第三章 クンリロガンハのわかれ Ⅳ
最初は楽しそうにしていたニコレットも、色違いの瞳をいからせて本気になってくる。額にはびっしょりと汗をかいている。それはコヴァクスも同じだった。
もし父がその気になれば、いともたやすくふたりは斬られてしまう。が、さすがにそこまではせず、危ないと思ったら寸止めする。これに対して、父が気兼ねなく剣を振るえるようにすることが、ふたりの子の課題であった。
が、その課題達成まで修練はまだまだ必要そうである。
ドラヴリフトの目が、夜であるのに、きらりと光ったのがはっきりとわかった、ような気がした。それとともに、父の剣、唸りを上げて風を切り。
「あッ!」
「う、おわッ!」
とニコレットに続きコヴァクスが声を上げれば、ニコレットはややうずくまり気味に剣を落として左手で右手の手首をおさえ。コヴァクスは剣こそ落さなかったものの、両手で柄を握りしめ、石にでもなったかのように身動き一つしない、いや、出来ないようだった。
強い衝撃が走っては首筋から背筋にかけてすさまじく駆け抜けたようだった。
「馬鹿者!」
ドラヴリフトの怒号。
「王よりの沙汰を待つと見せて、怠惰を貪っていたようだな。我が跡を継ぐ者が、そんな体たらくでどうする。恥を知れ!」
そんな、とコヴァクスは父をにらむ。怠惰を貪っていたなど言われるのは心外であった。鍛錬怠らずにいたのは、さっきまで素振りをしていたのを見れば明らかではないか。
ニコレットはじっとうつむいて父の言葉を聞いている。まるで平手打ちを受けたような気持ちだ。
「ソシエタス!」
ドラヴリフトは他の将卒らとともに稽古を見学していたソシエタスの方を向くと、
「今夜一晩中、ふたりの稽古を監督せよ」
と言うと、今度はふたりに向き直り。
「言ったとおりだ。怠惰の罪として、今夜寝ることは許さん。日の出まで、ふたりで稽古をせよ」
背中を見せて自分の幕舎へと戻るドラヴリフト。ふたりの子、コヴァクスとニコレットは呆然と互いに目をやり、それから憮然とする。
「大龍公の言われたとおりです。さあ」
ソシエタスは剣を拾い、ニコレットに差し出す。
父からの命令は王命に次ぐ重さ。ニコレットは剣を受け取り鞘におさめると同時に、稽古用の刃引きの剣が手渡される。ソシエタスが配下に命じて用意させたものだ。
いいとばっちりだと苦笑しながらも、自身も同罪であるとの解釈をもってふたりの稽古を監督するソシエタス。
闇夜の静寂の中、剣の交わる音が響きわたり。時折光る火花散る。
コヴァクスとニコレット、振るう剣の重さに、将来背負うものの重さをも感じ取っていた。
そのとき、センナピクエト山では、ドラゴン騎士団討伐のバゾイィー王率いる討伐軍、あるいはフェニックス騎士団が、闇夜の静寂に包まれてやすらかに眠っていた。
その一方、カトゥカは松明で闇を切り開き、クネクトヴァは片手に短剣をもち、気を張りめぐらしおぼろな夜目を利かせながら手探りで、森の中の道を進んでいた。
松明は途中の集落で譲ってもらったものだが、いつまでもつのか。おぼろげに闇よりすくい出される木々の向こうはまた闇で。進めど進めど、闇から生い茂る木々に草花が闇から姿をおぼろげにあらわすばかり。
「きゃあ」
とカトゥカが声をあげれば、
「うわ!」
とクネクトヴァも声を大にして叫ぶ。
木のくぼみが、人の顔に見えて、幽霊だ! と恐怖を感じたらしいが、その正体がわかると、
「なーんだ、ただの木かあ」
とことさら馬鹿馬鹿しそうにつぶやくクネクトヴァ。
「木かあ、って怖がってたくせに」
「先に声出したのはカトゥカだろ」
「あれは威嚇の声を出したの」
「うそつけ! きゃあ、が威嚇かよ」
「あたしの場合はそうなの。あんたはあんたで、うわ、って言ってたじゃないの。あれはほんとうに怖そうだったわよ」
「それは聞き間違いだ。うわ、じゃなくて、うお、って言ったんだ。盗賊かと思って、来るなら来いって気合を出してたんだ」
「はいそれうそ! あんたも……」
と言い合いになろうとするとき、風がふたりと森の木々をなで、風のささやきに応じて木々に草花のざわめきが闇夜に響いた。かと思えば、ほう、ほう、と梟が静かに鳴いたかと思えば、空を弾くような羽ばたきの音をさせて、突然ふたりの頭上をかすめていって。
「わあ!」
と梟の羽ばたきに弾かれるように、ふたりは遮二無二に駆けた。
手をつないで。
が、はっ、として立ち止まると、互いに目を合わせて。それから手をつないでいたことに気付き慌てて離して。
「ここどこ!」
とそろって叫んだ。
あろうことか、道から外れて森で迷子になってしまった。クンリロガンハへの道は知らぬでもない。ルドカーンとともに、郊外の町や村などの集落へ出向いたこともあるし。かつて腕白ざかりのころ、よく冒険に出かけては、ルドカーンを心配させた。
都ルカベストから少し外れると山に入り、森に分け入ることになる。軍隊が通るような道は森の中でもよく整地されているが、そこから外れた裏道は細く昼でも暗い、でもだから、子供心をわくわくさせる冒険を与えてくれていた。
クネクトヴァにとって、都から外は見るも聞くもなにもかもが初めてのように、いつも新鮮な気持ちにさせてくれる居場所のようなものだったし。心の中ではいつも、広い世界を夢見ていた。
だから危急の遣いを託された。
が、咄嗟のこととはいえ、それからも外れてしまった。
うまくいけば、王より先に、クンリロガンハにいるドラゴン騎士団と合流できるはずだったのに。
「どうしよう」
と途方にくれた。
周囲を見渡しても、森の中、闇の中。いま自分たちがどこにいるのか、皆目見当もつかない。動けない。
そんなふたりをからかうように、そよ風がふたりの頬をなでた。
(あれ)
カトゥカはふと、風上に向かって歩き出す。クネクトヴァは、どこにいくんだ、と呼び止めるが。
「いいから、着いてきて」
と止まらない。かと思えば、松明が闇からすくい出す景色にふたりは、あ、と声を上げた。
「道だ!」
突然足の感触が、しっかりしたものにかわった。松明をかざして、周囲をよく見渡す。森の中に、よく整地された道が走っている。それはクンリロガンハに通じる道だ。そこに、いる。
「やった、道に出れた!」
第六感とでもいうか、そよぐ風がどこか力強く感じられた。それは障害となる木々の少なさを物語っているように、カトゥカには思えたのだった。
「えへん、感謝しなさいよね」
「えらそうにいうな」
得意なカトゥカに、クネクトヴァはほっぺをぷっと膨らませて、ずんずん進む。もう、けち、と言いながらカトゥカも進む。いつでもすぐ隠れることが出来るように、道の端を歩きながら。
しかし、疲れた。不眠不休だった。それだけ必死だった。
だけど、王より先にドラゴン騎士団と会えそうだ。その期待を胸に秘め糧として、ふたりはひたすら歩いた。
だが、しばらく歩いて、ふたりは石になったように動かなかった。
オンガルリ王家の紋章の旗が、向こうに見えた。王の親征軍が、ここに駐屯していた。
「そんな」
震える足をどうにかあやつり、森の茂みに隠れた。幸い見張りは居眠りをしていたので、ばれずにすんだ。
クンリロガンハへの道は知っている、と思って得意になって歩いていたが、こんな深夜になっても森の中にいたのは初めてだった。そのせいか、道を間違えてしまったようだ。
知っているという慢心が、過ちに導いたようで。クネクトヴァは悔恨の念に駆られて頭をかかえる。だけどカトゥカは勇ましいもので、
「もうこうなったらしょうがないじゃない。森の中を歩いて、軍隊を追い越しましょうよ」
と言う。
「もしばれたらどうするんだよ。オレばかりかルドカーン様も危ない目に」
「でも、ほかの道がわかるの」
「……」
わからない。クネクトヴァは黙り込んだ。どうしようと、思案に暮れていると、
「誰だ、出て来い!」
という声が聞こえた。とともに、おい居眠りするな、という叱咤の声も聞こえた。他の見張りに見つかっていたようだ。
ままよ。
と、弾かれるように、ふたりは森の中をひた走りに走った。
「曲者だ!」
闇夜をつんざく警笛の音が響いた。それにともない、駐屯する軍隊がにわかに賑やかになってゆく。
もうふたりは走った、走りに走った。
どこをどうとかどこに向かうとか、考える余裕もなく。気がつけばカトゥカは松明を捨てて、真っ暗闇の中を、ふたり手をつないで、木にぶつかり草に足をつかまれながら、走りまくった。
そこには、
「死にたくない!」
という、生々しいまでの生存本能だけがあった。
光りがふたりを追ってくる。それは死をもたらす死神の光りのように感じられた。と思ったら、足の感触がしっかりした。森を抜けたようだ。でも真っ暗闇なのでわからない。光は執拗にふたりに迫ってくる。その光が、今いる場所を照らす。
さっきの道だ。が、前にも後ろにも旗がない。光が動いて、道が照らし出される。ふたりは後先考えずに、光の指し示した道をひた走った。
はるか後ろで、すばしっこいだの、馬を曳けだの、と叫んでいるのが聞こえた。が、そんなもの意識するゆとりもなく、ただ走った。
すると、前方で何か聞こえたような気がした。本能のなせる業が、とっくに足を止めて聞き入る。それは馬の蹄の音だった。
「おわった」
とふたりは力が抜けて、その場にへたりこみ、死神の到来を待つのみ。馬の蹄の音は、近づいてきて、松明の明かりも見え出す。目を凝らしてみれば、騎士が三騎、一人は松明を持ち、一人は旗を持っている。声がする。遠くに来すぎてしまっただの、もうそろそろ引き返そうだの。
でもどうでもいいやと、静かに来るのを待っていれば、
「人がいるぞ」
という声。それから蹄の音が早くなり、「おい」という呼びかけの声。無気力に顔を上げれば、
「あ、ああ!」
と抜けた力が戻ってくるような気分だった。一人が持つ旗は、三本の牙の紋章、ドラゴン騎士団の龍牙旗だ。
「ど、ドラゴン騎士団の方ですか」
「そうだが、お前はだれだ」
嬉々としてたずねるクネクトヴァとカトゥカに不審を抱きつつ、騎士団の騎士が問い返せば。
「私はマーヴァーリュ教会のルドカーン筆頭神父様に仕えるクネクトヴァという者です。火急の報せがあり、ルドカーン様より言伝を預かっています。是非、ドラヴリフト様に……」
お目通りを、と言おうとしたが、安心しすぎたためか、へたりこんで何も言えなくなった。カトゥカも一緒だった。
「なに。ルドカーン筆頭神父からの言伝? これはただ事ではない」
騎士は一騎ずつクネクトヴァとカトゥカを乗せると、本陣へと引き返していった。それはまるで風になったかのような速さで。クネクトヴァとカトゥカは、風に乗った気持ちで目を閉じていた。
風に乗ることしばし。目を開ければ、陽は昇ろうとし。森を抜け騎馬は下り坂を駆け下る。
やれやれ、遠くへ行き過ぎてしまったな、と自分に呆れる騎士の声が耳に入った。
どうやらドラゴン騎士団の偵察隊らしかった。王の沙汰を待つ間も用心怠らず、偵察を四方に放ちいざというときに備えていた。が、この三騎は遠くに行き過ぎてしまったらしい。でもそのおかげで、クネクトヴァとカトゥカは助かった。
追撃の手は来ない。ぎりぎりまいたようだ。
やがて三騎は速度を落としゆっくりと進んでいた。ぱっかぱっかと蹄を鳴らしながら、クネクトヴァとカトゥカは、ゆりかごに揺られているような気分になって、激しい睡魔に襲われ抗うことができず、そのまま寝入ってしまった。
それからまた時間が経って、頬を軽くたたかれて目を覚ました。とろんととろけそうなまなこに写るのは、獅子のような威厳ある髭面の男性。これこそ誰であろう、ドラゴン騎士団団長ドラヴリフトであった。
それに気付いて、弾かれるように起き上がって、慌てて跪いた。
「ルドカーン様より言伝が……」
と震える声を出しながら手紙を差し出した。
ふと、腰帯に差していた短剣がないことに気付いた。
手紙を受け取り、じっくりと目をやるドラヴリフト。威圧感があり、クネクトヴァは一言も発することができず、短剣のことを聞くことができなかった。
(あっ)
そういえば、カトゥカがいない。どうしたのだろうか。
というより、今さらのように、そばにいるのはドラヴリフトだけではなく、騎士団の将卒ら数人いることを気付いた。そして自分は今、ドラゴン騎士団の陣営の中にいるのだ。
よほどぼけているようだ。
「……」
ドラヴリフトは手紙を目にしたまま、黙して語らず。手紙に書かれていることを読んで、どう思っているだろうか。と思うと、何も言わずに手紙を懐にしまいこむと、それと入れ違いに短剣を差し出す。
それはルドカーンからもらった短剣であった。
「あらためさせてもらった。確かにそなたはルドカーン筆頭神父に仕えるクネクトヴァだな」
短剣を受け取りながら、「はい」と応えれば。
「ともにいた少女は、ニコレットに預けてある。案ずるな」
ニコレット。ドラヴリフトの娘で、小龍公女と称せられる女将だ。それを聞いて安堵のため息をついた。
「色々問いただしたいことはあるが、ルドカーン筆頭神父に免じて許してやろう。だが、感心せぬことだな」
何か勘違いされているようで、ちょっと、むっとした。が、まさか大龍公に刃向かえるわけもなく、ただ「はい」と返事をすることしかできなかった。
「それより、そなたたち見つかりはしなかったか」
と言われて、心臓が胸から飛び出しそうだった。額から汗がにじみ出る。それを察しドラヴリフトは、
「みつかったようだな」
と言う。将卒らは、見つかったとは何だ、と互いに隣人と目をあわす。
「召集をかけよ。全員集合だ!」
そう号令をかければ、電光石火の速さで将卒らは部隊内を駆け回り、大龍公のもとに集まれ、と言ってまわる。クネクトヴァはあっけにとられて成り行きを見守っている。
やがて陣営の騎士たちは、コヴァクスにニコレットは言うに及ばず、騎士団幹部から下っ端までが、一箇所に整然とドラヴリフトの前に並び、点呼を取る。
一万を越える人数である。たなびく数本の龍牙旗が、我らドラゴン騎士団なりと、無言の名乗りをあげて、見るものを威圧する。
クネクトヴァはよく訓練されたドラゴン騎士団のその動きの冴えに、ただあっけにとられるしかなかった。号令一つで、これほどまでの人数がこんな動きをするのか、と。
それが騎士団というものだが、クネクトヴァは初めて見るので、何もかもが驚きの連続だった。
カトゥカといえば、ニコレットの隣にいるのを見て、ほっとする。
点呼が終了すると、
「父上、ドラゴン騎士団全員集合いたしました」
とコヴァクスが言うと、ドラヴリフトは、うむ、と頷く。
「皆の者、一大事が起こった。心して聞け」
と叫ぶ。図太くもよく通る声で、獅子吼というに相応しいものだった。
大龍公の獅子吼を受け、将卒たちは身構えして続きを待てば。
「王が、我らを討伐に来られている。もう近くまで来ているであろう」
その言葉を聞き、コヴァクスにニコレットはもちろん、ソシエタスや騎士団の者たちほとんどは聞き間違えたか、と思ってにわかには信じられなかった。
ほとんどの者たちが、何を言うんだ、と戸惑いの表情を浮かべている。