第二十五章 起死回生 Ⅲ
「コヴァクス殿にニコレット殿、そしてマジャックマジル殿をはじめとする四十七士の方々に、ヴァラトノに赴き。そこで同志を募り、蜂起していただきたい」
マジャックマジルは、あっ、と口を半ば開けて、なにか閃いたようだ。
「いわば、故国にて密かにドラゴン騎士団を再結成するのです。ドラゴン騎士団はオンガルリの象徴ともいえる存在。小龍公に小龍公女が立ち上がると聞けば、黙っていられる者はまずありますまい」
「なるほど、そうじゃ、そうじゃ」
マジャックマジルは笑みを浮かべうんうんと頷く。しかし、イヴァンシムに笑顔はない。
「ただことがタールコに知られれば、ただでは済みますまい」
「故郷とはいえ、いまは敵国。その敵国に潜入するのか。だから、賭け、なのだな」
「左様でござる」
コヴァクスにイヴァンシムはいかめしい顔つきで頷く。
「カンニバルカなる者は、ことを成したあとの動き次第で、判断しましょう。マジャックマジル殿からおおかた話を伺いましたが、得体の知れぬ男でございますな」
「まったく。カンニバルカという男、何を考えているのか皆目見当もつかぬ」
「もしかすれば、四十七士の面々が国境を越えられたのも、カンニバルカがわざと見逃した可能性もあります。武勇知略ともにすぐれているのなら、ありえぬ話ではござるまい」
「うむ……」
カンニバルカを出し抜いた、と思っているマジャックマジルには、面白くない話のようで。その顔から笑みが消える。
「カンニバルカ、あの男、ううむ、そういえばいつもなにか面白いことに餓えているような男でござったな」
「タールコに忠誠を誓っておらぬと?」
「そうじゃな。小龍公と小龍公女に期待しているだの、信じろ、だのと。その口調は我らをさとすというよりも、何か面白いことを期待しているような感じでござった」
「あの男、そんな男なのか」
コヴァクスは苦い顔をする。カンニバルカによって二万の軍勢は五百たらずにされてしまい、さらにソシエタスも死なされた。ではあのとき無理に討たなかったのも、なにか面白いことを期待して、コヴァクスとニコレットらは見逃されたのであろうか。
「でもそこが、カンニバルカの弱みでもあるんじゃないかしら」
ニコレットは落ち着いたもので。色違いの瞳で一同を見渡して言う。
「タールコに着いているのも、気まぐれかなにか。ならなにかの拍子に離れることもありえるのでは」
「そうですなあ。あの男なら、やりかねませんなあ」
「勝っているときはよし。負けがこむとなれば……」
イヴァンシムは考えをめぐらせる。
「タールコのために、命を賭けてまで戦わぬかもしれませんな。いわゆる風来坊気質では」
「うむ。聞けばもとは流れ者であったそうな」
マジャックマジルはオンガルリで聞いたカンニバルカの身の上話を思い出せるだけ思い出す。出生は知れぬが、流れ者なのは間違いない。最初イカンシに仕えていたが、そのイカンシを討ち。王が国を出たのも、カンニバルカに一因があるというそうだ。
それからヴァラトノに乗りこみ領主となって、代官であるイクズスに近寄り、誼を通じていた。だからこそ、兵力を与えられリジェカに侵攻できたのである。
「厄介な男でござるが、やりようによっては案外厄介ではないかもしれませんな」
イヴァンシムは自分なりにカンニバルカという存在を分析していた。
実際に戦い、カンニバルカを強敵と思っていたコヴァクスとニコレットだったが、イヴァンシムの分析のおかげで、いくらかは気が楽になった。お返しをすることも、不可能ではないとわかった。
「では、カンニバルカとは正面から当たらぬよう気配りすればよい、ということか」
と言うのはモルテンセン。大人たちの意見交換の中にあって、王もまた自分なりの考えを整理していたようだ。
イヴァンシムはほほえんで、
「左様でございますな」
と応えた。
「しかしやがてはフィウメにもやって来るでしょう。そこでどうやって、正面から当たるのを避けるのか、ですが」
メゲッリが言う。イヴァンシムもそこは考えていた。
「だからこそ、賭けるのでござる。コヴァクス殿にニコレット殿には、最低でもヴァラトノをおさえてもらわねばなりませぬ。そうすれば、いざというとき、王をヴァラトノに逃すことができます」
「そこまで考えていたのか」
コヴァクスは感心しきりだ。
ヴァラトノをおさえ、そこを起点にオンガルリをも征する。というのは、モルテンセン王やマイア王女の避難先も確保するためであった。
「そうならぬに越したことはありません。しかし、逃げ場は確保せねば。我ら一介の騎士はともかく、王や王女の御身はなによりも大切なもの。たとえ一時国をお出になったとしても、生きておわせられれば、機会は巡るというもの」
イヴァンシムの考えはオンガルリにとどまらず、リジェカにも及んでいるのが、この言葉でよくわかった。
イヴァンシムは何度となく賭けという言葉を使った。それはいわば、今は退路がない、袋の鼠であるといってもいい。
その袋を、なんとしても噛み破らねばならぬのだ。できるかもしれない、できないかもしれない。それは、まさに賭けだった。
「私の頭ではこれがせいぜいです。もっとよい案があればよいのですが……」
「いや、それでゆきましょう」
ニコレットの判断は早かった。色違いの瞳を兄に向ければ、
「やろう」
とコヴァクスは言った。兄の方も、もっとよい案を出す時間さえ惜しそうだった。マジャックマジルともなればなおさら、
「やりましょうぞ」
と、この生涯青年の気概を持つ老人の鼻息は荒いものだった。
「みんな、ありがとう」
モルテンセンは、目を潤ませ立ち上がって、大人たちに礼を言った。自分のために命を賭けてくれるなど、王と言う立場のなんと罪深いことよ。
「いいえ、礼には及びませんわ。私たちは、騎士でございますから」
ニコレットをはじめとする大人たちはモルテンセンに笑顔を向けた。
(このようなお方だから、命を賭けても惜しくはない)
将来は名君となるであろう。その名君のために戦えるのは、騎士として最大の誇りだった。
準備は進められた。
一度は国境を抜けた四十七士である。戻るのもお手の物、と言わんがばかりにはりきっていた。
騎士であるから、もちろん馬も連れてきている。行くときは、馬の口に綿をかませて声を出せないようにし。集落などがあれば下馬し徒歩で手綱を曳いてこそこそと集落を迂回して移動し、深夜を主に一本の松明を頼りにして移動したのだった。
戻るときも、同じことをする。
カンニバルカは見破って四十七士をわざと見逃しただろうが、他の者はどうであろうか。他の者たちは、出し抜けていると思っていいだろう。
行方不明者が増えたので、ヴァラトノではさぞ騒ぎになっているかもしれないし。捜索活動も盛んにおこなわれているだろう。これを思えば、行くよりも戻る方が難しいようだが。勝手知ったるオンガルリの地。抜け道はいくらでも知っている。
出発は目立たぬように、日が暮れてから発つ。
とりあえず、このことはリジェカの守りに就く者すべてには知らせてあるが。見送りはしないよう言い伝えた。これも目立たぬためである。
若き騎士アトインビーが戦場にて掲げていた紅の龍牙旗は、蜂起の象徴として必要になるであろうから、もってゆく。
紐付きの長箱に大事に入れられ、それをコヴァクスが背負った。
四十七士にコヴァクスとニコレットを加えた四十九騎は、日暮れの中一本の松明を頼りに街を発った。
さすが四十七士である。道はきちんと覚えていた。また国境抜け慣れしていた。
コヴァクスたちが国を抜けたとき、政変で国は機能不全に陥っていたため、抜けられたのだが。いまは、当時とは勝手が違う。
国境は厳しく警護され、怪しい者はないか警備兵が常に目を光らせている。
その目から逃れる術も、四十七士はこころえており。警備兵のいない、道なき道を歩み。
幾重にも波打つ山々も越えた。
山を越えるにつれて、コヴァクスとニコレットの心に懐かしさが込み上げてくる。
故郷オンガルリの景色。
「ソシエタスにも見せてやりたかったわ」
「そうだな……」
今は亡き忠実な副将の冥福を改めて祈り、ソシエタスの分まで、景色を目に焼き付けようとしていた。
進むにつれて、見覚えのある景色が広がってゆく。五体、五感に故郷が蘇ってくる。
故郷!
自分には、故郷というものがあったのだ!
離れていたからこその感慨。
時を経て、国の情勢も変わった。しかし、景色は、山野は自然はなんらかわることなく、もとのまま。
四十七士は意気盛んに進む。人目を忍んで。
フィウメを発って三日が経った。フィウメのあるグロヴァーニク地方はオンガルリとの国境地帯であり、ヴァラトノはオンガルリの南方にある。だから時間はさほどかからなかった。
「あと一日でヴァラトノに着きましょう」
と言うマジャックマジルの言葉に、コヴァクスとニコレットの気持ちは昂ぶり、逸った。
隠れずに馬を飛ばして帰れば、二日程度で着く距離である。
故郷も故郷。ドラゴン騎士団の原点の地であるヴァラトノに、かたちはどうあれ帰れようとは。
「ヴァラトノに、帰るのか」
幼き日の思い出が蘇る。父と母の思い出も蘇る。ソシエタスをはじめとして、死したドラゴン騎士団の騎士たちのことが偲ばれる。
胸には万感の思いが汲めども尽きぬほど溢れてくる。しかし、感傷にひたるわけにはいかないのだ。
ヴァラトノには、ただ帰るために帰るのではない。
戦いを起こすために帰ってくるのだ。
「さあ、もうひと息」
必死の思いでヴァラトノを目指す四十九騎の、しばらくうしろで、黒い瞳がじっと四十九騎を見つめていた。
それは龍菲であった。
ヴァラトノ行きは龍菲にも知らせているが、彼女にはフィウメにて待機するよう言ってあった。
が、しかし、言いつけを聞かず、彼女は密かについてきたのだった。
ちなみにコヴァクスより与えられた龍星号はフィウメに置いてきた。
四十九騎は思うままに馬を駆れず、下馬し手綱を曳いて夜にこそこそと移動することが多かった。そのおかげで、徒歩の龍菲もついていけたわけだ。
龍菲は悪いと思いつつ、じっとしていられなかった。
コヴァクスが自分を見るときの瞳。
それが、ずっと彼女の心の中にあり。
コヴァクスが気になって、仕方がなかった。
そう、龍菲は四十九騎というより、コヴァクスを追ってきたのだ。
コヴァクスは、この、賭けにおいてどのような働きを見せるだろう。
それが龍菲の一番の関心事であった。