなかった。しかし、戦場に紛れ込んで敵大将に接近し掌で相手を攻めるのは、龍菲しかいないではないか。
が、それはもう姿を見せない。
「お兄さま!」
ニコレットに呼ばれてはっとするコヴァクス。やや呆けていたようだ。
「あれが龍菲かいなかより、敵大将を」
「お、おう」
コヴァクスはタールコの兵士を薙ぎ倒し馬脚で蹴り飛ばししながら、イクズス向かってグリフォンを駆けさせた。
それより、ニコレットも龍菲の姿を見たようだ。マジャックマジルも、他の騎士や兵卒も、龍菲の姿を見ていた。
しかし龍菲を知らぬ者たちは、なぜ敵大将が女にやられそうになったのかわからず。そろって幻を見たような思いだった。
(あれは龍菲だ。そうに違いない)
その名を呼んで、反応をしめしたのなら、そうだろう。やはり龍菲は自分たちをつけていたのだ。
ならば、タールコの指揮官をふたり暗殺したのも龍菲であろう。
(よかれと思ってのことか)
龍菲は龍菲なりにコヴァクスを助けようとしたのだろうが、あくまでもこればかりは、コヴァクスやニコレットの手によって決着をつけねばならぬ戦いである。
当のイクズスといえば、突然女に襲い掛かられて、あやうくそれに討たれそうになり、心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
この大事な戦いで、どこの馬の骨とも知れぬ女に討たれたなどまさに不名誉なことである。死をいとわぬといえど、そんな不名誉な死ばかりはしたくないものだった。
「あれはなんだったんだ」
女はいつの間にか姿を消していた。あっという間にこの戦場を抜け出したのだろうか。
「御大将を守れ!」
イクズスの周囲を将校や兵卒が囲み鉄壁の守りをなす。
そこへドラゴン騎士団が押し寄せてくる。
彼らも故国奪還のために必死だった。命を惜しまず、タールコ軍に立ち向かっていた。
「なんとしても大将を」
コヴァクスとニコレットは気を持ち直して、イクズスめがけてまっしぐらに駆けた。
紅の龍牙旗も続く。
そしてついに、コヴァクスとニコレットは、イクズスの間近まで迫った。
イクズスの周囲にはタールコの騎士や兵士が取り囲んで敵を近づけまいと刃を向けてくる。だがコヴァクスとニコレットとて命を惜んではいない、ままよ、と剣を振るい敵兵を薙ぎ倒す
「敵将、イクズス殿とお見受けいたす。いざ我との一騎打ちにて雌雄を決せん」
コヴァクスは勢いに乗り、鉄壁の守りを突き崩し、イクズスに迫った。
「おう、うぬは小龍公か。相手に不足なし」
イクズスも決死の覚悟でコヴァクスとの一騎打ちの臨んだ。
激しく刃ぶつかり、火花をちらす。
だが、武においてはコヴァクスが一歩抜きん出ており、徐々にイクズスは押され気味になり。相手の剣を受けるのもやっとの状態だった。
やがてイクズスの剣はコヴァクスによって弾き飛ばされ、無手となったところを、喉元に剣を突きつけられた。
「どうする、まだ続けるか」
「……」
イクズスは憎しみを込めた眼差しをコヴァクスに送った。イクズス自身、この勝敗は見えていたようだが、それでもすんなり負けを認めるほどお人好しというわけではないようだ。
「降参すれば御身はもちろん、ここのタールコの軍兵たちも無事タールコへ帰そう」
その言葉に、イクズスは大きく息を吐き、観念して。
「わかった、降参しよう」
と言った。
決着はついた。
イクズスは降参すると決め、自軍に向かって、すぐさま戦いをやめて武器をすてるよう下知をくだした。
タールコの騎士や兵士たちは、まだ戦えるのに、と思いつつ。大将が降参を決めた以上はこれに従わねばならないと、戦いをやめて、武器を捨てた。
それと入れ替わりに、勝った、という叫びがドラゴン騎士団から発せられる。
「勝った。勝ったぞ! ドラゴン騎士団万歳、オンガルリ万歳!」
万歳の轟きが四方から発せられ。それを耳にしつつ、タールコ軍は武器を捨てる。
皆身震いしていた。一方は勝利のために、一方は敗北のために。
丸腰となったタールコ軍は一箇所にあつめられ。それをドラゴン騎士団の軍勢刃を向けて取り囲む。
コヴァクスとニコレットは馬を降り、すでに下馬し座り込んでうなだれているイクズスのもとに向かった。
「小龍公に小龍公女か」
「いかにも」
勝者として毅然として態度でコヴァクスとニコレットはイクズスを見下ろす。
「あなたが降参したおかげで、犠牲も最小限にとどめられた。不本意であろうが、そのお心に感謝する」
「それで、無事タールコに帰してもらえるのであろうな」
「約束は守る。騎士として」
イクズスはうなだれつつも、顔を上げてコヴァクスとニコレットの目をじっと見据えた。真剣な眼差しに嘘はなさそうだった。
「ひとつ、頼みごともあるのだが、聞いてもらえまいか」
「なんでござろう」
「我らはシャムス皇后とお会いしたことがある」
「皇后と……」
「皇后は我らを丁重に迎え入れてくれた。そのお気持ち、今も感謝していると伝えてほしい」
帝都陥落の折り、シャムスは敗北を認め、自らリジェカ・ソケドキア連合軍の面々を迎え入れた。もしそこで抵抗しようとすれば、勝敗はどうあれ数多の血が流れおおいなる破壊もともなったことであろう。
今でこそシァンドロスのソケドキア領内に組み込まれたトンディスタンブールだが、帝都が今も平穏無事なのは、シャムスの判断によるところが大きい。
コヴァクスとニコレットは、シャムスの人となりにおおいに感銘を受けるところがった。
「わかり申した。お伝えいたそう」
とイクズスは言った。
それから、タールコ軍はドラゴン騎士団の監視つきで一旦設営していた陣地に戻り支度をさせられていた。これが済み次第、タールコに帰るのだ。
最初失望の色を浮かべていたタールコの兵卒であったが、支度し帰るとなると、徐々に気も取り直してきたようで、時折談笑も聞こえることもあった。
コヴァクスとニコレットは百騎ほど率いて都ルカベストに入った。紅の龍牙旗とともに。
都に入るや、
「ドラゴン騎士団、万歳!」
という熱い歓迎を都民から受け。たくさんの人々が、コヴァクスやニコレットを取り囲み、あとを追った。
「まるで、夢の中にいるよう」
ニコレットは瞳を潤ませていた。
幾多の苦難の末に、賭けに出て故国奪還をはかったのだが。
それが現実のものになろうとは。
声援は紅の龍牙旗にも送られた。
思えば、前にコヴァクスやニコレットはもちろん、紅の龍牙旗が都入りするのはいつのことであったろうか。