第二十六章 故国奪還 Ⅲ
都ルカベストは騒然としていた。
ドラゴン騎士団が復活し、オンガルリ人勢力を率いて都を目指していると。
「ドラゴン騎士団はリジェカで壊滅したのではなかったか」
「まだ小龍公と小龍公女はご健在であったということか」
人々はドラゴン騎士団の話でもちきりだった。突然の政変で国はタールコの支配下に置かれた。幸いタールコ人の代官は暴政を布かず、信教の自由も許し。よく国を治めていた。それでも、人々の心にはしこりのように、オンガルリ、ドラゴン騎士団への未練があったようだ。
真正面からぶつかり合っての勝負を経てのことならまだ納得できるというものだが、正面からの戦いを避けての策略による政変で、オンガルリはタールコの支配下に置かれることになったのだから、納得しきれぬところがあっても、無理はないことだったろう。
その代わりのように、代官イクズスが自ら手勢を率いてドラゴン騎士団を迎え撃つという。 軍勢が、ルカベストの郊外に集結していた。
都である。人も多ければ、考えも様々。中には、蜂起して都民自らの手によってルカベストを解放し、ドラゴン騎士団を迎え入れよう、と言う意見もあったが。
大多数の人々はどちらかといえば、穏健というか、イクズスとドラゴン騎士団の戦いを見届けようとしていたので、実際に蜂起は起こらなかった。
その裏では、マーヴァーリュ教会筆頭神父ルドカーンの果たした役割も大きい。はじめ少数でも蜂起が起きて、なにかのきっかけで一気に広まれば都は火の海になり無用の流血も起こるかもしれないのだ。
それをさせぬために、ルドカーンは必死に、ドラゴン騎士団を信じて人々に戦いを見届けるよう説いてまわった。
イクズスが近しい将校を率いて、王城から郊外に向けて出陣する。
銅鑼や太鼓の音が響き、人々は黙って、固唾を飲んで出陣するイクズスの手勢を見守った。
こうなったのも、指揮官がふたり不審死を遂げてしまったからだと、耳ざとい者は知っていて。人々に広めもしていた。
おかげで、ドラヴリフトとエルゼヴァス夫妻の呪いは、オンガルリ人にとっては神の祝福に等しく思えるほど、幸先のよいことだった。
イクズスを遠くから見つめる黒い瞳があった。
それは布で顔を覆っていた。
「政治家としてはともかく、武人としては二流ね。ならばもう私の出る幕はないかしらね」
これなんは龍菲であった。
なんと龍菲、先回りしてルカベストに赴き。得意の武功をもって、指揮官となる武人をふたり暗殺したのだった。
無論最初からファハールとアサデのことを知っていたわけではない。城に忍び込み、誰が代官で誰が戦いの指揮官となるのか、調べ上げ。その上で暗殺したのだ。
かつて龍菲は暗殺者だった。昔取った杵柄というべきか。
人々の間で指揮官の不審死が、呪いではないかとささやかれていることももちろん知っていている。
これも、ことがドラゴン騎士団に有利に運ぶようにするためだった。
どうしてそこまでドラゴン騎士団、コヴァクスに肩入れするのか、自分でもよくわからないが。すべては、コヴァクスの自分を見つめる瞳がそうさせているように思えてならなかった。
コヴァクスは、今まで自分が見たことのない目の色で、自分を見つめていた。
ともあれ、自分の出る幕はないとなれば、あとは高みの見物を決め込み。ドラゴン騎士団とイクズスの手勢の戦いを見届けようと思った。
「代官は、死ぬ気ね」
なぜイクズスが篭城をやめ、郊外でドラゴン騎士団と渡り合おうとするのかを、龍菲は当たっているかどうかはともかく、察していた。
暗殺転じて、呪いの効果は思った以上にてきめんで。篭城をしたとて、篭城の最中にドラヴリフトとエルゼヴァス夫妻の呪いで将校や兵卒が次々と死ぬかもしれない、という言いようのない不安を、確かにイクズスは抱いていた。
いわば、勝ち目がない運命なのだ、と。
おめおめとタールコ本国に帰るのも、気が引ける。ならば、潔く戦って、死のう。
そう、イクズスは覚悟を決めているのかもしれない。
これが昴であれば、すぐに武功による死であると判明し、暗殺者の捜索が始まるのだが。ここはオンガルリである。武功を知らないタールコ人やオンガルリ人は、見たことのない傷で人が死んだことを、呪いであると早とちりしたのだ。
龍菲はそれがなんだかおかしかった。
ドラゴン騎士団は進む。
紅の龍牙旗をなびかせて。
ルカベストはともかく、オンガルリ各地で蜂起、革命が起き、タールコ人は追い払われて、行く先々でドラゴン騎士団はあつい歓迎と声援をうけた。
それはドラヴリフト在りし日のドラゴン騎士団のように。ドラゴン騎士団は、復活したのだ。
コヴァクスとニコレットは胸に熱いものが込み上げるのを禁じえなかった。
強敵カンニバルカの留守をついて故国に侵入し、ヴァラトノで同志たちと蜂起、革命を起こした。そこから、革命のうねりはオンガルリ中に広まっていった。
だが時間までが味方するわけではない。オンガルリでの革命がリジェカのカンニバルカに知れ渡れば、きっと彼は帰ってくる。
それまでにルカベストを制圧し、名実ともにオンガルリを復興させなければならない。
ドラゴン騎士団をはじめとする二万五千の軍勢は、まっしぐらに都ルカベストを目指した。
その最中、はなっていた斥候から、タールコの軍勢が郊外で待ち構えているとの報せがもたらされた。
ルカベストが戦場になってしまうかどうか、はコヴァクスとニコレットの憂うところであった。いかに故国復興のためにとはいえ、都を戦場にするのは抵抗があった。
都が戦場になる、というのは、先のリジェカ内乱で思い知っている。
同時に、指揮官ふたりの不審死の報せももたらされる。それをタールコ人は、ドラヴリフトとエルゼヴァス夫妻の呪いではないかとささやいているという。
「そんなことがあったのか」
馬上、進軍しつつ報せを聞いたコヴァクスとニコレットは、父と母が悪霊になって人を呪い殺すなどとは、考えられなかったし、考えたくなかった。
ことはドラゴン騎士団に有利に進んでいるのは確かだが、これは、ちょっと、できすぎであろう。
「聞けば、ひとりは顔面を、ひとりは胸を砕かれて絶命したそうにございます。それも素手によるものだと。そんなことはありえぬということで、人々は呪いと怖れているようでございます」
「なに……」
そのために、代官イクズスはたいへん恐れをなし、篭城をあきらめ勝敗を問わず郊外での短期決戦にもちこもうとしたようなのだ。
素手て顔面を、胸を砕く。
「そういえば、お兄さま」
「うむ」
庁舎にて、同じような傷で絶命したと思わしき兵士のなきがらがあった。なにか、変な予感がするものだった。
なぜそんな死に方をしたのか。ヴァラトノのタールコ人代官は、支度をするやいなやさっさと出て行ってしまい、その話を聞くことはなかった。
コヴァクスとニコレットも不思議に思ったが、やることがあるので、いつの間にか忘却の隅に追いやられていたが。それが、報せを受けて蘇った。
「もし、それができる者があるとすれば」
「龍菲、というのですかお兄さま」
「しかし龍菲には、フィウメに残るように言いつけてあるのだが……」
「でも、龍菲は相当の手練れ、抜け出そうと思えば抜け出せるのでは」
「オレたちを、追いかけてきたというのか?」
「ありえぬことではないでしょう」
「ううむ」
あの、つかみどころのない性格だ。フィウメを抜け出して、自分たちを追ったとしても不思議はない。
それが先回りして、都ルカベストでタールコ人ふたりを暗殺したのか。
ありがたいといえばよいのか、余計なことをというべきか。
他に、龍菲のような昴人の手練れがいたとも考えられるが。それがドラゴン騎士団に有利になるような暗殺をするとは思えない。やはり、龍菲なのか。
コヴァクスは眉をひそめ、嘆息した。
「昴には、騎士道というものはないのか。騎士としては、暗殺などで助けられても、名誉ではないというのに」
「昴にも騎士道なるものは、あるでしょう。しかし、龍菲はあのとおりつかみどころのない気質。国は関係なく、彼女は彼女なりに、よかれと思ってのことでは」
ニコレットもため息をつきつつ、自分なりの見解を述べた。
国や民族で気質が定められる、ということはないのは、ふたりともわかっている。
イカンシがそのいい例だ。オンガルリ人でありながら己の欲望のためにタールコと裏でつながっていたことは、調べがついているのだ。
リジェカもまっぷたつに分かれて反乱に内乱という事態にまでなって、おなじ国民同士での流血沙汰があった。
人とは、わからぬものである。国や民族など、せいぜい参考程度にしかならないものだ。
それがわかっていても、国や民族によって反目をし争う。いったいなにが、人をそうさせるのだろう。
「彼女なりに、よかれと思ってか」
コヴァクスは空を見上げた。青空に、雲が流れている。
「まるで雲のようだ」
と、ぽそっとつぶやいた。
ドラゴン騎士団来たる、の報せが郊外にて陣を敷くイクズスのもとにもたらされた。
斥候によれば、明日には、ここまで来るであろう、とのことだった。
「よしわかった。兵士たちに大飯を食わせ、鋭気を養わせておけ」
イクズスはそう下知をくだし、みずからも近しいものを集めて、幕舎の中で酒宴をはじめた。
「タールコとオンガルリは、思えば先祖代々からの宿敵であった。その戦いに終止符が打たれたはずであったが、そこはやはり、ドラゴン騎士団というべきであろう。先祖代々からの宿敵ならばこそ、再び立ち上がってタールコと雌雄を決しようとしている」
イクズスは杯をもって、近しい者たちに語った。
「その戦いもいつかは終わるであろうが、我らの代ではないことは、間違いない。しかし諸君! 最後の勝者は、やはりタールコであらねばならない。子孫に笑われぬよう、明日は勇敢に戦おうではないか!」
言いながら、イクズスは杯の酒を飲み干し。他の者たちも、
「応!」
とこたえて、杯の酒を飲み干した。
いつしか、タールコでうたわれていた歌が陣内に響き始めた。
兵士たちが興に乗って、うたいはじめたのであろう。
イクズスはその歌を耳にしながら、羊の肉を口に放り込み、再び杯の酒を飲み干した。酒はタールコからとりよせた麦酒だった。
さて明日も麦酒が飲めるかどうか。歌が聴けるかどうか。
どちらかといえば文人よりのイクズスは、思わず感傷にひたりながら、明日の戦いにのぞむ覚悟を決めていた。




